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D26年3月第5週 (掲載は翌週始め) | |
25日:第一回傭兵徴募始まる | 軍部は戦力増強の為、スィーズランド連 邦を通じて、傭兵徴募を開始した。 戦力増強を歓迎する声があがる一方、諸 外国から傭兵が流入することで、治安の乱 れを懸念する声が少なくない。 |
27日:プロキア軍ダナンを占領 | 27日未明、プロキア軍によって国境都 市ダナンが占領され、事実上ドルファン側 はプロキア迎撃の拠点を失う事となった。 尚、ダナン占領時に、プロキア側との戦 闘は無かったとされている。 |
28日:ヴァルファ プロキア側に加担 | 開戦当時より噂されていた、傭兵騎士団 ヴァルファバラハリアンの参戦が27日の ダナン占領で明らかになった。 ヴァルファバラハリアンは、スィーズラン ド連邦所属の傭兵部隊で、その実力の高さ は世界屈指と恐れられている。 |
28日:プロキアにおいて反乱発生 | 28日正午、プロキアにてヘルシオ公に よる反乱が勃発。ダナンを占領されたドル ファンにとって、まさに天恵と言える出来 事であった。 侵攻中であったプロキア軍は、侵攻を断 念し、ドルファン領から撤退した。 |
29日:ヴァルファ ダナンから撤退せず | ヘルシオ公の反乱により内戦状態になっ たプロキアだが、ヴァルファバラハリアン は事態を静観。プロキア軍が撤退したにも 拘わらず、依然ダナンを占領し続けている。 尚、プロキア内戦はヘルシオ公側とフィ ンセン公側でのにらみあいが続いている。 |
30日:プロキア内戦終結 | 30日正午、プロキア側の正式発表によ ると、フィンセン公とその支持派はゲルタ ニアへ亡命を遂げた事が明らかになった。 これによりプロキアはプロキア=フィン セン公国からプロキア=ヘルシオ公国へと 名称を改める模様。 |
D26年4月第1週 | |
1日:徴募兵 ドルファンに入国 | 第一回傭兵徴募によって雇用された傭兵 が、1日午後ドルファンへ正式入国した。 今回は海外からの参加者が多い模様。 |
2日:プロキア休戦を提言 | 先の反乱で政権が交代したプロキアから 2日深夜、休戦を求める公式文書が、ドル ファン側へ届けられた。 これに対し、ドルファン側は回答を保留 している模様。 |
3日:ダナン返還と賠償金要求 | 王室会議は、プロキア側からの休戦提案 に対し、ダナン返還並びに賠償金の支払い を大前提とした話し合いに応じると、回答 した。 これに対しプロキア側は難色を示してい る模様。 |
4日:ヴァルファバラハリアン動かず | ドルファン側とプロキア側の休戦交渉が 続けられている一方、ヴァルファバラハリ アンは、依然ダナンを占拠し続けている。 これがプロキア側の意志なのか、かの傭 兵騎士団の独断なのか、王室会議も判断を しかねている模様。 |
5日:プロキア 新体制固まる | ヘルシオ公による新体制が、5日、正式 に決定した。これにより一週間の暫定政権 中の公式見解は全て白紙に戻す模様。 先の休戦提案が白紙に戻されるのかどう かが、現在注視されている。 |
D26年4月第2週 | |
9日:燐光石価格 再び上昇 | ザクロイド財閥による独占が目立つ、灯 火原料「燐光石」の平均価格が、先月中旬 の上昇に引き続き再び上昇した。 これにより昼間照明を自主規制する傾向 が顕著になると予想される。 |
11日:オーリマン卿 燐光石輸入拒否 | 燐光石の値が上昇した事により、商業会 からシベリア産の安価な燐光石の輸入を求 める声が高まる中、輸出入部門を司るベイ ラム・オーリマン卿は、「シベリアとの交 易はあり得ない」と、王室会議において言 明した。 |
12日:外商船 エドワーズ島付近で転覆 | 12日夕刻、アルビアの外商船が、エド ワーズ島付近で転覆した。 沿岸管理局によると、船員のミスによる 事故との判断が濃厚とされている。 乗員は全員無事。 |
13日:自由騎士の通名に疑問 | 騎士の称号を持たず、また軍属としての 階級を持たない世襲騎士の通名である「自 由騎士」について、アルベニン准将は、世 襲族の増長につながるとして、強く非難。 形骸化の進む騎士団へ辛い一石を投じた。 |
D26年4月第3週 | |
15日:森林区北西部にて火事 | 15日深夜、カミツレ森林区北西部にて 森林火災が発生。火は4時間後に消し止め られた。 |
16日:プロキア 再度休戦を提言 | 16日、プロキア側はドルファンに対し 再度休戦を提言した。これに対しドルファ ン王室会議は、先に提示した条件が確約さ れない限り休戦はあり得ないと、かたくな な姿勢をとり続けている。 |
18日:シベリア軍 黒竜江沿岸に布陣 | 中華新報は、黒竜江沿岸に大量のシベリ ア軍が集結したと報じた。黒竜江は北露圏 と東洋圏の境であり、かねてより噂されて いたシベリア側の東洋侵攻が予想される。 |
19日:黒竜江にて武力衝突 | 19日未明、黒竜江沿岸に駐屯していた シベリア軍が渡河を開始。牽制の為集結し つつあった央華軍(中華皇国辺境師団)と の武力衝突に至った。戦況はシベリア側に 有利の模様。 |
20日:シベリア軍 黒竜江沿岸より撤退 | 昨日より続いていた黒竜江での武力衝突 は、20日夕刻、央華側にシンラギククル フォンの右陣紅東軍団が参戦したことによ り形勢が逆転。シベリア軍は同日深夜、黒 竜江沿岸よりチャイカまで撤退した。 央華軍は、再侵攻を懸念し駐屯を続行。 |
D26年4月第4週 | |
23日:騎士団 王室会議へ上奏 | 騎士団は、サミュエル卿を通じて王室会 議に、ダナンへの派兵認可を上奏した。 依然、ヴァルファバラハリアンによる占 拠の続くダナンの問題には、各方面より早 期解決を求める声があがっている。 |
24日:王室会議 騎士団側要求を却下 | 昨日、王室会議に上奏されたダナン派兵 について、24日午後「派兵は時期尚早」 と、騎士団側へ回答があった。 騎士団側は、この回答に対し不服の様子 で、再度上奏が予想される。 |
26日:ヴァネッサ幹部逮捕 | 26日深夜、左派組織ヴァネッサの幹部 バイス・ヘッダーマンが逮捕された。ヘッ ダーマンは、先のダナン派兵が却下された 事で、王室に対するテロを画策していた。 ヴァネッサ側は不当逮捕であると抗議。 テロによる報復が懸念される。 |
27日:ドルファン地区で要人襲撃 | ドルファン地区城下東において、地区警 備班の長官であるW・コーラル氏が、5人 の暴漢に襲撃された。暴漢5人は逮捕。コ ーラル氏は全治3ヶ月の重傷を負った。 尚、この件に関してヴァネッサ側から犯 行声明が出ている。 |
D26年4月第5週〜5月第1週 | |
29日:ヴァネッサ構成員20人を検挙 | ドルファン地区警備班は、同地区の飲食 店の地下にあったヴァネッサ支部を捜索。 20人を検挙、十数点の刀剣、火薬5キロ を押収した。 |
30日:五月祭用資材置き場でボヤ | 30日深夜、翌日開かれる五月祭用の資 材置き場でボヤ騒ぎがあった。火は直ちに 消し止められ被害はごくわずかであった。 一時は不審火と推察されたが、原因は作 業員の火の不始末と判明した。 |
1日:五月祭の人出減 | 1日、例年通りサウスドルファン駅を中 心に五月祭が催された。 昨年に比べると人出は6%減。休戦問題 の停滞化と、ヴァネッサ問題が影響したも のと思われる。 |
3日:ゲルタニア首相選挙 | ゲルタニアにて、3日、首相選挙が行わ れた。前回に引き続きB・コール氏が、次 点のA・カーベラル氏に大差をつけて圧勝 した。コール氏はこれで四期目。 ゲルタニアは共和制へ移行以来、コール 氏による連勝が続いている。 |
5日:コール首相 休戦問題介入を表明 | 先日、四期目の就任を果たしたコール首 相は、停滞が続いているドルファンとプロ キアの休戦問題の早期解決を目指し、ゲル タニアとしても仲介の労をとる意志がある 事を表明した。 |
D26年5月第2週 | |
7日:プロキア ダナン返還を検討 | 7日正午、プロキアのヘルシオ公は、か ねてより問題となっていたダナン返還を前 向きに検討することを、ゲルタニアのコー ル首相を通じて、王室会議へ伝えた。 尚、賠償金については、特に触れられて いなかった模様。 |
8日:プロキア ヴァルファへ撤収命令 | プロキア側は、先月よりダナンを占拠中 の傭兵騎士団ヴァルファバラハリアンに対 し、今月末までにダナンからプロキア領内 へ撤収するよう通達した。これに対しヴァ ルファ側は沈黙を守っている。 |
9日:イングランドヤード 新式銃開発 | イングランド地方のヤードでは、後装式 の新式銃を開発。量産体制確立にむけて準 備を進めている模様。 西欧・北露・西洋の三圏を中心に銃火器 の実戦配備が進む中、ここ南欧では未だ剣 による白兵戦が主流である。 |
12日:ヴァルファ プロキアへ使者派遣 | 12日、ダナンを占拠中のヴァルファバ ラハリアンは、フィンセン公への使者を派 遣した模様。これは先のプロキアから出さ れた撤収要求に対するものと見られる。 |
D26年5月第3週 | |
14日:ヴァルファ=プロキア会談破談 | 12、13日と行われたヴァルファ側と プロキア側との会談は、両者の歩み寄りが みられず物別れに終わった事が、本日正午 プロキア側の発表にて明らかになった。 尚、発表では、ダナン占拠は、ヴァルファ の独断によるものと強調されていた。 |
15日:阿片密輸容疑でヴァネッサ逮捕 | 15日午後、ドルファン港第三ふ頭にお いて、ヴァネッサ幹部バル・バレッタが、 阿片密輸の現行犯で逮捕された。 阿片問題は、ヴァネッサにとどまらず、 騎士団内部での密売がささやかれており、 今回の事件は氷山の一角でしかない。 |
17日:プロキア ヴァルファと断絶 | 17日午後、プロキアのヘルシオ公は、 正式な形で、傭兵騎士団ヴァルファバラハ リアンとの契約を破棄した事を発表した。 この事により、棚上げになっていた休戦 問題が、前向きに検討されると思われる。 |
18日:ヴァルファ プロキアに抗議 | 17日の公式発表を受ける形で、ダナン を占拠中の傭兵騎士団ヴァルファバラハリ アンは、プロキアのヘルシオ公に対して、 契約不履行を前面に押し出した抗議声明を 出した。 |
19日:プロキア ヴァルファを非難 | 18日のヴァルファ側の抗議声明を返す 形で、プロキアから公式声明があった。 内容は、ヴァルファとの契約は、フィン セン公在任時のものであり、現政権におい ては無効、というものであった。 |
19日:エリータス卿 死後十周年を忍ぶ | 19日、聖騎士の称号を受け、数々の活 躍を遂げたラージン・エリータス卿の死後 十年を忍ぶ会がグレスデンホールにて行わ れた。 現在、エリータス家は卿の夫人マリエル 女史によって切り盛りされている。 |
D26年5月第4週 | |
21日:王室会議 休戦協定へ前進 | ドルファン側はプロキアに対し、休戦協 定の締結の条件として掲げていた賠償金請 求を撤回。最終条件をダナン返還のみに絞 った。 |
22日:プロキア ダナン返還を明示 | 22日午後、21日のドルファン側の公 式発表を受けて、プロキア側は、5月31 日までにダナン占拠中のヴァルファを領内 に撤収。6月1日をもってダナンを正式に 返還することを明らかにした。 |
23日:プロキア ヴァルファへ再勧告 | プロキア側は、ダナン占拠中のヴァルフ ァバラハリアンに対し、今月末日までに撤 収が行われない場合は、武力による排除も 有り得ると、強硬な姿勢で勧告した。 ドルファン側は、この勧告をプロキア側 の誠意の表れとして、高く評価している。 |
25日:スペツナズ一個大隊 東欧へ | 東共通信は、シベリア軍がスペツナズ一 個大隊を東欧圏スロバキア地方へ投入した 事を報じた。 これによって、帰属問題で揺れるバスト ニアへのシベリアの軍事介入が、明白とな った。 |
26日:アルビア大使来訪 | 26日午後、アルビア大使マハド・イリ クサム卿が、ドルファンを訪れた。 イリクサム大使は、海軍顧問トーマス・ エールデン卿と会談し、両国の海防につい て話し合った模様。 |
D26年5月第5週〜6月第1週 | |
28日:バストニアで内戦勃発 | シベリアへの帰属問題で揺れていたバス トニア共和国で、28日内戦が勃発した模 様。尚、バストニア南方イシュタクにおい てのスペツナズと独立派ゲリラの衝突では 民間人を含む死傷者は3千名にのぼるとさ れる。 |
29日:豪華客船 最北海近域で沈没 | イングランド地方ヤードを発った豪華客 船クィーンサーリアンド号が、最北海近域 で沈没したと、北英海軍の調査により判明 した。乗客は全員死亡。 |
30日:プロキア軍 テラ河国境線へ出動 | ダナンからの撤収期限が明日に迫った事 から、プロキア側は、ヴァルファバラハリ アンへの督促を名目とし、第二軍をテラ河 国境線へ出動させた。 これに対しヴァルファ側は、動きを見せ ていない模様。 |
31日:ヴァルファ ダナン占拠を継続 | 撤収期限である今日、傭兵騎士団ヴァ ルファバラハリアンは、一切の動きを見 せず、ダナン残留の意志を間接的に示し た。 |
31日:スポーツの祭典開催される | 31日、ダナン問題が深刻化する中、フ ェンネル地区運動公園において、スポーツ の祭典が開かれた。 人出は例年通りで、賑やかな祭典となっ た。 |
1日:ヴァルファ宣戦布告 | 先月31日の期限を過ぎてもダナンから 撤収しなかった傭兵騎士団ヴァルファバラ ハリアンは、1日正午、ドルファンとプロ キアに対して、撤収の意志は無く、場合に よっては交戦も辞さないとの、事実上の宣 戦布告を行った。 |
D26年6月第2週 | |
3日:プロキア臨戦態勢へ | 1日の宣戦布告を受けて、プロキア側は 臨戦態勢へ突入した。しかし、先の内乱で 国軍の疲弊は色濃く、テラ河国境線付近に 布陣中の部隊も、戦闘の意志は薄弱と見ら れる。 |
4日:王室会議 ダナン派兵を討議 | ドルファン王室会議は、騎士団のダナン 派遣を再検討すべく、4日午後より討議に 入った。尚、ドルファン側が臨戦態勢をと らないのは、ヴァルファバラハリアンへの 刺激を避けるためと、ささやかれている。 |
5日:王室会議 ダナン派兵を決議 | 王室会議は、来月中旬に騎士団をダナン へ派遣するという事で決議に至った。 尚、派兵に関しては、今月末までにヴァ ルファ側が撤退しない場合のみで、引き続 きドルファン側からも、撤退勧告を出す模 様。 |
6日:ゲルタニア 派兵協力を申し出 | ゲルタニア政府は、ヴァルファバラハリ アンのダナン占拠問題に対して、ゲルタニ ア軍の一部を供出しても良いとのコメント を非公式ながらも打ち出した。 |
7日:ゲルタニアの派兵協力を却下 | 王室会議は、ゲルタニア政府に対して、 ダナン問題への軍事的介入を、えん曲的に 拒絶する内容の文書を送った。 ドルファン側としては、先のシベリアが 行ったバストニア軍事介入と同化する事を 懸念したと見られる。 |
8日:デュラン王 48回目の誕生日 | 8日、デュラン王は、48回目のお誕生 日を迎えられた。今年は、ダナン問題があ ってか、王宮内での祝典は例年より慎まし やかなものとなった模様。 |
D26年6月第3週 | |
10日:バストニア内戦一時終結 | 10日午後、スペツナズを中心とする政 府軍の攻撃により、独立派ゲリラの拠点で あるリンツが制圧され、この事により内戦 は政府側の勝利として一時終結に至った。 これによりバストニア共和国はシベリア 連邦(連合)に再度帰属する。 |
12日:ヴァルファ プロキア軍を牽制 | 12日夕刻、ヴァルファバラハリアンの 第三大隊がダナンを出発、同日深夜、テラ 河国境線南に布陣した。 これは先月末より同河川北に布陣するプ ロキア第二軍に対する牽制と見られる。 |
14日:プロキア軍 国境付近より撤退 | 12日深夜から続いていたプロキア軍と ヴァルファ側のにらみ合いは、14日午後 プロキア側が撤退した事により、武力衝突 が起こることもなく終了した。 これはプロキア側が武力衝突を避ける為 撤退したとの見方が強い。 |
16日:カミツレ山中で土砂崩れ | 16日午前、カミツレ地区カミツレ山中 にて土砂崩れが発生。人家への被害は無か った。 |
D26年6月第4週 | |
18日:セリナ運河に身元不明の水死体 | 身元不明の水死体が、セリナ運河中流域 で、18日、発見された。 遺体は腐敗が進んでおり、死後2、3ヶ 月は経過しているものと思われる。 |
19日:ヴァルファ大軍団長 各国へ声明 | 傭兵騎士団ヴァルファバラハリアンの大 軍団長であるデュノス・ヴォルフガリオは プロキア、ゲルタニア、ハンガリアの三国 に対して、侵略の意志はないという声明を 発した。尚、ドルファンに対しての声明は 一切無かった。 |
20日:身元不明遺体は行方不明の神父 | 18日にセリナ運河で発見された身元不 明の遺体は、先々月より行方が解らなくな っていたアイン・カラベラル神父である事 が、関係者の証言により明らかになった。 カラベラル神父は、先々月3日、自宅を 出た後、行方不明になっていた。 |
22日:カミツレ地区で夏至祭 | 22日、恒例の夏至祭がカミツレ駅前を 中心に賑わいを見せた。 先の燐光石値上がりのせいか、夜間の出 店数が前年より少なかった模様。 |
23日:王室会議 ヴァルファ対策を模索 | 先の三国に出された声明で、ドルファン への侵攻が明確化したヴァルファバラハリ アンに対する防戦体制並びに掃討計画を模 索する討議が、23日、王室会議と軍部の 間で行われた模様。 |
D26年6月第5週 | |
25日:ヴァルファヘ最終勧告 | ドルファン側は、ダナンを占拠中の傭兵 騎士団ヴァルファバラハリアンに対して、 今月末までに撤収が行われない場合、武力 掃討を実行すると、最終勧告を行った。 |
26日:ヴァルファ応戦を明示 | 26日正午、25日のドルファン側の最 終勧告を受けて、ヴァルファバラハリアン は、ダナンへドルファン側が派兵した際に は、総力をあげて応戦すると声高に明示し た。 |
27日:ゲルタニア 静観を明示 | ゲルタニア政府は、ドルファン側とヴァ ルファの間で武力衝突が行われた場合、ゲ ルタニアとしては、一切干渉しない事を明 らかにした。 これは先にドルファン側がゲルタニアの 軍事介入を拒絶した事を受けている。 |
29日:ハンガリア 中立を維持 | ドルファン=プロキア戦争開戦時から不 干渉を維持し続けていたハンガリアは、今 後も中立を維持する事を、文書で王室会議 に通達した。 これでハンガリア、ゲルタニアの二国が 中立。残るプロキアの動向が注目される。 |
30日:ヴァルファ ダナンより撤退せず | 先の最終勧告により今月末が撤退期限と されていたヴァルファバラハリアンは30 日深夜になっても撤退の兆候は見せず、こ れで7月中旬に予定される派兵は、動かぬ ものとなった。 |
D26年7月第1週 | |
1日:遺跡区で倒壊 | 1日午後、遺跡区の北西パンディエロの 遺跡が自然倒壊した。パンディエロの周囲 は、先々週より立入禁止区域になっていた ので事故には至らなかった。 |
2日:騎士団 ダナン攻略に向けて準備 | 7月中旬に行われるダナン派兵を目して ドルファン騎士団では、本格的な準備に取 りかかった模様。 |
4日:プロキア シンラギに参戦要請 | プロキアは、スィーズランド連邦を通じ て、東洋圏最強と言われる軍事集団シンラ ギククルフォンへ、部隊の派遣を求めてい た事が、4日、判明した。 これがヴァルファ対策なのか、ドルファ ンへの再侵攻なのか、疑念が持たれる。 |
5日:プロキア ドルファンへ釈明 | 4日明らかになったシンラギククルフォ ン雇用問題に関し、プロキア側からドルフ ァン側へ、シンラギへの参戦要請は対ヴァ ルファの為で、再侵攻の準備ではないと、 文書で通達された。 王室会議は判断を保留する模様。 |
7日:ヴァルファ 部隊配置変更 | 7日、ダナンを占拠中の傭兵騎士団ヴァ ルファバラハリアンが、各部隊の配置変更 を行っているのが判明した。 国境付近に位置していた第三大隊はダナ ンへ移動、代わりに第四大隊が国境付近へ 移動を開始した模様。 |
7日:ダナン派兵 15日前後を予定 | 王室会議は、ダナン派兵を遅くとも今月 15日前後に実行する事を明らかにした。 これで、ヴァルファバラハリアンとの武 力衝突は確実となったが、果たして全欧最 強の傭兵騎士団に対し、ドルファン騎士団 が、どこまで戦えるか懸念される。 |
D26年7月第2週 | |
8日:騎士団 斥候をダナンへ派遣 | 今回の派兵の中心となるドルファン騎士 団は、8日未明、斥候をダナン方面へ派遣 した模様。 |
9日:斥候 敵軍と小競り合い | ダナン方面へ派遣されていた斥候隊が、 9日午後、旧軍自治区イリハにて、ヴァル ファバラハリアンのしょう戒部隊と接触し た模様。この事により、ヴァルファがイリ ハ付近まで展開していることが判明。主戦 闘地はイリハが濃厚とされる。 |
10日:シンラギ ハンガリアに到着 | かねてより噂されていた東洋圏最強の戦 闘部隊シンラギククルフォンの一個大隊が 10日、ハンガリアのアデラマ港に到着し た。ハンガリア政府は、シンラギの国内通 過、プロキアへの入国を許諾した模様。 |
11日:ヴァルファ 大隊を南北に展開 | ダナンを占拠中のヴァルファバラハリア ンは、第二、三、五大隊をダナン南方のイ リハへ向けて出発させていた事が判明。同 時に第一大隊の一部が北方のテラ河国境線 へ移動、以前より展開中の第四大隊と合流 した模様。 |
13日:シンラギ一個大隊 プロキア入国 | シンラギククルフォンの一個大隊が13 日深夜、プロキアへ入国した。これにより プロキアが、今回のドルファンのダナン派 兵に介入してくる可能性が濃厚になった。 |
14日:ダナン派兵第一陣 15日出発 | 軍部は、ダナン派兵の第一陣である騎士 団第二、第四大隊の出発を、15日正午と 発表した。尚、予定される戦場は、ダナン の南方の旧軍自治区イリハになる模様。 |
D26年7月第3週 | |
15日:ダナン派兵第一陣出発 | 15日正午、ダナン派兵第一陣となる騎 士団第二、第四大隊が、首都城塞を出発し た。後続である第三、第五大隊の出発は見 合わせている模様。 |
16日:イリハにて大規模衝突始まる | 16日午後、旧軍自治区イリハにてドル ファン騎士団とヴァルファバラハリアンに よる大規模な武力衝突発生。戦況はドルフ ァン側が優勢の模様。 |
17日:騎士団第二大隊壊滅 | 17日深夜、ドルファン騎士団第二大隊 が、ヴァルファバラハリアン第二大隊によ って壊滅した事が明らかになった。 大隊といえど中隊規模でしかないヴァル ファへの敗北は、皮肉にも世間の風評を肯 定する事となった。 |
19日:第四大隊 敵第三大隊と衝突 | 騎士団第四大隊は、イリハ南西部にて、 ヴァルファバラハリアンの第三大隊と接触 し、交戦状態に入った模様。戦況は不明。 |
20日:第四大隊ウエール北部まで後退 | イリハ南西部にて敵の第三大隊と交戦中 であった騎士団第四大隊は、20日夕刻、 ウエール北部まで後退していた事が明らか になった。既に大隊の生存者数も半数強と いうところで、敗北による撤退と見なされ る。 |
21日:プロキア混成軍 国境付近へ展開 | 21日午後、シンラギククルフォンを先 鋒としたプロキア混成軍が、テラ河国境線 付近に展開した。これを受けてヴァルファ バラハリアンは、ドルファンへ進軍中の第 二、三、五大隊を急きょダナンへ撤収、騎 士団第四大隊は追撃を免れた。 |
D26年7月第4週 | |
22日:騎士団撤収 責任問題へ | 21日より城塞内へ撤収しつつあったダ ナン派兵部隊(第二、第四大隊残存組)は 22日正午までに撤収が終了した。 王室会議は、今回の現場指揮官である、 カイル・コーツ大佐を喚問。イリハにおけ る大敗の責任を追及する模様。 |
23日:ヴァルファ シンラギ 対陣続く | テラ河国境において対陣が続く、傭兵騎 士団ヴァルファバラハリアンとプロキア軍 の先鋒をつとめるシンラギククルフォンの 二者は、小規模の戦闘を数度行ったのみで 大規模な武力衝突には至らない模様。 |
24日:国王 戦死者へ哀惜の意 | ドルファン城第二広場で行われた合同葬 儀において、デュラン国王は戦死者に対し 哀惜の意を述べられた。 |
27日:テラ・ヴァネッサ 反戦を提唱 | 左派組織で知られるヴァネッサの穏健派 テラ・ヴァネッサは、今回の派兵に対し、 無用の武威を振るうものとして、27日、 各地で反戦演説を行った。このうち城門前 へデモ行進を行おうとした若者のグループ が近衛隊と乱闘、9人が逮捕された。 |
28日:ゲルタニア ハンガリア共同声明 | 28日正午、ゲルタニアとハンガリアの 両政府は、ドルファン領内を侵犯中の傭兵 騎士団ヴァルファバラハリアンに対して、 一切の援助並びにそれに類する行為は行わ ないとの共同声明を発した。これにより、 ヴァルファの行動は制限される事になる。 |
D26年7月第5週〜8月第1週 | |
30日:第二次傭兵徴募開始 | 軍部はスィーズランド連邦を通じて、前 回に引き続き海外における傭兵徴募を開始 した。今回は西洋圏が中心となる模様。 |
1日:ヴァルファ シンラギ 対陣終了 | テラ河国境線を挟んで対陣を続けていた 傭兵騎士団ヴァルファバラハリアンとシン ラギククルフォンは、1日未明、両軍とも 国境線より後退した。ヴァルファはダナン へ撤収し、今後の動向が注目される。 |
2日:プロキア ドルファン援護を表明 | プロキアのヘルシオ公は、ドルファン王 室に対し、今後1年間、ヴァルファバラハ リアンを牽制し、ドルファンを援護すると いう内容の親書を送った。これを受けて、 王室からも感謝の意を表す返書が、ヘルシ オ公宛に送られた。 |
4日:ガリレア博士 ベンヒル賞受賞 | 現在スィーズランドのリーデン学術院で 研究を行っている邦人ガリレア・ガリネシ ス博士が、4日、ベンヒル賞を受賞した。 ベンヒル賞は、新分野を開拓した研究者 に贈られるもので、今回は博士の積年の化 学分野開拓を称えたもの。 |
D26年8月第2週 | |
5日:採掘現場で落盤 | 5日午前、燐光石を採掘する坑道で、落 盤事故が発生。4人が死亡、重軽傷者12 名を出す惨事となった。 事故が起きたのはカミツレ地区第28採 掘区42番坑道で、以前より落盤の危険性 が指摘されていた。 |
7日:文化部 軍部の立案書を即日却下 | 文化部は、軍部より提出されたカミツレ 地区遺跡区における演習場の建設立案書を 即日却下した。 文化部は文化遺産の保全を絶対意見とし 各種の開発に足止めを課している。 |
10日:ピクシス家に女児誕生 | 10日午後、アルダナル・ピクシス卿と エラリス婦人の間に女児が誕生した。 王室会議の筆頭であるピクシス家でのご 生誕とあって、祝賀客も多数訪れた。 |
11日:南洋圏 オースチンで大地震 | 11日、南洋圏オセアニア地方オースチ ンで、大地震が発生し、数千人が死亡した 模様。 |
D26年8月第3週 | |
12日:王女行方不明騒ぎ | 12日午前、軍部によって発令された非 常召集は、王女捜索であった事が同日夕刻 になって判明した。 王女は無事保護に至り事なきを得たが、 この不審事に対し、王室から詳しいコメン トはなかった。 |
14日:ヴァン=トルキアで王位継承問題 | 14日未明、ヴァン=トルキア王国国王 アイン・ヘレニガム14世が崩御された。 これによりトルキア大帝国時代より続く ヘレニガム家の直系は途絶えた事となり、 傍系のアレイス家とクルニガム家による王 位継承問題は深刻化すると見られる。 |
15日:各地で薬草の特売会 | 動植物の日である15日、各地で薬草の 特売会が行われた。 1年で最も効能のある日として、例年盛 況になる特売会だが、今年は晴天に恵まれ たせいか、薬草を求める人の数は昨年以上 であった。 |
16日:シベリア大使来訪 | シベリア大使イワン・キルギスキー卿が 16日、来訪した。 キルギスキー大使の目的はドルファンが 拒否し続けている燐光石の輸入自由化にあ り、今回オーリマン卿がどう対応するかが 注目されている。 |
17日:シベリア交易一部自由化へ | キルギスキー卿との会談が行われた17 日、オーリマン卿は、燐光石の輸入は行え ないが、鉄鉱・石炭の二品目に関しては自 由化の方向性を検討するという善処案で、 会談を締めくくった。 |
D26年8月第4週 | |
20日:ヴァン=トルキア内戦突入 | ヘレニガム14世の葬儀が行われないま ま王位継承問題で揺れていたヴァン=トル キアで、20日深夜、遂にアレイス家とク ルニガム家による本格的な武力衝突が発生 した。これでヴァン=トルキアは実質上内 戦状態へと突入した事となる。 |
21日:ゲルタニア クルニガム家を支持 | ゲルタニア政府は、ヴァン=トルキアに おける内戦に対し、クルニガム家を支持す る方向で、積極的に関与する事を明らかに した。 |
22日:ダナンより商業者来着 | 現在、ヴァルファバラハリアンによって 占拠中のダナンより、22日未明、商業者 二十余名が首都城塞へ到着した。 商業者の話では、ダナンは平穏であり、 都市の出入制限以外、占拠以前と変わらな い状態にあるという。 |
24日:シベリア アレイス家を支持 | 24日、シベリア政府はヴァン=トルキ ア内戦に関し、アレイス家を支持する方向 で積極的に関与することを明らかにした。 一方、バストニア駐屯のスペツナズは撤 収。近くヴァン=トルキアへの投入が予想 される。 |
D26年8月第5週 | |
26日:ゲルタニア軍 内戦介入へ | 26日午後、ゲルタニア軍がヴァン=ト ルキアとの国境線を越え、クルニガム家側 の国軍と合流した模様。 |
27日:プリシラ王女 軍施設を慰問 | 27日午後、プリシラ王女が、シーエア ー地区臨海区の騎士団第一駐屯地を慰問さ れた。これは先のダナン派兵による士気喪 失を考慮したものと見られるが、関係者は 慰問時期の遅さに不満を抱いている様子。 尚、王女の公務は8ヶ月ぶりの事。 |
30日:ヴァン=トルキア内戦泥沼化 | 30日午後、ヴァン=トルキアの首都ト ルキアでは、ゲルタニア軍による攻撃によ り数千人の死傷者が出た模様。尚も戦闘は 継続中であり、今後、シベリア軍の介入に よって更なる泥沼化が予想される。 |
31日:乗合い馬車組合 1日ストライキ | 賃金交渉で平行線をたどっていた商会側 と組合側は、31日に入っても折り合いが つかず、組合側は同日から予定通りストラ イキに入ったが、同日夕刻、商会側の譲歩 により、ストライキは一日で終了した。 |
D26年9月第1週 | |
2日:ヴァルファ ハーベンを奇襲 | ダナンを占拠中の傭兵騎士団ヴァルファ バラハリアンが、2日深夜、プロキア領内 の国境都市ハーベンを奇襲し、駐屯中のプ ロキア正規軍に被害を与えた模様。 尚、シンラギククルフォンは奇襲時、ハ ーベンには駐屯していなかったとされる。 |
3日:ハーベンで再度夜間戦闘 | 2日深夜に戦闘があったばかりのプロキ ア領ハーベンで、3日深夜、またしても戦 闘が行われた。詳報によると、ヴァルファ バラハリアンの一中隊とハーベンに駆けつ けたシンラギククルフォンが衝突したとさ れている。 |
4日:ハーベンでの戦闘終了 | 3日深夜から続いていたプロキア領ハー ベンでの戦闘は、ヴァルファバラハリアン が国境線まで退いたことにより終了した模 様。両軍の被害は不明。 |
6日:スペツナズ トルキアへ上陸 | 6日、ヴァン=トルキアのリグ港にシベ リア軍一個大隊スペツナズが到着し、アレ イス家側国軍と合流した。 シベリアの軍勢がトルキア地方へ足を踏 み入れたのは今回が初めてとなり、周辺諸 国は、この動きを不安視している。 |
8日:旧水道一時閉鎖 | カミツレ地区遺跡区からドルファン地区 中央区まで続いていた旧水道(ノータル地 下水道)を、8日午後、水流をせき止め、 閉鎖した。この処置は一時的なもので、今 後様子を見て再開を検討すると、管理局は 話している。 |
D26年9月第2週 | |
10日:王室会議 一部改変 | 王室会議は、10日、五家評議会の構成 を一部変更した。変更内容は元参位のベル シス家の除名、新たにピクシス分家を参位 に加えるというもの。ドルファン王家の上 位、ピクシス家の筆頭(次席)、エリータ ス、カイニスの両家の参位は継続。 |
11日:ゲルタニア、シベリア両軍衝突 | ヴァン=トルキア内戦に介入していたゲ ルタニア、シベリアの両国の軍隊が、11 日、首都トルキア北西部で大規模な戦闘を 繰り広げた模様。 |
13日:ピクシス卿 ベルシス家を非難 | 王室会議の筆頭であるアナベル・ピクシ ス卿は、先に除名されたベルシス家の当主 ゼノス・ベルシス卿の除名理由を、王家に 反意を抱きし者として、明らかにした。 ベルシス卿は、現在占拠中のダナンにて 沈黙を守っている。 |
15日:ヴァン=トルキア内戦続報 | 11日から始まったゲルタニア軍とシベ リア軍の戦闘は、15日深夜になっても収 束の気配を見せず、戦闘の長期化が予想さ れる。尚、両国とも近く増援部隊を投入す る模様。 |
D26年9月第3週 | |
16日:シベリア軍船 英海峡で砲撃 | 16日午後、ドーバー海峡を通過しよう としたシベリア軍船4隻が、海峡を巡視中 のブリストル軍船に対し砲撃したことが、 明らかになった。 シベリア軍船は砲撃の後、海峡の通過を 断念し、撤退した模様。 |
18日:灯火持続時間の延長に成功 | 燐光石の発光限界を、従来の6ヶ月から 7ヶ月弱にまで延ばすことが、スィーズラ ンドのリーデン学術院の実験で成功した。 燐光石はベリ酸との反応で発光するが、 今回はベリ酸にオキロ酸塩を加えたとされ る。 |
19日:セリナ運河 全面航行規制 | 19日、河床工事のため、セリナ運河の 航行が全面的に規制された。規制は22日 の土曜まで続く模様。 |
21日:黒竜江沿岸 再度緊張高まる | 21日午後、シベリア軍が再度黒竜江沿 岸まで軍を進めたことが、中華皇国側の抗 議声明によって明らかになった。 シベリア側は中華皇国側の抗議に対し、 必要最低限の国防であると、侵攻に関して 全面的に否定した。 |
22日:プロキア 紫南軍団を包有 | 7月中旬からプロキア軍に加盟していた シンラギククルフォンが、右陣紫南軍団で あった事が、関係者の報告で明らかになっ た。紫南軍団は、ベトナム戦役でホーチミ ン政府側に加盟していた。指揮官はグエン =ベノ=ワンチャイ。 |
D26年9月第4週 | |
24日:ダナン造反疑惑 | 現在、傭兵騎士団ヴァルファバラハリア ンによって占拠中である国境都市ダナンに おいて、ベルシス家を中心にヴァルファ側 へ恭順の動きがあることが、関係者の証言 によって明らかになった。尚、ベルシス家 との連絡は途絶えている。 |
25日:王室会議 ダナン使者派遣を検討 | 王室会議は、占拠中のダナンへ使者を派 遣する事について、25日夕刻から討議に 入った。使者派遣の目的は、ヴァルファバ ラハリアンの動向を探る事を前提としてい るが、実際はベルシス家の動向を探るもの との見方が強い。 |
26日:ダナンへの使者派遣を決議 | 26日、王室会議はダナンへの使者派遣 を来月初旬に行う事で決議した模様。 |
27日:乗り合い馬車同士の追突事故 | 27日午前、ドルファン地区城南区の大 通りで、乗り合い馬車同士の衝突事故が発 生。死者1名、重軽傷者3名を出す事故と なった。 |
28日:黒竜江沿岸で小規模戦闘 | 28日、黒竜江沿岸でシベリア軍と央華 軍との間で小規模な戦闘が行われた。 今回の戦闘は斥候部隊同士によるもので 両軍の形勢を左右するものではない模様。 |
29日:収穫祭開催 | 29日、収穫祭がフェンネル地区を中心 に催された。 今年の収穫高は冷夏の影響からか、若干 減少すると見られる。 |
D26年10月第1週 | |
1日:ダナンへの使者出発 | 占拠中のダナンへの使者が、1日正午、 首都城塞を出発した。 使者の目的は、ヴァルファバラハリアン 軍団長デュノス・ヴォルフガリオへの接見 と、ゼノス・ベルシス卿の召喚。 |
3日:使者 ヴァルファ軍団長に接見 | 3日午後、ドルファン側の使者が、ヴァ ルファバラハリアン参謀キリング・ミーヒ ルビスとの接見に至った。 この接見の際に、ヴァルファ側から「復 讐」という言葉が出たが、何に対する復讐 なのかは明らかにしなかった。 |
4日:ベルシス卿 召喚を拒絶 | 4日夕刻、3日のヴァルファとの接見に 続き、今度はゼノス・ベルシス卿との接見 が行われた。 ベルシス卿は使者から召喚の意を伝えら れた際、王室会議除名と召喚はピクシス卿 の陰謀として、召喚には応じなかった。 |
6日:フェンネル地区で一家惨殺 | 6日午後、フェンネル地区住宅区のアパ ートで、このアパートの住人クリス・アン ダースン氏とその家族を含む計4名が、他 殺体で発見された。 地区警備班は、えん恨による犯行として 捜査を進める模様。 |
D26年10月第2週 | |
7日:シベリアサーカス団 来月来演 | 来月1日にシベリアのパリャールヌイ・ サーカスが来演することが、文化部の発表 で明らかになった。 この件は、先のシベリア大使来訪の際、 話し合われたとのこと。 |
9日:風刺画 城西区内で散布 | ベルシス家とピクシス家の確執を描いた 風刺画が、9日午後、ドルファン地区城西 区で散布された。 地区警備班は風刺画を回収、散布してい た学生グループ5人を逮捕した。 |
11日:考古学術院 遺跡区を再調査 | ドルファン考古学術院は、カミツレ地区 遺跡区の未調査地帯で、11日午後から3 日間、再調査を行う。 |
12日:騎士団 大隊を再編成 | 12日、軍部は先のダナン派兵において 壊滅した大隊の再編成を行った。 編成の内容は、壊滅した第二大隊に各大 隊から中隊を補てん。第四大隊は、現在の ところ欠番扱いになる模様。 |
D26年10月第3週 | |
16日:国王狩りの日 | 16日、デュラン国王はカミツレ山中で 鹿狩りを行われた。 今年の鹿狩りは、晴天に恵まれ、前年に 比べ高い成果をあげられた様子。 |
17日:シベリア軍 黒竜江を渡河 | 17日未明、シベリア軍の猛攻により、 央華軍は防衛線を破られ、黒竜江渡河を許 した模様。詳細は不明。 |
19日:一家惨殺の犯人逮捕 | 6日に起きたアンダースン一家惨殺事件 で、19日深夜、地区警備班は無職ボーン ・オズ(29)を逮捕した。 動機についてオズは、あまりに幸せそう なので妬ましかったと、供述している。 |
D26年10月第4週 | |
21日:シベリア軍 ユイメンを占拠 | シベリア軍は、黒竜江渡河後、中華皇国 領ユイメンを占拠していた事が、21日、 明らかになった。シベリア軍と央華軍の戦 闘は依然続いている模様。 |
23日:アンジェリス教国で黄熱病まん延 | 東欧圏スロバキア地方アンジェリス教国 の一部で、黄熱病がまん延している事が、 23日、東欧赤十字の報告で明らかになっ た。 |
26日:プリシラ王女 17回目の誕生日 | 26日、プリシラ王女が17回目のお誕生 日を迎えられた。 現在アルビア皇太子とのご親交が噂され ているが、それに対するコメントはなかっ た。 |
27日:怪文書散布でヴァネッサ幹部逮捕 | 27日午後、ヴァネッサの幹部が王室を 標的とした怪文書を散布し、逮捕された。 文書の内容は、プリシラ王女の出生問題 が主体で、現王女は国王の実子ではないと 強い調子で指弾されていた。 王室会議は、この内容を否定している。 |
D26年10月第5週〜11月第1週 | |
29日:騎士団 第二次ダナン派兵を上申 | 29日、ドルファン騎士団は、占拠中の ダナンへの第二次派兵を、王室会議へ上申 した。 しかし7月の第一次派兵が失敗に終わっ た事から、王室会議側の反応は芳しくない 模様。 |
30日:王室会議 第二次派兵を却下 | 王室会議は、30日、騎士団に対して、 ダナンへの派兵を却下する回答を示した。 |
31日:セリナ運河でゴンドラ転覆 | 31日午後、セリナ運河を運航中のゴン ドラが、鉱石運搬船と接触し転覆。ゴンド ラに乗っていた遊覧客の1人が死亡した。 |
1日:第204回建国記念日 | 1日、第204回建国記念の祝典が、ド ルファン城内青の広間で行われた。 トルキア大帝国の一領であったドルファ ンが、大戦後、国として成立してから20 0年が過ぎた現在、祝典が行われるのは、 ごく一部となった。 |
1日:パリャールヌイ・サーカス来演 | シベリアのサーカス団「パリャールヌイ ・サーカス」が、1日午前、ドルファンへ 来演した。公演は来年2月まで行われる。 |
3日:ズィーガー砲一斉発射 | 3日午後、シーエアー地区海岸区のズィ ーガー砲群が、点検整備終了後、確認の試 射として、第1番砲群から第7番砲群まで 順繰りに一斉に発射され、晩秋の空にごう 音が響きわたった。 |
D26年11月第2週 | |
5日:ハンガリアで爆弾テロ | 5日、ハンガリア共和国ボルクで、劇場 に仕掛けられた爆発物が爆発。死者21名、 重軽傷者121名の大惨事となった。 この事件の直後、右派組織「ボルキア回 帰戦線」から犯行声明があった模様。 |
6日:燐光石 大量盗難 | 燐光石の流通を営んでいるマクトガル商 会の倉庫から、大量の燐光石が紛失してい るのが、6日午前、商会からの届け出で明 らかになった。 地区警備班は、現場の状況から組織的な 犯行として、捜査を進める模様。 |
8日:オライリー卿死去 | ボルキア革命の際、旧ボルキア王国(現 ハンガリア共和国)より亡命してきたアル メイト・オライリー卿が、8日未明、心不 全の為亡くなった。 |
10日:ヴァルファ シンラギ小競り合い | 10日、テラ北河ビックブリッジ周辺で ヴァルファバラハリアンとシンラギククル フォンの小競り合いが行われた模様。 戦闘は、しょう戒部隊同士によるものと 思われる。 |
D26年11月第3週 | |
11日:ハンガリアで再度爆弾テロ | 11日、ハンガリア共和国ボルクで、再 び爆弾テロが発生した模様。被害状況は、 まだ分かっていない。 |
12日:警察部隊 テロ組織アジトを急襲 | ハンガリア共和国ボルクで、12日、先 の二件の爆弾テロを実行したとされる右派 テロ組織「ボルキア回帰戦線」のアジトを 警察部隊が急襲。アジトに潜伏していたテ ロリスト12人を逮捕した模様。 |
13日:プリシラ王女 商店街をご訪問 | 13日午後、ドルファン地区城南区商店 街を、プリシラ王女がご訪問された。王女 は、ねぎらいのお言葉を各店舗でかけられ ていたが、事前に通達のなかったご訪問に 対し、市民は多少戸惑い気味であった。 |
15日:ドルファン病院でボヤ騒ぎ | 15日深夜、ドルファン病院でボヤ騒ぎ があった。出火の原因は、看護婦の火の不 始末とされ、地区消防班はこの看護婦から 事情を聴いている。 |
16日:王室会議 課税額引き上げを検討 | 16日、王室会議は、軍事費拡大を理由 に、来年4月に課税額の引き上げを行うべ く討議に入った。 |
D26年11月第4週 | |
19日:王室会議 課税額引き上げを決議 | 19日正午、王室会議は、課税額の引き 上げを来年4月1日から行うことで決議に 至ったことを関係各部に通達した。 この決議に対し各方面、特に財界から非 難の声があがっている。 |
21日:エルバデュール皇太子 留学 | 東欧圏スロバキア地方エルバデュール王 国の皇太子が、21日午後、スィーズラン ド連邦ベッヘルに到着した。皇太子の目的 は、学術院への留学。 |
22日:フェンネル地区で反対運動 | 22日午後、フェンネル地区城壁区に建 設が予定されている騎士団第二養成所を巡 って、周辺住民による反対運動が、地区広 場で行われた。 現在第一養成所で外国人傭兵の訓練が行 われており、治安問題で揺れている。 |
23日:シベリア軍船トルキア内海へ | 23日、シベリア軍船4隻が、トルキア 内海へ到着した。先の英海峡封鎖により、 今回は極北海側を経由した模様。 シベリア軍船は一両日中にヴァン=トル キアへ入港すると思われる。 |
D26年11月第5週〜12月第1週 | |
25日:シベリア軍増援部隊上陸 | 25日未明、シベリア軍の増援部隊が、 ヴァン=トルキアへ上陸した模様。 この事が内戦の戦況にどのような影響を 与えるか注目される。 |
27日:国王像破壊の男を逮捕 | 27日午後、ドルファン国立公園内にあ るデュラン国王の像を、近くにいた男が突 然、鉄ついを使用し、像の頭部など数ヶ所 を破壊した為、通報によって駆けつけた地 区警備班に逮捕された。 男は二十歳前後、身元は明らかでない。 |
28日:遺跡区で崩落事故 | 28日午後、カミツレ地区遺跡区の神殿 跡で、遺跡の一部が崩れ落ち、調査のため 訪れていた学術院の生徒が軽傷を負った。 これを受けて、文化部は崩落の危険性の ある一部の遺跡を立入禁止にする模様。 |
29日:ゲルタニア軍増援部隊入国 | 26日のシベリア側の増援部隊上陸を受 けて、29日午後、ゲルタニア側も増援部 隊をヴァン=トルキアへ入国させた。 王位継承問題から始まった内戦は、既に ゲルタニアとシベリアによる二国間紛争に すり替わりつつある。 |
2日:ザクロイド財閥 リドの太陽落札 | 王室から民間へ払い下げられたリゴディ ッドの名画「リドの太陽」を、2日の内売 会で、ザクロイド財閥が落札した。尚、落 札価格は公表されていない。 |
D26年12月第2週 | |
2日:サーカスの猛獣脱走 (Case.1:ホワイトタイガーを倒さない) |
2日午前、パリャールヌイ・サーカスの ホワイトタイガーをはじめとする猛獣6頭 が、テント内から脱走。シーエアー地区へ 逃走した。猛獣は夕刻までに取り押さえら れたが、15人の重軽傷者を出した。 |
2日:サーカスの猛獣脱走 (Case.2:ホワイトタイガーを倒した) |
2日午前、パリャールヌイ・サーカスの ホワイトタイガーをはじめとする猛獣6頭 が、テント内から脱走。シーエアー地区へ 逃走したが、折良く近くにいた東洋人傭兵 らの活躍により、正午までには猛獣は捕獲 され、被害者も出なかった。 |
2日:国立銀行で金塊強奪される | 2日午前、ドルファン地区城南区の国立 銀行が、覆面の集団に襲撃され、大量の金 塊が強奪された。 この事件の際、地区警備班はシーエアー 地区の猛獣騒動の応援に出ており、対処が 遅れた様子。 |
4日:阿片密造で東洋人グループ逮捕 | 4日夕刻、シーエアー地区港北区の倉庫 で阿片を密造していた東洋人グループを逮 捕。グループのリーダーと見られるリー・ シャオロンは、逮捕の際抵抗した為、その 場で刺殺された。 |
6日:バリントン邸全焼 | 6日深夜、マリーゴールド地区第参区に あるレオン・バリントン卿のお屋敷が全焼 し、奉公人数名が軽度の火傷を負った。 バリントン邸はザクロイド財閥の抵当に 入っており、今後バリントン家の存続が不 安視される。 |
8日:ケインズランドで暴動 | 8日、南洋圏オセアニア地方ケインズラ ンドで、大規模な暴動が発生した模様。 この暴動は先にオセアニア地方を襲った 大震災による食糧不足深刻化が要因と思わ れる。 |
D26年12月第3週 | |
10日:城壁の一部を修繕 | 首都北西部の城壁を修繕する作業が10 日から始まった。作業内容は、一部の破損 個所を補修する程度で、来月半ば頃には終 了する予定。 |
11日:エドワーズ島で竜巻発生 | 11日午後、エドワーズ島の南西部で大 型の竜巻が発生し、漁港など十数ヶ所に被 害を与えた模様。尚、負傷者等に関しては 明らかになってない。 |
13日:ダナンで銃密造疑惑 | 現在ヴァルファバラハリアンによって占 拠中のダナンにおいて、占拠以前から都市 の一画で銃の密造を行われていたとの噂が 関係者の間で流れている。密造されていた 銃はガリハント銃で、ヴァルファの銃兵隊 に提供されているとの噂もある。 |
15日:ケインズランド暴動鎮圧 | 8日に起こった南洋圏オセアニア地方ケ インズランドの暴動は国軍の出動により、 15日深夜、鎮圧された。 今回の暴動での死傷者は7日間で千人を 越えるとされ、震災に引き続き傷ましい惨 事となった。 |
D26年12月第4週 | |
16日:ドルファン地区で連続通り魔事件 | 16日の未明から深夜にかけて、ドルフ ァン地区城北区で2件、城東区で3件の計 5件の通り魔と見られる事件が発生した。 犯行はいずれもナイフを使用したもので 目撃者の証言からも、同一人物の通り魔的 犯行として捜査が進められている。 |
18日:偽金貨ちゅう造で学術院生逮捕 | 18日、ドルファン総合学術院内で偽金 貨をちゅう造していた生徒4名が、逮捕さ れた。没収された偽金貨は百数十枚に及び これまでに五十枚近くの偽金貨が、ヴァネ ッサの資金源として利用されたと、生徒の 供述で明らかになった。 |
22日:ロズウェル卿108歳の誕生日 | 22日、ジョージ・ロズウェル卿が10 8回目の誕生日を迎えられた。 卿は、白騎士の称号を持っており、騎士 団関係者が多く祝賀に訪れていた。 尚、国内での最長寿者として、卿に対し 近く王室から恩典がもたらされる予定。 |
D26年12月第5週 | |
23日:通り魔事件フェンネル地区へ波及 | 23日の未明から深夜にかけて、フェン ネル地区住宅区で3件の通り魔事件が発生 した。犯行は一連の通り魔事件と酷似して おり地区警備班は同一犯と判断し、容疑者 の割り出しに全力をあげている。 |
24日:各地でイヴ模様 | クリスマス・イヴの24日、各地でイヴ を楽しむ催し物が開かれた。 ドルファン城でも、民間人へ城内の一部 を開放してパーティーを催すなど、イヴな らではの光景が見受けられた。 |
26日:ダナン周辺に際立つ動きなし | 26日、ウエールに駐屯していた第七警 戒部隊が、交代のため首都城塞へ引き上げ てきた。警戒部隊の報告によると、ダナン 周辺に際立った動きは見られず、年内に大 規模な事変は起きないものと、軍部は判断 している。 |
28日:王室会議 最終報告会 | 28日、今年最後の王室会議が、各部の 最終報告会を中心に行われた。 この会議では、途絶しているプロキアと の休戦協定締結と、ダナン解放へ向けての 様々な討議が行われた模様。 |
D26年12月第6週〜D27年1月第1週 | |
30日:連続通り魔事件解決 | ここ2週間、日曜日ごとに起きていた連 続通り魔事件が、30日午前、犯人の現行 犯逮捕で幕を閉じた。 逮捕されたゴア・ノートル(38)は、 一連の犯行を、天の導きによるものと供述 しており、取り調べは難航している。 |
31日:各地でシルベスター | 31日、各地でシルベスターが催され、 冬空の中、カウントダウンの声と花火の音 で盛り上がった。 |
1日:デュラン国王 新年第一回公務 | 1日午前、ドルファン城謁見の間におい て、デュラン国王の謁見が行われた。謁見 は王室会議の各位、各部代表者の順で行わ れ、この際プリシラ王女も同席された。 尚、ここ数年ご病気で姿が見られないエ リス王妃は、今回もご欠席であった。 |
1日:第一回王室会議開かれる | 1日午後、第一回王室会議が開かれ、ダ ナン問題を中心に、今年の方針を模索する 討議が行われた。 |
3日:ロズウェル卿死去 | 3日深夜、ジョージ・ロズウェル卿が、 急性心不全で亡くなられた。 卿は、先月22日に108歳の誕生日を 迎えられたばかり。 |
4日:ウエール駐屯部隊増強へ | 現在、占拠中のダナンへの橋頭ほとなっ ているウエールの駐屯部隊を増強する為、 軍部は騎士団第五大隊の一部を、4日午後 首都城塞から出発させた。 |
D27年1月第2週 | |
7日:アルビア軍船 一時寄港 | 7日午後、アルビア海軍の軍船5隻が、 ドルファン港へ一時寄港した。 ドルファンの海の守りとも呼ばれる友好 国の軍船を一目見ようと、見物人が多数押 し掛け、港湾事務局は対応に四苦八苦だっ た様子。 |
8日:連続通り魔 独房で自害 | 8日深夜、連続通り魔事件の犯人ゴア・ ノートルが、処刑囚用独房内で舌をかみ切 って死んでいるのが発見された。 尚、絞首刑は10日に行われる予定だっ た。 |
10日:マルタギニア海で財宝発見 | 10日、マルタギニア海で演習中のアル ビア海軍が、沈没船の中から財宝を発見し た。沈没船は旧イスラのアラド王家のもの で、財宝は金銀の食器類とのこと。 現在アラド王家は、その血筋が途絶えて おり、返還等の抗議は無いと思われる。 |
11日:シアターで観客ドミノ倒し | 11日夕刻、ドルファン地区城南区のシ アターで、観客がドミノ倒しになる事故が あり、16名が軽傷を負った。 |
D27年1月第3週 | |
15日:ヴァネッサ各支部 一斉捜索 | 15日、各地区警備班は、左派組織ヴァ ネッサの各支部を一斉捜索した。 この背景には、爆弾テロのスペシャリス トとして中東圏で恐れられたアジル・メサ ムが密かに入国したとの噂が流れた事があ り、区警はテロへの警戒を強めている。 |
16日:ヴァン=トルキア内戦 続報 | 長期化しているヴァン=トルキアの内戦 で、16日午後、アレイス家の拠点ハーベ ルンにゲルタニア軍が侵攻し、シベリア軍 との激しい戦闘が繰り広げられた模様。 |
17日:ゲルタニア軍ハーベルンを陥落 | 17日深夜、クルニガム家に加勢してい るゲルタニア軍が、アレイス家の拠点ハー ベルンを陥落させた。 これにより内戦はクルニガム家優勢とな り、やや停滞気味であった戦況を一気に覆 すことになった。 |
19日:燐光石せっ盗グループを逮捕 | 19日、各地で燐光石の大量せっ盗を続 けていた犯行グループと、燐光石の闇取引 を行っていたブローカーを、シーエアー地 区港北区で一斉逮捕した。 |
D27年1月第4週 | |
20日:シベリア軍の一部撤退 | ヴァン=トルキア内戦においてアレイス 家に荷担していたシベリア軍の一部が、ハ ーベルン陥落を機に撤退しつつあることが ゲルタニア政府の発表で明らかになった。 |
22日:運河にテロリストの遺体 | 22日未明、セリナ運河中流域で、密か に入国したと噂されていたテロリスト、ア ジル・メサムが遺体となって発見された。 遺体発見の状況は、昨年五月の神父殺害 事件と酷似しているが、地区警備班は事件 の関連性は薄いとしている。 |
23日:ヴァネッサ 区警を非難 | 23日、左派組織ヴァネッサは、地区警 備班を非難する内容の文書を各地で配布し た。 22日にアジル・メサムが遺体となって 発見されたことで、ヴァネッサは先の一斉 捜索を見当違いとして非難している。 |
24日:プロキア ヴァルファ文書を公表 | 24日午後、プロキア側は、ダナンを占 拠中のヴァルファバラハリアンから、昨年 11月から再三に渡って共闘を求める文書 が送られていた事を明らかにした。 尚、プロキアのヘルシオ公は、共闘の意 志はないと、言明している。 |
25日:カミツレ山中で山火事 | 25日午後、カミツレ地区山岳部のカミ ツレ山中で山火事が発生。火は8時間に渡 って燃え続けたが、深夜近くになって鎮火 した。この火事で消防班の数名が軽度の火 傷を負った模様。 |
26日:バリントン家破産 | 25日に発生した山火事によって、バリ ントン家の保有林が焼失していたことが明 らかになり、ザクロイド財閥は、バリント ン家への融資を撤回、資産回収に乗り出し た。昨年の屋敷全焼と相まって、バリント ン家は事実上破産となる。 |
D27年1月第5週〜2月第1週 | |
28日:王室会議 ダナンへ再度使者派遣 | 28日、王室会議は、占拠中のダナンへ 再度使者を派遣することを決定した。 派遣は来月初旬が予定されている。 |
29日:スィーズランド北部で大雪崩 | スィーズランド北部の山岳地帯で巨大な 雪崩が発生し、ふもとの村二ヶ所を飲み込 んだ。 前日より一斉避難が行われていた為、雪 崩による犠牲者はなかった模様。 |
30日:イゴール式汽笛を採用 | 船舶等で使用されていた汽笛(ノイシュ 式)が、30日からイゴール式に変更され る。イゴール式は従来のノイシュ式より簡 易化されており、音量も微調整が可能。 |
1日:ダナン使者派遣 4日に決定 | 王室会議は、二回目のダナンへの使者派 遣を、今月4日に行うことを軍部へ通達し た。 |
D27年2月第2週 | |
4日:ダナンへの使者出発 | 4日午前、ダナンへの二回目の使者が、 首都城塞を出発した。 今回の目的は、前回に引き続きヴァルフ ァ軍団長への接見、ベルシス卿の召還が主 となっている。 |
5日:大時計塔の鐘を交換 | 時報として親しまれている大時計塔の鐘 が、5日午前、新しくちゅう造したものと 交換された。音色は今までと変わらぬもの になるよう、ちゅう造には細心の配慮をし たと関係者は話している。 |
6日:使者 ヴァルファ軍団長と接見 | 6日深夜、ドルファン側の使者が、ヴァ ルファバラハリアンの軍団長デュノス・ヴ ォルフガリオと接見し、約二時間話し合い を続けたが、物別れに終わった模様。 破滅のヴォルフガリオと呼ばれる敵軍団 長との接見は、これが初となる。 |
7日:イスラハムで異教徒弾圧 | 7日、中東圏イスラハムのカダホフ師が 国内の異教徒を弾圧すべく、軍隊を出動さ せていたことが明らかになった。 これまでに弾圧された異教徒は1万余に のぼると伝えられているが、真偽は定かで ない。 |
8日:ダナンへの使者無事帰還 | 8日午後、ダナンへ派遣されていた使者 が、無事首都城塞へ帰還した。 使者の報告では、6日の接見は物別れに 終わり、その後ベルシス卿への接見を求め たが、ベルシス家側から拒絶されたとのこ と。 |
D27年2月第3週 | |
10日:イスラハムで異教徒1万余が虐殺 | 10日、中東圏イスラハムで、カダホフ 師の軍事行動で、国内の異教徒1万余が虐 殺されていたことが、イスラハムの隣国イ リジアの調査で明らかになり、師の行動に 対する抗議が各国であがっている。 |
12日:地下水道で金塊を発見 | 12日午後、ドルファン地区城東区の地 下を流れる地下水道の一画で、管理局の作 業員が、金塊の入った麻袋を発見した。 この金塊は昨年12月に起きた国立銀行 襲撃事件の際に盗まれた金塊の一部である ことに、ほぼ間違いない模様。 |
13日:トルキア内海で接触事故 | 13日未明、ドルファンの外商船とセサ 公国の軍船が、トルキア内海のベルタ島付 近で、濃霧の中、接触事故を起こした。 幸いにも大事に至らなかった模様。 |
14日:王女 バレンタインデー慰問 | 14日、プリシラ王女が、シーエアー地 区岬区の孤児院を慰問され、孤児たちにチ ョコレートをお配りになられた。 この突然のプレゼントに、孤児たちは顔 をほころばせていた様子。 |
16日:皆既月食の夜 | 16日の夜、皆既月食が観測され、一時 的に人々は夜空に釘付けになった。前回の 皆既月食は、あいにくの雨天であったが、 今回は晴天に恵まれ、現象を観測すること ができた。 |
D27年2月第4週 | |
18日:央華軍 ユイメンを包囲 | 18日、中華皇国の央華軍は、シベリア 軍に占拠されたユイメンを包囲した。央華 軍には、シンラギククルフォン紅東軍団が 参加しており、中華皇国側の今回の奪回作 戦における不退転の決意がうかがえる。 |
20日:ユイメン攻防戦始まる | 20日深夜、ユイメンを包囲していた央 華軍が、攻撃を開始。一方シベリア軍もユ イメンにたてこもり応戦。激しい攻防戦が 繰り広げられている模様。 |
21日:城壁警備隊員が転落死 | 21日深夜、首都城塞を取り巻く城壁の 警備隊員が、城壁から転落して死亡した。 同僚の警備隊員の話では、死亡したヤン ・イフィーゲル隊員は、食後に飲酒したと みられ、酔った弾みで誤って転落した可能 性が高いとされている。 |
23日:央華軍 ユイメン奪回に成功 | 23日、央華軍はユイメン奪回に成功し た模様。包囲されていたシベリア軍は降伏 し、25日までに中華皇国領から撤退する との噂が流れている。 |
D27年2月第5週〜3月第1週 | |
25日:シベリア軍 中華皇国領から撤退 | 25日、中華皇国側の発表によると、ユ イメン奪回作戦は、シベリア軍の降伏によ り、23日午後には終了。25日深夜まで には降伏したシベリア軍は黒竜江を渡河、 シベリア領へ撤退したとのこと。 |
26日:トルクの若者グループ逮捕 | 26日午後、地区警備班はアラブ人3人 を襲っていた、トルクを名乗る若者グルー プ10人を傷害の現行犯で逮捕した。 トルクはトルキア人至上主義を掲げる過 激派の通称で、最近になってゲルタニアを 中心に流行り始めた。 |
28日:騎士団に暗い影 | 28日午後、シーエアー地区軍事区騎士 団第四兵舎に、軍部内務査察班が家宅捜索 に入った。内務査察班は、騎士団の一部で 麻薬取引が行われているとして、今回の捜 索を強行し、証拠物品23点を押収した模 様。 |
1日:フェルドマン少佐逮捕 | 1日午前、軍部内務査察班は騎士団第五 大隊所属のカール・フェルドマン少佐以下 5名を麻薬取締法違反で逮捕した。 フェルドマン少佐は黒騎士の称号を持つ 猛者として、騎士団内での評判は高く、今 回の逮捕は、関係者を驚かせている。 |
2日:麻薬密売組織を壊滅 | 2日未明、港湾管理局は、ドルファン港 第二ふ頭から民間船に乗って国外逃亡を計 ろうとしていた麻薬密売組織のアントニオ ・カルデロンをはじめ幹部5人を一挙逮捕 した。今回の逮捕は、軍部内務査察部の協 力によって実現したとされる。 |
D27年3月第2週 | |
3日:クルニガム4世戴冠式 | 3日、内戦が続くヴァン=トルキアの首 都トルキアで、エラン・クルニガム4世の 戴冠式が、略式で行われた。 尚、アレイス家側の反抗は、ゲリラ化し つつも、未だ続いており、内戦は慢性化の 傾向にある。 |
4日:ゲルタニア 旧トルキア領獲得 | 4日午後、クルニガム4世は、今回の王 位継承問題で尽力したゲルタニアに対し、 領土の一部を割譲する意の親書を送ったこ とを明らかにした。 今回割譲されるのは、ヴァン=トルキア の南東部ベスタの一部。 |
5日:エドワーズ島でホテル火災 | 5日未明、エドワーズ島のコステデロ・ ホテルの2階で火災が発生し、宿泊客の男 性1人が死亡。原因は、亡くなった男性客 の火の不始末とみられている。 尚、ホテル側の被害は3部屋を焼失した のみで、経営には支障がないとのこと。 |
6日:空中庭園に新種のフローゼ | 6日、ドルファン城展望部の植物園、通 称「空中庭園」に、新種のフローゼが仲間 入りした。 新種のフローゼは、アルビア皇太子から プリシラ王女宛に贈られたもので、5日深 夜、船便で届けられた。 |
7日:国際馬術連盟 規定を一部変更 | 国際馬術連盟は、ライセンス取得の規定 を一部変更した。 これまでA級ライセンスの取得には、国 内競技におけるB級での規定ポイント取得 と規定の経験年数が必須だったが、今回の 変更では経験年数の項目は削除された。 |
D27年3月第3週 | |
11日:ゲルタニア軍駐留継続 | 11日、ゲルタニア政府は、ヴァン=ト ルキアに駐留しているゲルタニア軍を、内 戦終結まで引き続き駐留させることを明ら かにした。 依然、ヴァン=トルキアでは反抗勢力の ゲリラ活動が続いている。 |
13日:王室会議 ダナン派兵を決議 | 13日午後、王室会議は第二次ダナン派 兵を早くとも来月下旬をめどに行うことで 決議に至った。 第一次ダナン派兵が失敗に終わったこと から、騎士団の派兵要求を退けてきた王室 会議も、ようやく腰を上げたと言える。 |
15日:軍部 全軍投入も辞さず | 軍部のアレックス・ヘルドマン准将は、 15日、第二次ダナン派兵には全軍投入も 辞さない考えであることを、関係者に漏ら した。 |
16日:国軍 アレイス派ゲリラに苦戦 | 内戦の続く、ヴァン=トルキアでは、国 軍がアレイス派ゲリラに苦戦を強いられ、 16日、ゲルタニア軍の出撃に至った。 アレイス派ゲリラの戦術指導にシベリア 側のスペツナズがついており、各地で小規 模な戦闘が頻発している。 |
D27年3月第4週 | |
18日:ザクロイド財閥 兵器市場へ | 単独で兵器の流通を行ってきたコーラル 商会が、18日、ザクロイド財閥に買収さ れた。ザクロイドは兵器市場にも進出する と見られ、今後の動向が注目される。 |
19日:王室会議 ザクロイドを牽制 | 19日、王室会議はザクロイド財閥に対 し、軍備増強を理由に供出金を請求した。 これに対しザクロイド側は供出金の支払 いは承諾したものの、今回の請求は明らか なる横車として不平を抱いている様子。 |
21日:ピクシス卿 暴漢に襲われる | 21日夕刻、マリーゴールド地区第一区 で、アナベル・ピクシス卿の乗った馬車が 暴漢に襲われた。幸いピクシス卿に怪我は なく、暴漢も即刻取り押さえられた。 卿を襲った男は、金で雇われたと話して いる。 |
22日:スィーズランドで爆発事故 | 22日、スィーズランドのビューゲルで 兵器工場が爆発する事故が発生した。 この工場では新型の長距離砲を開発して おり、事故調査委員会は事故と事件の両面 から調査を進める模様。 |
D27年3月第5週 | |
24日:ダナンで軍事行動の気配 | 占拠中のダナンで、24日、ヴァルファ バラハリアンの部隊が一部移動を開始した ことが、味方斥候部隊の報告により明らか になった。 |
25日:斥候部隊報告は誤報 | 24日のダナンの報告で、敵部隊の移動 の内容は誤報であったことが、25日午後 の報告で明らかになった。 敵部隊と思われたのは、ダナンの商業隊 で、これらはプロキア領ハーベン方面へ向 かった模様。 |
27日:反対運動の拠点を撤去 | 27日午後、フェンネル地区城壁区の軍 施設建設予定地で、反対運動の拠点となっ ていたバラックを、地区警備班と軍部特殊 機動班の協力で撤去した。この際に反対派 住民ともみ合いになり、民間人3人が軽傷 を負った。 |
30日:トルクと外国人労働者で乱闘 | 30日夕刻、シーエアー地区港北区の大 衆酒場で、酒を飲んでいた5人のリディア 人と、トルク(トルキア人至上主義者)の 若者4人が乱闘騒ぎを起こし、地区警備班 に逮捕された。 |
D27年4月第1週 | |
1日:税額引き上げ | 昨年王室会議で決まった課税額の引き上 げが、1日から施行された。各課税の平均 上昇率は5%前後。 |
2日:契約違反の傭兵 逮捕 | 2日午前、第一次傭兵徴募で雇用された 傭兵カイル・マクライオンが、契約期間満 了を待たずに無断で海外へ脱出しようとし たところを、出入国管理局によって逮捕さ れた。 |
3日:第二次ダナン派兵 来月初旬予定 | 王室会議は、占拠中のダナンに対し、第 二次派兵を行うことを決定した。 派兵の日程は来月上旬を予定しており、 今回は第一次派兵を上回る兵数を投入する と見られている。 |
4日:契約違反の傭兵 絞首刑 | 4日午前、先に契約違反並びに不法出国 で逮捕された傭兵カイル・マクライオンが 軍部裁判所の処刑場で絞首刑になった。 |
6日:ダナン近辺で小爆発 | 6日未明、ダナン近辺の街道で小規模の 爆発があったことが、斥候部隊の報告で明 らかになった。 軍関係者は、件の爆発は地雷等の設置失 敗が濃厚として、派兵時の地雷対処法の検 討に入る模様。 |
D27年4月第2週 | |
9日:劇団アガサ オーディション公募 | 国内で最も人気の高い劇団アガサが、オ ーディション出場者を公募する。 今回公募を行う理由として、これまで閉 鎖的であった劇団に新風を吹き込む為と、 主催者であるロバート・クリスティー氏は 語っている。 |
9日:幼児 馬車にはねられ死亡 | 9日午前、フェンネル地区河川区で、通 行中の馬車にはねられた幼児が死亡する事 故が発生した。 死亡したのは近くに住むアリス・パッカ ードちゃん(5)で、地区警備班は馬車の 運転手を業務上過失致死で逮捕した。 |
10日:アレイス派ゲリラ 銃大量購入 | 10日、内戦の続くヴァン=トルキアで アレイス派ゲリラが、スィーズランドより ガリハント銃5千丁を購入していたことが 明らかになった。 剣が主戦力であったトルキア地方でも、 諸処で銃火器への傾倒が進んでいる模様。 |
12日:王室会議提案を騎士団が棄却 | 12日、王室会議が提案した騎士団の編 成変更案を、騎士団側が棄却していた事が 明らかになった。 編成変更案の内容は、新たに銃兵団を設 けるもので、剣の信奉者である騎士団側は これを不服とし、棄却した模様。 |
D27年4月第3週 | |
14日:劇団アガサ オーディション開催 | 14日、フェンネル地区のシアターで、 劇団アガサの公開オーディションが行われ たくさんの一般参加者が訪れた。 今回のオーディションでは、ティーナ・ ステラさん(18)が、次回作の準ヒロイ ンとして選ばれ、話題となった。 |
15日:火力装備ゲリラに圧倒 | 15日、ヴァン=トルキアのハーベルン で、ゲリラ掃討の任にあたっていたゲルタ ニア軍が、ガリハント銃を主装備としたゲ リラ部隊に遭遇。圧倒的な火力を前にゲル タニア兵は敗退した模様。 |
17日:エリータス家に強盗侵入 | 17日深夜、マリーゴールド地区第一区 にあるマリエル・エリータス婦人の屋敷に 強盗が侵入し、奉公人を負傷させた後、逃 亡した。 尚、盗難の被害は無かった。 |
18日:ヴァルファ ウエール侵攻か? | 18日の斥候部隊の報告で、ダナンを占 拠中の傭兵騎士団ヴァルファバラハリアン に新たな動きがある事が明らかになった。 ヴァルファ側は、盛んにウエール方面へ 斥候部隊を出動させており、近くウエール への侵攻が予想される。 |
19日:ウエール駐屯部隊臨戦態勢 | 19日、ウエール駐屯の各部隊は、予想 されるダナンからの襲撃に備えて、臨戦態 勢に突入した。 尚、ウエールから増援を求める声があが っており、近く軍部は騎士団第三大隊を派 遣する模様。 |
20日:ヴァルファ ダナンを出撃 | 20日深夜、ヴァルファバラハリアンの 大部隊がウエールに向けて出発した模様。 斥候部隊の報告では、編成は不明なもの の、目撃兵数から算出して四大隊出撃は確 実と見られている。 |
D27年4月第4週 | |
21日:シンラギ ダナンを奇襲 | 21日未明、プロキア領ハーベンに駐屯 していたはずのシンラギククルフォンが、 突如ダナン北部地域に出現、ヴァルファの 残留部隊と衝突した模様。 |
21日:ヴァルファ シンラギ部隊を包囲 | 21日午前、ダナンを急襲中のシンラギ ククルフォンを、ヴァルファバラハリアン の大部隊が包囲しつつあるとの報告があっ た。 19日深夜のウエールへの出撃は、今回 の包囲を行う為の擬装であった模様。 |
22日:ヴァルファ シンラギ部隊せん滅 | 22日未明、ヴァルファバラハリアンが 包囲網の中にあったシンラギククルフォン をせん滅したとの報告があった。 尚、ヴァルファは再びダナンへ集結し、 ウエールへの侵攻の気配は、現時点では薄 いものと見受けられる。 |
24日:シンラギ部隊の大半はプロキア兵 | 22日ヴァルファバラハリアンによって 壊滅させられたシンラギククルフォンのダ ナン急襲部隊は、部隊の大半がプロキア兵 であった事が、24日、判明した。 シンラギ紫南軍団は現在部隊の一部を失 なったもののハーベンで健在の模様。 |
25日:ヘルシオ公 シンラギを非難 | プロキアのヘルシオ公は、現在プロキア 軍に参加中のシンラギククルフォンのグエ ン軍団長に対し、編成は明らかにシンラギ 兵力の温存を図った悪質なものと、先のダ ナン急襲作戦を強く非難する内容の文書を 送った。 |
26日:第二次派兵 来月5日に決定 | 26日、来月初旬に予定されていた第二 次ダナン派兵が、正式日程として来月5日 に決定した事が明らかになった。 尚、今回の派兵は第一から第八大隊まで を動員し、前回の4倍の兵力になる模様。 |
D27年4月第5週〜5月第1週 | |
29日:ヴァンデラル山噴火 | 29日、南洋圏オセアニア地方のマーベ ル島で、島中央部のヴァンデラル山が噴火 した模様。 |
1日:五月祭 今年は盛況 | 1日、サウスドルファン駅を中心に五月 祭が催され、今年は例年通りの人出が見受 けられた。 派兵を来週頭に控えた今年の五月祭であ ったが、あまり大きな影響は与えなかった 模様。 |
2日:騎士団で乱闘騒ぎ | 2日午後、軍部騎士団第二兵舎で、騎士 同士の乱闘騒ぎがあり、原因の二名が謹慎 処分になり、乱闘に参加した15名が厳重 注意となった。 |
3日:麻薬服用の騎士3人逮捕 | 3日、軍部内務査察班は、宿舎で阿片を 服用していた騎士3名を、麻薬不法所持で 逮捕した。 派兵を目前に控え、立て続けの不祥事と いう騎士団内の秩序の乱れに、各方面で非 難の声があがっている。 |
4日:第二次ダナン派兵 明日に迫る | 4日、第二次ダナン派兵が明日に迫り、 首都城塞は緊張した空気に包まれた。 先の第一次派兵が失敗に終わったことか ら、軍部では7大隊動員という必勝の構え で今回の派兵に臨んでいる。 |
D27年5月第2週 | |
5日:第二次ダナン派兵開始 | 5日正午、第二次ダナン派兵の部隊が、 一部の部隊を除き占拠中のダナンへ向けて 首都城塞を出発した。 ウエールの駐屯部隊とは、6日未明まで には合流を予定。総勢7大隊と、今回の派 兵は大規模なものになった。 |
5日:プロキア軍 ハーベンを出発 | 5日午後、プロキア軍とシンラギククル フォンの大部隊が、ハーベンを出発。テラ 北河国境線に向けて進軍中であることが、 明らかになった。 これにより期せずしてドルファンとプロ キアがヴァルファを挟撃する形となった。 |
6日:ヴァルファ テラ北河方面へ | 6日未明、ヴァルファバラハリアンの主 力が、ダナンを出発。テラ北河国境線方面 へ進軍中との報告が入った。 ヴァルファ側は、兵数で大幅な開きのあ るドルファンとの交戦を避け、同数のプロ キア混成軍を攻撃目標としている様子。 |
8日:ダナン攻防戦始まる | 8日未明、国境都市ダナンにおいてドル ファン側先鋒部隊と、ヴァルファ側残留部 隊が交戦状態に入った。 戦況は、兵数で勝るドルファン側に有利 の模様。 |
9日:ドルファン騎士団大勝 | 9日午前、騎士団第一大隊が、ダナンに 残留していたヴァルファの部隊をせん滅し たとの報告が入った。 尚、テラ北河国境線ではヴァルファ側が プロキア軍を打ち破った模様。今後の動き が注目される。 |
10日:ダナン 約1年ぶりに解放 | 昨年3月末から敵側の占領下にあった国 境都市ダナンが1年ぶりに解放された。 騎士団の各大隊は11日までに首都城塞 へ撤収の予定。 尚、ダナンの統治権を持つベルシス家は 騎士団の部隊駐屯を拒否している。 |
D27年5月第3週 | |
12日:ヴァルファ テラ北河下流域へ | 9日にプロキア・シンラギ混成軍を打ち 破ったヴァルファバラハリアンの主力部隊 は、12日、テラ北河下流域へ移動してい ることが、ハンガリア国境警備隊の報告で 明らかになった。 |
13日:王室会議 ベルシス卿に召喚状 | 13日午前、解放されたダナン在任の元 王室会議参位ゼノス・ベルシス卿に対し、 王室会議から召喚状が送られた。 ベルシス卿は、統治権を盾にダナンへの 騎士団の駐屯を拒否し、中央との分権化を あからさまにしている。 |
14日:ベルシス卿 召喚を承諾 | 14日午前、ゼノス・ベルシス卿は召喚 に応じる旨を、王室会議側へ伝えた。 ベルシス卿の首都城塞への来訪は、今月 20日が予定されている。 |
16日:ヴァルファ プロキア領でへい息 | 16日、テラ北河下流域に移動した傭兵 騎士団ヴァルファバラハリアンは、プロキ ア領コーグ付近に駐留していることが、プ ロキア側の発表で明らかになった。 ヴァルファ側に確実な補給路がないこと から、近く何らかの動きが予想される。 |
17日:プロキアに内乱の予兆? | 17日、ヘルシオ公は、プロキアの南東 域を領有するイエルグ家が、先に壊滅した と思われるシンラギククルフォンの紫南軍 団の残存兵を不穏当な目的で自領に集結さ せていると、強く非難した。 尚、イエルグ伯はこの事実を否定。 |
D27年5月第4週 | |
20日:ベルシス卿 王室会議に出席 | 20日午後、首都城塞を訪れたダナンの ゼノス・ベルシス卿が、喚問を受けるため 王室会議に出席した。 会議では、ピクシス卿とベルシス卿が激 しく論争し、終始平行線をたどった模様。 尚、会議は21日も行われる模様。 |
22日:ベルシス卿暗殺 | 22日夕刻、ドルファン地区城南区で、 ゼノス・ベルシス卿の乗った馬車が何者か に襲撃され、卿をはじめ護衛や御者を含む 8人が殺害された。 |
23日:ベルシス卿暗殺は未遂 | 23日午前、22日に暗殺されたベルシ ス卿は、別人であったことが、地区警備班 の発表で明らかになった。 本物のベルシス卿は、22日未明には密 かに首都城塞を発っており、ダナンへの帰 路にある模様。 |
24日:ベルシス卿 ピクシス卿を非難 | 24日、無事ダナンへ帰還したゼノス・ ベルシス卿は、先の暗殺未遂事件はアナベ ル・ピクシス卿の謀略であると、強く非難 した。 これに対しピクシス卿は、事実無根の虚 言として、真っ向から対決する様子。 |
D27年5月第5週 | |
28日:内戦一時休戦へ | 泥沼化していたヴァン=トルキアの内戦 が、国力疲弊を懸念したクルニガム現国王 派からの譲歩で、一時休戦へ向かう模様。 現国王派は、アレイス派に対し、アレイ ス家の存続並びに領地の補償等を掲げてお り、アレイス派もこれに応じる様子。 |
29日:注射ミスで患者死亡 | 29日午前、ドルファン病院内科病棟で 看護婦がブドウ糖注射した患者が死亡する という事故が起こった。 事故の原因は、薬局員が麻酔用ベルカイ ン液を間違えて看護婦に渡した為とされ、 関係者から事情を聴いている。 |
30日:考古学術院閉校式 | 30日午前、ドルファン地区城北区のド ルファン考古学術院で閉校式が行われた。 考古学術院は来月1日からドルファン総 合学術院の中に移設される。 |
31日:スポーツの祭典開催される | 31日、スポーツの祭典が、フェンネル 地区運動公園で開催された。 今年も晴天に恵まれ、汗を流す人々の姿 が多数見受けられた。 |
D27年6月第1週 | |
2日:女優オードリー・ノーム引退 | 2日、スィーズランドのイルム国際劇場 で、世界的な人気を誇る大女優オードリー ・ノームの最後の舞台が行われ、彼女の引 退を惜しむファンが国内のみならず、海外 からも訪れた模様。 |
2日:ヴァルファ八騎将を討ち取る ※ライナノールに勝利 (Case.1:止めを刺した) |
2日午前、カミツレ地区遺跡区において 不法入国したヴァルファバラハリアンの騎 士を、東洋人傭兵が討ち取った。 死亡した騎士は、氷炎のライナノールの 異名を持つヴァルファ八騎将(部隊長)の 一人で、戦場における賞金首であった。 |
2日:ヴァルファ八騎将を拘束 ※ライナノールに勝利 (Case.2:見逃した) |
2日午前、カミツレ地区遺跡区において 不法入国したヴァルファバラハリアンの騎 士を、ラージン卿の子息が拘束した。 拘束された騎士は氷炎のライナノールの 異名を持つヴァルファ八騎将(部隊長)の 一人で、戦場における賞金首であった。 |
3日:ヴァン=トルキア内戦一時休戦 | 3日午後、ヴァン=トルキアの首都トル キアで、クルニガム派とアレイス派の両代 表が会見し、一時休戦の合意に至った。 尚、現国王クルニガム4世とアレイス2 世の両名は、会見の場には姿を見せなかっ た模様。 |
6日:八騎将の遺品盗難 ※ライナノールに勝利 |
先日問題となったヴァルファバラハリア ン八騎将の一人ルシア・ライナノールの遺 品である装備一式が、保管されていた軍部 中央本部局から盗み出された。 内務査察班は内部事情に明るい者の犯行 として調べている模様。 |
8日:デュラン王 49回目の誕生日 | 8日、デュラン王は、49回目のお誕生 日を迎えられた。今年は、第二次派兵が大 成功を収めたこともあり、王宮内での祝典 は盛大に行われた模様。 |
D27年6月第2週 | |
9日:ハーベンにシンラギ集結 | 9日、プロキア領ハーベンに先に壊滅し たシンラギククルフォン紫南軍団の残党が 集結しつつある事が、ダナンからの報告で 明らかになった。 先のヘルシオ公のイエルグ伯に対する非 難は事実に基づいたものであった。 |
10日:ヘルシオ公 正式締結を望む | 10日午後、プロキアのヘルシオ公は、 ドルファン王室会議に対し、うやむやに なっていた休戦協定を早期に締結したい という内容の親書を送った。 |
11日:王室会議 休戦協定締結へ | 11日の王室会議で、先のプロキアから の休戦協定締結を望む声に対し、今月末ま でに実現を目指す内容の決議が下された。 ドルファン側はダナン、プロキア側はハ ーベンという、両者共に国内問題を抱えて いる状況が、締結を急がせたと見られる。 |
13日:カミツレ山中でセルバ鳥を確認 | 13日午前、カミツレ地区カミツレ山中 で、セルバ鳥(学名リオデステリオン)の 生息が、近隣の住人によって確認された。 セルバ鳥は、トルキア地方では絶滅した ものと見られており、学会では近く保護に あたる模様。 |
D27年6月第3週 | |
17日:王室会議 休戦協定調印を決定 | 17日午後、王室会議は、プロキアとの 休戦協定締結の調印を、今月24日に行う 予定であることを明らかにした。 両国の会見は、国境都市ダナンにおいて 行われる模様。 |
18日:プロキア 今月24日で合意 | 18日午前、プロキアのヘルシオ公は、 休戦協定締結における調印式を、今月24 日ダナンで行うことで合意した模様。 |
21日:人命救助の男性水死 | 21日午後、セリナ運河で、おぼれてい た幼児二人を助けようとした男性が、水死 するという傷ましい事故が起こった。 尚、幼児二人は男性によって助けられて いた。 |
22日:カミツレ地区で夏至祭 | 22日、恒例の夏至祭がカミツレ駅前を 中心に賑わいを見せた。 今年は、先の戦勝があってか、例年より 心持ち盛況と見受けられた。 |
D27年6月第4週 |
23日:プロキア領ハーベンで武装蜂起 | 23日、プロキア領ハーベンにおいて、 イエルグ家を中心とした武装蜂起が起こっ た模様。 イエルグ家の兵力は、シンラギククルフ ォン残党とプロキア軍の一部を含め、かな りのものと見られる。 |
24日:休戦協定調印式流れる | 24日に予定されていた、ドルファン側 とプロキア側との休戦協定における調印式 が、23日のハーベンの武装蜂起により、 延期となった。 尚、次回の日程は未定。 |
25日:イエルグ伯 独立を宣言 | 25日正午、ハーベンで武装蜂起を起こ したイエルグ家の当主カール・イエルグ伯 は、プロキアのヘルシオ公に対し、ハーベ ンを中心とするプロキア南東部は、プロキ ア支配より独立することを宣言した。 |
26日:ヘルシオ公 イエルグ伯に通告 | 26日午後、プロキアのヘルシオ公は、 先に独立を宣言したイエルグ家に対し、独 立は認めないとして、武力による制圧もあ り得ることを通告した。 これに対しイエルグ伯は、応戦の構えを 見せている。 |
28日:セルバ鳥殺害の男逮捕 | 28日午後、保護動物に指定されていた セルバ鳥を弓で射殺したとして、近隣に住 む狩人ジョニー・ヘルマン(27)を、文 化部自然調査班が逮捕した。 セルバ鳥は、29日に学会の調査隊によ って保護される予定であった。 |
D27年7月第1週 | |
1日:ヘルシオ公 ハーベンへ派兵決定 | 1日、プロキアのヘルシオ公は、独立を 進めるハーベン地域へ軍隊を派遣すること を明らかにした。 尚、派兵は遅くとも今月末までには行わ れる様子。 |
3日:研究用毒蛇7匹が脱走 | 3日、ドルファン総合学術院の薬学棟か ら毒蛇7匹が脱走し、近隣区域は大騒ぎと なった。 毒蛇は熱帯圏に生息する猛毒を持つもの で、地区警備班と学術院生徒による大捜索 の結果、夕刻には無事捕獲が終了した。 |
4日:シベリア軍全面撤退へ | 4日、一時休戦中のヴァン=トルキアで、 アレイス派ゲリラに戦術指導をしていたス ペツナズをはじめとするシベリア軍は、今 月末までに全面撤退することが、アレイス 派の発表で明らかになった。 |
5日:厚生部 心臓病の新薬を承認 | 5日、厚生部は、一昨年スィーズランド で開発された心臓病の新薬ニトロパドメニ ンの使用を、一部承認した。 ニトロバドメニンは発作時の「どうき」 を抑制する効果があり、国内での承認が待 ち望まれていた。 |
D27年7月第2週 | |
8日:プロキア軍 首都プロキアを出発 | 8日、プロキアの首都プロキアから、プ ロキア軍の大隊がハーベン方面に向けて出 発していたことが明らかになった。 このまま事態が推移すると、昨年4月に 起きた内乱と同様の事態にまで発展の恐れ が出てきた。 |
10日:グローニュにて両軍にらみ合い | 10日、プロキア南東地域への玄関口グ ローニュにて、ヘルシオ公の軍とイエルグ 伯の軍が遭遇、両軍距離をおいてのにらみ 合いに入った模様。 |
11日:王室会議 静観を決定 | 11日の王室会議で、現在プロキアで起 きている内乱に対し、ドルファン側として は事態の推移を見守るのみとして、静観の 立場をとることが決定した模様。 |
12日:プロキア領グローニュで戦闘 | 12日未明、にらみ合いの続いていたヘ ルシオ公側の部隊とイエルグ伯側の部隊が 交戦状態に入った模様。 尚、プロキア軍同士の戦闘は、昨年4月 のヘルシオ公による反乱以来で、ヘルシオ 公にとって皮肉な事態となった。 |
13日:シンラギ部隊によるゲリラ戦有利 | 12日未明から続いているヘルシオ公部 隊とイエルグ伯部隊との戦闘は、イエルグ 伯側に所属しているシンラギククルフォン のゲリラ戦法により、イエルグ伯側が有利 の模様。また今回の戦闘で、シンラギのグ エン・ベノ・ワンチャイの健在が明らかに。 |
D27年7月第3週 | |
14日:ヘルシオ公 南東地域より後退 | 14日午後、ヘルシオ公側の部隊が、グ ローニュでの戦況不利を理由に、南東地域 より後退した模様。 尚、イエルグ伯側に追撃の意志は無いと 見られる。 |
15日:第一次派兵から一年が経過 | 昨年7月の第一次派兵から一年が経過し た15日の今日、戦死者への哀惜の意を込 めて、各地で黙とうが行われた。 尚、今月21日には合同慰霊祭が城内で 行われる予定。 |
17日:シベリア軍撤収開始 | 17日、ヴァン=トルキアで、シベリア 軍の撤収が始まった。 現在の予定では31日までに撤収は終了 するものとされている。 |
19日:ドルファン病院で食中毒 | 19日、ドルファン病院外科病棟に出さ れた昼食で、15名が吐き気やげりなどの 症状を訴えた。 原因は昼食に含まれていた小エビにある と見られている。 |
D27年7月第4週 | |
21日:戦死者合同慰霊祭 | 21日午前、ドルファン城第二広場にお いて、第一次、二次を含む戦死者の合同慰 霊祭が行われた。 尚、第二次派兵における戦死者に関する 合同慰霊は、今回が初となる。 |
22日:マグタラ絵画展 | 22日、隔年で開催されるマグタラ絵画 展が、王立美術館において開催された。 一昨年に比べ、今回は佳作揃いで、審査 員は頭を悩ましていた模様。 |
23日:プロキア南東地域で小規模戦闘 | 23日、プロキア南東地域で小規模戦闘 が発生。ここ1週間で、12回もの小規模 戦闘が頻発した。 ヘルシオ公側はグローニュの敗退以来、 大規模な作戦を行う気配が無く、暫くはこ の状態が続く模様。 |
25日:カミツレ地区で落雷による火災 | 25日午後、突然の激しい雨の中、落雷 が発生し、カミツレ地区山岳部の個人農場 内に生えていた巨木が被雷。火災が発生し たものの雨の手助けもありすぐ鎮火した。 |
27日:シベリア軍撤収終了 | 27日、ヴァン=トルキアに駐留してい たシベリア軍の撤収が、同日夕刻までに終 了した模様。 これでヴァン=トルキアの内戦は名実共 に休戦に至ったと見られる。 |
D27年7月第5週〜8月第1週 | |
29日:ライン河はんらん | 29日、オースティニア地方を流れる国 際河川ライン河下流域が台風の影響により はんらんした模様。 はんらんした地域は人家も多く、被害の ほどは判明していない。 |
30日:爆発物不法所持で逮捕 | 30日午後、地区警備班は、ドルファン 地区城西区のヴァネッサ支部を捜索、爆発 物数点を押収し、この支部のヴァネッサ構 成員8人を逮捕した。 尚、この支部はヴァネッサの中の過激派 アウル・ヴァネッサに属していた。 |
1日:アルビア皇太子来邦 | 1日午後、アルビアのアム・シュードラ 皇太子が来邦した。 友好国アルビア皇太子の来邦とあって、 各地区警備班は厳重な警戒態勢を敷き、こ の来邦に対応した。 |
2日:アム皇太子 王女とご歓談 | 2日夜の晩さん会において、アム皇太子 は、プリシラ王女と長時間ご歓談され、以 前にまして親密のご様子。 巷ではアム皇太子とプリシラ王女のご婚 約が期待され、今後お二人の関係からは、 目が離せそうもない。 |
3日:王立美術館で爆発物発見 | 3日午前、来邦中のアム皇太子が視察さ れる予定だった王立美術館で、爆発物が発 見され関係者を緊張させた。 爆発物は無事処理され事なきを得たが、 犯行は皇太子の視察を狙ったものと見て、 皇太子の周辺警備を更に厳重にする模様。 |
D27年8月第2週 | |
5日:アム皇太子ご帰国 | 5日午後、ドルファンを来訪中であった アム・シュードラ皇太子が、帰国の途につ かれた。 ドルファン港へはプリシラ王女も参られ アム皇太子のご帰国を見送られた。 |
7日:国際的テロリスト逮捕 | 7日午後、地区警備班はフェンネル地区 住宅区のヴァネッサ支部にかくまわれてい た国際的テロリスト、モハメド・アジルを 先の王立美術館テロ未遂の件で逮捕した。 アジルはスエズ解放戦線のメンバーで、 現在国際指名手配中であった。 |
8日:ゲルタニアでトルク問題深刻化 | ゲルタニア共和国ではトルク(トルキア 人至上主義)思想による外国人排斥運動が 深刻化している。 8日にもトルクによる外国人労働者殺害 事件が発生し、トルク問題は加速的に拡大 しつつある。 |
9日:親子連れ高波にさらわれ水死 | 9日午前、シーエアー地区海浜区の海水 浴場で、海水浴に来ていた親子3人が高波 にさらわれて水死した。 水死した親子は遊泳禁止区域で泳いでい たと見られている。 |
D27年8月第3週 | |
11日:ヴァン=トルキアで休戦決壊 | 11日、ヴァン=トルキアの各地でアレ イス派ゲリラに対する国軍の攻撃が始まり、 事実上クルニガム現国王派が休戦合意を覆 したこととなった。 6月の合意から二ヶ月、平和な日々は余 りにも短かったと言える。 |
12日:プロキア内部混乱続く | 12日、南東地域独立問題に揺れるプロ キアで、今度は北西地域の領主ヘルドマン 家が独立を主張し、プロキアの支配体制は 混迷の縁をさまよいつつある。 ヘルドマン家の背後にはハンガリア政府 の存在が見受けられる。 |
14日:ヴァネッサ音頭による労働者デモ | 14日、採掘労働者を中心とするデモ行 進が、ヴァネッサの音頭取りによってドル ファン地区中央区で行われ、出動した近衛 隊との間で、乱闘寸前の光景も見られた。 行進は夕方まで城門前を中心に行われた 模様。 |
15日:各地で薬草の特売会 | 動植物の日である15日、各地で薬草の 特売会が行われた。 1年で最も効能のある日として、例年盛 況になる特売会だが、今年も晴天に恵まれ 人出もまずまずであった模様。 |
17日:ヴァン=トルキアで死者多数 | クルニガム現国王派は、17日までに国 内の不穏分子であったアレイス派ゲリラ2 千余名を掃討したと、明らかにした。 発表ではゲリラ2千余名とあるが、民間 人を含めると5千人を越える死者が出たも のと思われる。 |
D27年8月第4週 | |
19日:王室会議 クルニガム派を非難 | 19日、王室会議は、先にクルニガム現 国王派が行った休戦撤回並びにゲリラ掃討 を、明らかなるだまし討ちとして、現国王 派を強く非難するコメントを発表した。 |
22日:ヘルシオ公 ヴァルファへ使者 | 22日、プロキアのヘルシオ公は、プロ キア領コーグ付近でへい息していた傭兵騎 士団ヴァルファバラハリアンに対し、何ら かの使者を派遣していたことが明らかにな った。 |
23日:ヴァルファ 活動を再開 | 23日、今年の五月下旬から活動を停止 していたと思われるヴァルファバラハリア ンが、プロキア領コーグ付近から首都プロ キアへ移動中であることが確認された。 恐らく先のヘルシオ公からの使者に関連 した動きと見受けられる。 |
24日:ヘルシオ公 ヴァルファと契約 | 24日午後、プロキアのヘルシオ公は、 内乱抑止力として傭兵騎士団ヴァルファバ ラハリアンを雇い入れる事を明らかにした。 更にヘルシオ公は、近く北西地域のヘル ドマン家を攻める意志があることも、言外 に示していた。 |
D27年8月第5週 | |
25日:ヘルドマン家 ヘルシオ公に恭順 | 24日のヘルシオ公の発言を受けて、ヘ ルドマン家の当主バスク・ヘルドマン伯は ヘルシオ公に対し、先の独立宣言を撤回し 恭順する内容の親書を送った模様。 今回の件は、ヴァルファの抑止力が早速 効果を現した典型的な出来事と言える。 |
26日:宮内局 三年ぶりにメイドを公募 | 26日、王室部宮内局はドルファン城勤 務のメイドを三年ぶりに一般に公募した。 一般への公募は、三年前のエリザベス事 件が原因で、取り止めとなっていた。 |
28日:ヘルドマン家 人質差し出し | 28日、プロキア北西地域の領主ヘルド マン家は、ヘルシオ公に対し次女を側室に 入れる意志があることを明らかにした。 これは実質上の人質差し出しであり、更 に先の独立宣言撤回も合わせ、ヘルドマン 家の軽薄さを冷笑する声も多い。 |
30日:王室会議 ヴァルファを懸念 | 30日に開かれた王室会議では、現在プ ロキア首都に駐留しているヴァルファバラ ハリアンに関する諸問題と、ヘルシオ公へ の今後の対応について話し合われた模様。 |
D27年9月第1週 | |
2日:貴金属店で宝石数点盗難 | 2日午前、マリーゴルド地区第六区の貴 金属店で、宝石数点が盗難に遭ったとの通 報が、地区警備班にあった。 盗まれた宝石は、いずれも高価な物で、 その他の貴金属類には手が着けられてなか った事から、プロによる犯行と見られる。 |
3日:ハンガリアで水路トンネル落盤 | 3日、ハンガリアの北部アバナンの街で 水路トンネルの落盤事故が発生し、作業員 20人が死亡した模様。 |
5日:主婦 熊に襲われる | 5日午後、カミツレ地区森林区付近の路 上で、近くに住む主婦が熊に襲われ、全治 3ヶ月の重傷を負った。 問題の熊は、駆けつけた狩人らによって 退治された。 |
6日:ザクロイド財閥に脅迫状 | 6日午後、ザクロイド財閥に対し、燐光 石市場開放を迫る内容の脅迫状が送りつけ られた。 脅迫状にはザクロイド所有の採掘場に爆 薬を仕掛けたと記述されていたが、ザクロ イド側は、これを無視する意向。 |
D27年9月第2週 | |
9日:トルク学生 外国人排斥集会 | 9日、トルクを名乗る学生グループが、 ドルファン総合学術院の中庭で、外国人排 斥を訴える集会を開き、学術院側から除名 処分を受けた模様。 |
11日:森林区 自然保護団体が視察 | 11日午後、一部で汚染が確認されるカ ミツレ地区森林区を自然保護団体が視察し た。 視察の中で、化学薬品による植物の奇形 化や腐食などが見られ、団体は森林区内の 個人施設の立ち退きを要求している。 |
14日:採掘現場爆破未遂の男を逮捕 | 14日未明、ザクロイド財閥が所有する 燐光石の採掘現場で、爆薬を仕掛けようと した男が、作業員によって取り押さえられ 地区警備班に引き渡された。 男は金で雇われたと供述。先に財閥に送 られた脅迫状との関係は否定している。 |
D27年9月第3週 | |
16日:レッドゲート開閉部破損見つかる | 16日午前、フェンネル地区城壁区にあ る西の関門レッドゲートの開閉部が破損し ているのが、警備隊員の報告により明らか になった。 修理は20日までかかる見込みで、その 間、開閉は行われない模様。 |
18日:エドワーズ島沖で漁船転覆 | 18日未明、エドワーズ島沖の海域で、 漁船が転覆し、乗組員12人が死亡、2人 が行方不明になる事故が発生した。 事故の起こった海域では、暴風雨が発生 していた模様。 |
20日:外国人傭兵 婦女暴行で逮捕 | 20日夕刻、フェンネル地区城壁区にあ る軍施設近くの路上で、高等部の女生徒が 外国人傭兵3人に暴行され、負傷する事件 が起きた。 犯行に及んだ外国人傭兵3人は、犯行か ら2時間後、軍施設入口で逮捕された。 |
21日:近隣住民 軍施設前でデモ | 20日の外国人傭兵による女生徒暴行事 件を受けて、21日午後、近隣住民が軍施 設前で抗議デモを行った。 デモは夕刻まで続き、軍部関係者は住民 への応対に四苦八苦していた模様。 |
D27年9月第4週 | |
23日:セサ公国で遺跡発掘 | 23日、セサ公国の北部地域で大トルキ ア時代以前の遺跡が発掘された。 近くスィーズランドから考古学術院の調 査隊が派遣される模様。 |
25日:文化部 教育管理局を再編 | 25日、文化部は、これまで学校教育の 管理にあたっていた教育管理局を、新たに 教育委員会と名称を改め、再編することを 明らかにした。 |
26日:ブルゴーニュ産ワインに異物混入 | 26日に輸入されたブルゴーニュ産ワイ ン3千5百本に異物が混入している事が、 厚生部食品管理局の調べで明らかになった。 混入していたのはメチルアソノイドで、 服用すると泥酔状態なることから、故意に 混入された疑いがもたれている。 |
27日:ジャンベルグ暗殺 | 27日、スィーズランドのベンヒルで、 作家のアルベルド・ジャンベルグ氏がハン ガリア右派組織の男によって刺殺された。 ジャンベルグ氏は「真旅行記」など冒険 小説を書く一方、君主制を非難する「自然 回帰」など多くの禁書も執筆していた。 |
D27年9月第5週〜10月第1週 | |
29日:収穫祭開催 | 29日、収穫祭がフェンネル地区を中心 に催された。 今年の収穫高は昨年を上回り、ここ10 年間の平均的数値に達する模様。 |
1日:乗り合い馬車値上げ | 1日、乗り合い馬車の路線運賃が、20 %値上げされた。 今回の値上げは、駅の新設、馬車本数の 増加を目して行われたものと、関係者は話 している。 |
2日:トルクメンバー器物破損で逮捕 | 2日午後、シーエアー地区港北区の外国 人寄宿舎に石などが投げ込まれ、寄宿舎の ガラス8枚が割られ、地区警備班は近くに いたトルクを名乗る青年5人を器物破損で 逮捕した。 |
3日:森林区で爆発音 | 3日午後、カミツレ地区森林区内で激し い爆発音が発生したと、近隣の住民から通 報があった。 爆発音はドルファン地区城北部まで響く ほどの大音響で、地区警備班は森林区を調 査したが、原因はつかめていない模様。 |
4日:ヴァネッサ 孤児院にろう城 | 4日午前、シーエアー地区岬区の孤児院 で、ヴァネッサの構成員2人が、孤児を人 質に立てこもった。 犯人側の要求は先に爆発物所持で逮捕さ れた幹部の即時釈放。現場はまだ緊張状態 にある模様。 |
5日:孤児院ろう城事件解決 | 5日未明、4日にシーエアー地区岬区で 発生した孤児院ろう城事件は、地区警備班 の突入によって幕を閉じた。 ヴァネッサ構成員2人を逮捕、爆発物1 点を押収、孤児たちに怪我はなかった。 |
D27年10月第2週 | |
7日:テラ・ヴァネッサ 過激派を非難 | 7日、ヴァネッサの中でも穏健派である テラ・ヴァネッサは、先のろう城事件を非 難する内容の文書を配布した。 先の犯行は、ヴァネッサの過激派アウル ・ヴァネッサの構成員によるもので、左派 グループ間での思想対立が見受けられる。 |
9日:ゲルタニア 野党提携へ | 9日、ゲルタニアの首都ベルリンで行わ れた野党首脳会談で、自連、国民、改革を はじめとする野党各党は、トルク思想政権 樹立に向けて提携することを、明らかにし た。 |
10日:北露圏イクルーツクでクーデター | 10日、シベリア連邦のイクルーツクで、 駐屯軍によるクーデターが発生したことが 明らかになった。 クーデター軍はイクルーツクの大部分を 制圧し、クーデターは、ほぼ成功に向かっ ている模様。 |
12日:猛犬 通行人12人を死傷 | 12日夕刻、フェンネル地区住宅区の路 上で、放し飼いになっていたドーベルマン が次々と通行人を襲い、処分されるまでに 計12人を死傷させた。 この事件で、近くに住む老婦人が死亡し、 地区警備班は飼い主から事情を聴いている。 |
D27年10月第3週 | |
13日:猛犬の体内から麻薬反応 | 12日に起きたドーベルマンによる死傷 事件を調べていた地区警備班は、死亡した ドーベルマンの体内から麻薬による薬物反 応が確認されたと発表した。 件のドーベルマンは日頃おとなしく、事 件の日の行動は不可解に思われていた。 |
15日:12日の事件で薬剤師を逮捕 | 12日に起きた猛犬が12人を死傷させ た事件で、地区警備班は現場近隣に住む薬 剤師ケン・ギルバード(36)を逮捕。 薬剤師は、事件当日、件のドーベルマン に覚醒剤を注射した事を認めている。 |
16日:恒例の鹿狩り行われず | 16日、毎年恒例となっていた鹿猟が、 今年はデュラン国王ご不調の為、行われな かった。 国王は軽いお風邪の様で、一両日中には ご回復の模様。 |
17日:シベリア軍クーデター鎮圧へ | 17日、イクルーツクで発生した陸軍将 校らによるクーデターを鎮圧する為、近隣 都市駐屯の各大隊が、イクルーツクに向け て出発した模様。 |
19日:イクルーツクで武力衝突 | 19日、シベリア連邦のイクルーツクで クーデター軍と鎮圧軍とが交戦状態に入っ た模様。 20日にも鎮圧軍の増援が到着する予定 で、クーデター側の圧倒的不利がささやか れている。 |
D27年10月第4週 | |
21日:首謀者自決でクーデター鎮圧 | 21日、シベリア連邦のイクルーツクで 起きたクーデターは、反乱軍の降伏により 幕を閉じた。 今回の反乱の首謀者と見られるスミノフ 大佐は、20日深夜の時点で自ら命を絶っ ていた模様。 |
22日:コール首相リコール | 22日午後、ゲルタニア国会において、 自由連合党が提出したW・コール首相解任 提案が、野党の提携により可決した。 尚、国会は近く解散、来月初旬には総選 挙が行われる事態となった。 |
23日:ドルファン地区を中心に怪文書 | 23日午後、ドルファン地区を中心とし て怪文書が出回った。 内容はプリシラ王女に関するもので、偽 王女は国外へ追放という意味の文章が書か れていた。尚、昨年のこの時期も同様の怪 文書が出回った。 |
24日:西欧圏ヤードにて大火災 | 24日、西欧圏イングランド地方のヤー ドで、大規模な火災が発生した模様。 火災はヤード北部グラス山地で発生し、 1万ヘクタールを延焼、近隣の住宅160 戸近くを巻き添えにしたと見られている。 |
26日:プリシラ王女 18回目の誕生日 | 26日、プリシラ王女が18回目のお誕生 日を迎えられた。 パーティーの会場で、祝賀者からご結婚 について尋ねられると、王女は笑ってお答 えになられなかったとのこと。 |
D27年10月第5週〜11月第1週 | |
28日:ゲルタニア 野党新党結成へ | 28日、ゲルタニアの首都ベルリンで、 野党首脳会議が開かれ、トルク思想を基軸 とした新党を結成することで合意に至った。 新しい党名は、新トルク党。実質上の野 党連合であることから、与党共和党をしの ぐ議席数を持つことになる。 |
29日:王立美術館にがん作数点紛れ込む | 29日午前、王立美術館に展示中の名画 「メーベの裸婦像」をはじめとする数点が、 がん作であることが、専門家の鑑定で明ら かになった。 美術館側は、がん作の展示を取り止め、 近く処分する模様。 |
30日:新トルク党々首にゲーツ大佐就任 | 30日、ゲルタニアの新トルク党の党首 に、ゲルタニア=プロキア戦争の英雄ハイ ンリヒ・ゲーツ大佐が就任した。 このゲーツ大佐の選出は、各野党の元党 首らによる会議で決められた様子。 |
1日:第205回建国記念日 | 1日、第205回建国記念の祝典が、ド ルファン城内青の広間で行われた。 今年は205周年メダルが発行され、各 地で販売された模様。 |
D27年11月第2週 | |
3日:ヴァルファ プロキア南東地域へ | 3日、傭兵騎士団ヴァルファバラハリア ンが、プロキア南東地域の制圧を目的とし て、首都プロキアを出発した模様。 ヴァルファの軍事活動は実に半年ぶり。 |
4日:ゲルタニア総選挙 | 4日、ゲルタニアで総選挙が行われ、各 地で投票が行われた。 解散まで1週間、総選挙まで3日と、共 和制施行以来、異例の早さで事態が進行し ており、この動きを懸念する人も少なくな い。尚、開票は8日までに行われる。 |
6日:ヴァルファ グローニュを突破 | 3日に首都プロキアを出発したヴァルファ バラハリアンが、6日午後、グローニュを 守備していたイエルグ伯の軍勢を打ち破り、 難なくグローニュを突破したと伝えられた。 現在ヴァルファはイエルグ伯側の本拠地 ハーベンに向かっている模様。 |
7日:禁書の解禁を巡り論争 | 今から50年前の法制度のもと禁書にな った出版物の解禁を巡る討議が、文化部と 王室会議の間で、7日午後、行われた。 現在、禁書制度は撤廃されているが、撤 廃以前に禁書として指定された出版物に関 しては、今も尚、出版が認められていない。 |
8日:ゲルタニアで新トルク党第一党に | 8日午後、ゲルタニアで総選挙の開票結 果が発表され、トルキア人至上主義を掲げ る新トルク党(党首ゲーツ大佐)が、圧倒 的な議席数で、第一党となった。 コール元首相率いる共和党は、初の野党 としての立場を迎える。 |
D27年11月第3週 | |
11日:ゲルタニア新政権発足 | 11日、ゲルタニアではH・ゲーツ大佐 が首相に就任し、新トルク党による新政権 が発足した。 共和制施行以来の急変にもかかわらず、 ゲルタニア国民は取り乱した様子もなく、 新政権への支持を明らかにしている。 |
12日:ヴァルファ ハーベン近くで停滞 | 12日、南東地域の玄関口グローニュを 突破したヴァルファバラハリアンが、ハー ベンを目前にして行軍を停止したとの未確 認情報が入った。 |
14日:王室会議 トルク新政権を懸念 | 14日の王室会議では、ゲルタニアの新 政権への対応についての討議が行われた。 ゲルタニアの新政権は、いわば軍事力を 信奉した巨大なトルク(トルキア人至上主 義者)であり、排他思想による極右化を懸 念している。 |
16日:火炎ビン所持男を逮捕 | 16日深夜、マリーゴールド地区第一区 の路上で、巡回中の警備班員が挙動不審の 男に職務質問したところ、火炎ビン4本を 所持してたのが発覚、逮捕となった。 男は、貴族階級に対し何らかの含みを持 っていた模様。 |
D27年11月第4週 | |
17日:修学旅行生8人が急性中毒に | 17日深夜、エドワーズ島へ修学旅行に 訪れていたドルファン学園高等部の生徒の 中8人が急性アルコール中毒症の症状を訴 え、病院に運ばれた。 運ばれた生徒らは、深夜、保護者の目を 盗んで飲酒をしていた模様。 |
19日:ヴァルファ 国境線へ転進 | プロキア領ハーベン近域で停滞していた ヴァルファバラハリアンが、突如、国境線 へ向けて進軍を開始したことが、19日、 プロキア側からの報告で明らかになった。 |
20日:軍部非常態勢へ | 20日、軍部はヴァルファバラハリアン の国境侵犯を想定して、各大隊へ非常態勢 をとるよう通達した。 現在ヴァルファは、テラ河中流域の国境 線を目指して進軍している模様。 |
21日:ハーベンのシンラギ部隊追撃 | 21日、プロキア領ハーベン駐留のシン ラギククルフォンの部隊が、目前で転進し たヴァルファバラハリアンを追撃すべく、 ハーベンを出撃した模様。 |
22日:ヘルシオ公 ドルファン側へ釈明 | 22日午後、プロキアのヘルシオ公より ドルファン側へ、ヴァルファバラハリアン の一連の行動に関しては、まさに不測の出 来事と、釈明に近い内容の声明があった。 |
23日:王室会議 騎士団出撃を承認 | 23日、緊急に開かれた王室会議で、騎 士団の出撃が承認された。 王室会議から通達を受けた軍部は、騎士 団の各大隊へ、準備が整い次第出撃する旨 を伝えた模様。 尚、時間的に月末が濃厚と見られる。 |
D27年11月第5週 | |
24日:ヴァルファ カラードを通過 | 24日、プロキア南部の小都市カラード をヴァルファバラハリアンが通過したとの 報告がもたらされた。 これでヴァルファの目的が、テラ中流域 (北河国境線)にあることが明白となり、 軍部も非常事態へ向けて準備を急ぐ模様。 |
25日:プロキア南部で集中豪雨 | 25日、プロキア南部で集中豪雨が発生 し、テラ北河にはんらんの恐れが出てきた 模様。 |
26日:シンラギ 追撃を断念 | ヴァルファバラハリアンを追撃中であっ たシンラギククルフォンの部隊は、プロキ ア南部カラード付近で転進。追撃を諦めた 模様。 |
27日:テラ北河はんらん | 25、26日の集中豪雨で増水したテラ 北河が、中流域・下流域で、はんらんした との報告が入った。 |
29日:ヴァルファ 中流域で停滞 | 29日、国境線を目指していたヴァルファ バラハリアンが、テラ北河中流域のプロキ ア領側で停滞しているのが、しょう戒部隊 によって確認された。 ヴァルファは、はんらんが収まるのを待 つ様子で、渡河強行の可能性は低い模様。 |
D27年12月第1週 | |
1日:騎士団各大隊 国境線へ出撃 | 1日正午、騎士団第二、第三、第五の三 大隊が、テラ河国境線へ向けて、首都城塞 を出発した。 他の大隊は準備が整い次第出発の予定。 |
3日:国境線を挟んでのにらみ合い | 3日、テラ河国境線を挟んで、ドルファ ン騎士団とヴァルファバラハリアンが、に らみ合いとなった。 河川の増水は、3日午後になって収まり つつあり、両軍渡河の瞬間をねらっての対 陣が続く模様。 |
4日:国境線でのにらみ合い続く | 3日から始まった両軍のにらみ合いは、 4日に入っても、尚継続中の模様。 河川の水勢は渡河可能段階まで落ちてい るものの、両軍とも好機を見出せないでい る様子。 |
5日:騎士団 渡河中の敵軍を粉砕 | 5日、騎士団第二、第三大隊は、しびれ を切らせて渡河してきたヴァルファバラハ リアンの一部隊を粉砕し、大勝を収めたと の報告が入った。 |
6日:ドルファン テラ河の戦いを勝利 | 6日、ヴァルファバラハリアンが国境線 から退き、ドルファン側が勝利したとの報 告がもたらされた。 尚、追撃を行った部隊は壊滅。騎士団は 追撃を断念し、首都城塞へ帰還する模様。 |
7日:騎士団 勝利の帰還 | 7日午後、テラ河の戦いで勝利を収めた 騎士団各大隊が首都城塞に帰還した。 デュラン国王は、今回の勝利を大いに称 えると同時に、戦死した兵士に対する哀惜 の意を述べられた。 |
D27年12月第2週 | |
9日:各地で戦死者葬儀 | 9日、各地で戦死者の葬儀が、個々の遺 族によって行われた模様。 前回に続き、今回も合同葬儀は行われな かった。 |
11日:ヴァルファ消息不明に | テラ河の戦い以後、プロキア領南部を移 動中であったはずのヴァルファバラハリア ンが、11日を境に消息不明となった。 まだかなりの兵数を保有する部隊である にもかかわらず、所在が確認できないとい うのは、不可解極まりない。 |
12日:騎士4人が民間人に乱暴 | 12日夕刻、シーエアー地区の飲食店で 騎士4人が民間人に乱暴を働き、地区警備 班に取り押さえられた。 騎士4人は泥酔状態で、身柄は軍部内務 調査班へ引き渡された模様。 4人は、先の戦いに出兵していた。 |
13日:馬車 待ち人の列に突っ込む | 13日午前、サウスドルファン駅前で、 待ち人の列に馬車が突っ込むという事故が 発生し、9人が重軽傷を負った。 目撃者の話では、馬車馬が突然悲鳴をあ げて暴れ出したとされ、地区警備班では、 御者から事情を聴いている。 |
D27年12月第3週 | |
16日:王室会議 ヴァルファを警戒 | 16日、王室会議は、消息を絶ったヴァ ルファに対し警戒を強めるよう、軍部に通 達した。 これを受けて、軍部は国境線での警戒を 強化する意味で、しょう戒部隊の増強を図 る模様。 |
17日:住宅地で32戸をのむ火災 | 17日夕刻、フェンネル地区住宅区で火 災が発生し、アパート4棟を含む計32戸 が延焼した。 この火災で2人が死亡、6人が軽い火傷 を負った模様。 |
19日:ゲルタニアでゲルト人デモ | 19日、ゲルタニアの地方都市バノンで ゲルト人によるデモが発生し、各所で治安 部隊との間で乱闘に至った。 この背景には、現在政府が進めているト ルキア人優遇政策があり、今後も同様の事 態が憂慮される。 |
20日:シルベスター用花火が爆発 | 20日午後、ドルファン地区城南部で、 シルベスター用の花火を保管していた倉庫 が爆発する事故が発生した。 現場は日頃から火気管理が行き届いてい た事もあり、消防班は不審火の可能性が高 いと、地区警備班へ伝えた。 |
D27年12月第4週 | |
24日:各地でイヴ模様 | クリスマス・イヴの24日、各地でイヴ を楽しむ催し物が開かれた。 今年もドルファン城では、民間人へ城内の 一部を開放してパーティーを催すなど、イヴ ならではの光景が見受けられた。 |
25日:孤児院にサンタの忘れ物 | 25日午前、シーエアー地区岬区の孤児 院の敷地に、金貨のつまった麻袋が投げ込 まれており、孤児院に出入りしているシス ターが地区警備班へ届け出た。 尚、盗難届、遺失物届などで、該当の金 額は無かった模様。 |
26日:軍部 国境警備を強化 | 26日、軍部は、新たにしょう戒部隊6 部隊を編成し、テラ河国境線へ向けて出発 させた。 |
27日:王室会議 最終報告会 | 27日、今年最後の王室会議が、各部の 最終報告会を中心に行われた。 今年の会議は、二回の戦勝があってか、 終始和やかに進められた模様。 |
D27年12月第5週〜D28年1月第1週 | |
31日:各地でシルベスター | 31日、各地でシルベスターが催され、 冬空の中、カウントダウンの声と花火の音 で盛り上がった。 |
1日:デュラン国王 新年第一回公務 | 1日午前、ドルファン城謁見の間におい て、デュラン国王の謁見が行われた。謁見 は王室会議の各位、各部代表者の順で行わ れ、この際プリシラ王女も同席された。 尚、今回もエリス王妃は、ご欠席であっ た。 |
1日:第一回王室会議開かれる | 1日午後、第一回王室会議が開かた。 今年は国防の在り方や、財政問題を中心 に討議が行われた。 |
3日:国境線警備にダナンも参加 | 3日午後、ダナンのベルシス卿は、国境 線警備に関しては、ダナンからも兵員を派 遣することを明らかにした。 ダナンでは現在騎士団駐屯が拒否されて いる為、派遣される兵はベルシス家直属の 近衛兵団と思われる。 |
4日:中度の地震感知 | 4日未明、比較的中度の地震がドルファ ン各地で感知された。 震源地はエドワーズ島近くと思われる。 |
D28年1月第2週 | |
5日:吊り橋落下で6人死亡 | 5日午後、カミツレ地区カミツレ山中の 吊り橋が落下し、家族連れを含む行楽客6 人が死亡した。 尚、この吊り橋は昨年末から使用禁止と なっていた。 |
7日:学園に空き巣の男逮捕 | 7日深夜、マリーゴールド地区第五区に あるドルファン学院に空き巣が忍び込み、 警ら中のガードマンに取り押さえられ、地 区警備班に連行された。 |
8日:マルタギニア海で衝突事故 | 8日未明、マルタギニア海クレタ島沖で、 外商船同士の衝突事故があった模様。 現在、アルビア海軍が調査に当たってい るが、詳細は不明。 |
9日:外商船衝突事故続報 | 9日、アルビア軍の報告によると、8日 未明に発生した外商船同士の衝突事故は、 乗組員12人が死亡、15人が行方不明で スィーズランド国籍の外商船は沈没した模 様。 |
11日:プロキア 二分化進む | 11日、プロキア南東地域を領有するイ エルグ家は、中央並びに他地域への侵攻は 考えておらず、専守防衛に徹することを宣 言した。 これに対し、ヘルシオ公からの反応は無 かった。 |
D28年1月第3週 | |
13日:国際部 情報局を二分 | 13日、国際部は国内外の情報収集・伝 達を行ってきた情報局を、外務情報局と内 務情報局に分割することを明らかにした。 尚、近く国際部自体の分割がささやかれ ている。 |
14日:ゲルタニアで治安警察発足 | 14日、ゲルタニア共和国で、外国人に よる犯罪を抑止する為の機関「治安警察」 が発足した。 しかし、この「外国人」の定義が、「ト ルキア人以外の民族」であることは、現政 府の性格から推察しうる。 |
15日:ボルネオ森林地帯で大火災 | 東洋圏南亜地方のボルネオで、国内の3 分の2を占める森林地帯で、大規模の火災 が、15日午後発生した。 尚、鎮火の気配は見られない模様。 |
17日:ボルネオ火災で周辺諸国に被害 | 17日、15日から続いているボルネオ 森林地帯の大規模火災により、南亜地方の 諸国に灰が降り注ぎ、間接的被害を受けて いる模様。 |
D28年1月第4週 | |
20日:国際部 外務部へ名称変更 | 20日、国際部の名称が今年4月から外 務部に変更されることが、王室会議で決定 された。 更に、先に分割された内務情報局が、文 化部文化広報局に吸収されることも、決定 した。 |
22日:ボルネオ森林火災鎮火 | 15日午後に発生した東洋圏南亜地方の ボルネオ森林火災が、8日目の22日午後、 ようやく鎮火に至った模様。 |
24日:銃密輸の留学生を逮捕 | 24日午後、スィーズランドより帰国し た留学生2名が、ガリハント銃2丁を密輸 しようとして、出入国管理局によって逮捕 された。 |
25日:女性による国内初A級ライセンス | 25日行われた馬術大会で総合優勝した ミル・マッカートニー選手が、規定ポイン トを取得し、国内初の女性A級ライセンス 所持者となった。 |
D28年1月第5週〜2月第1週 | |
28日:シベリア大使来訪 | 28日午後、シベリア大使のキルギスキ ー卿が、ドルファン港に到着した。 今回の来訪の目的は、鉄鉱・石炭の一部 自由化の最終的合意にあると思われる。 |
29日:鉄鉱・石炭 4月から一部自由化 | 29午前に行われたオーリマン卿とキル ギスキー大使の会談の結果、鉄鉱・石炭の 一部輸入自由化は、今年4月から実施され ることとなった。 この際、大使から燐光石の自由化も求め られたが、卿は首を縦に振らなかった。 |
30日:照明器具落下で舞台俳優重傷 | 30日午前、フェンネル地区のシアター で、リハーサル中に天井の照明器具が落下 した為、舞台俳優のリオン・スカッツさん が重傷を負い、病院へ運ばれた。 |
31日:岬区の灯台で点灯ミス | 31日夕刻シーエアー地区サンディア岬 にある灯台が点灯しないというハプニング があった。 点灯に使用される燐光石は先月に交換し たばかりで、管理員の灯火ミスないし失念 が原因と見られている。 |
1日:ハンガリアで新聞社全焼 | 1日、ハンガリアで新聞社が全焼する火 災が発生し、5人が死亡、16名が重軽傷 を負った模様。 尚、火災後、ボルキア回帰戦線から犯行 声明が出ており、新聞社のテロ批判に対す る報復と見られている。 |
D28年2月第2週 | |
3日:郵便物投棄で局員免職 | 3日午後、郵便局の局員2人が、配達物 を故意に投棄していたとして、免職になっ ていたことが明らかになった。 問題の局員らは、配達の手間を省く為、 排水溝などに郵便物を投棄していた模様。 |
4日:治安警察による不当逮捕相次ぐ | ゲルタニアでは、治安警察による不当逮 捕が相次ぎ問題になっている。 4日も、シュベルグで東洋人5人が、明 白な罪状がないまま逮捕され、拘留される という事件が起きた。 |
6日:ザクロイド 新規事業へ巨額投資 | 6日、ザクロイド財閥は、「ノーラッド 計画」を発表し、熱帯圏などに眠るダイヤ モンド鉱床の探査・発掘等を手がける事を 明らかにした。 しかし、熱帯圏への進出は未だ成功例が ない為、各方面で危険視されている。 |
8日:ドルファン港に船舶の一部漂着 | 8日未明、ドルファン港に船舶の一部と 見られる破片数点が漂着した。 専門家の鑑定では、スコットランド船籍 のものと判断が下され、最近の海難事故を 調べると同時に、スコットランドへの照会 も行う模様。 |
D28年2月第3週 | |
9日:ハンガリア領海上でシージャック | 9日午後、ハンガリアの領海上で、ボル キア回帰戦線のメンバーが民間船を乗っ取 り、ハンガリア政府に対し、同組織幹部の 即時釈放を求めている。 ハンガリア政府は、海軍を出撃させ、要 求には応じない模様。 |
10日:シージャック続報 | 9日にハンガリア領海上で発生したシー ジャック事件は、10日現在、ハンガリア 海軍の軍船が問題の民間船を包囲した状態 で、こう着状態が続いている模様。 |
12日:シージャック事件解決 | 12日未明、9日から続いていたハンガ リア領海上でのシージャック事件は、ハン ガリア海軍の突入により幕を閉じた。 この突入で、民間人5人が死傷、テロリ スト全員が死亡した模様。 |
13日:王室会議 テロ対策を検討 | 13日の王室会議では、先のハンガリア でのテロ事件などを受けて、国内でのテロ 対策強化を中心とした討議が行われた。 国内ではヴァネッサ過激派が最も警戒さ れており、テロ抑制として何らかの施策が 求められている。 |
14日:巨大なバレンタインチョコ登場 | 14日、ドルファン地区城南区にある菓 子店ショコラ・ポワールで、直径2メート ルほどのチョコレートがお目見えした。 尚、このチョコレートは夕刻には砕かれ て、通行人に配られた。 |
D28年2月第4週 | |
17日:商店街放火で現行犯逮捕 | 17日深夜、ドルファン地区城東区の商 店街で火災が発生し、商店3棟を焼いた。 尚、火災発生直後、現場から逃走した男 を周囲の民間人が取り押さえ、放火の現行 犯で地区警備班が改めて逮捕した。 |
19日:牧場の牛2頭解体 | 19日深夜、カミツレ地区山間区の牧場 で、雄雌計2頭の牛が解体されるという事 件が発生した。 死亡した牛は臓器等々が持ち去られてお り、現場に落ちていた医療用メスから、専 門家による犯行と見られている。 |
20日:牛2頭から麻酔薬検出 | 19日の解体事件で、死亡した2頭の体 内から麻酔薬が検出されたことを、調査に 協力した総合学術院の研究者が明らかにし た。 これを受けて、地区警備班は医療関係者 を中心に捜査を進める模様。 |
22日:ヘルシオ公 イエルグ伯と会談へ | 22日、プロキアのヘルシオ公は、同国 南東地域を領有するイエルグ伯との話し合 いの場を持つ意志があることを、明らかに した。 これに対しイエルグ伯は、まだ反応を見 せていない。 |
D28年2月第5週 | |
24日:イエルグ伯 話し合いを承諾 | 24日、プロキアの南東地域を領有する イエルグ伯は、ヘルシオ公との話し合いに 応じることを明らかにした。 会談は、来月3日グローニュにて行うこ とを前提に、両者の調整が行われる模様。 |
25日:バラの日で「死神払い」の号砲 | 25日、シーエアー地区海岸区の第八番 ズィーガー砲群において、春を迎える行事 の「死神払い」の号砲が冬空に響き渡り、 模擬弾が発射される度、見物客の間から歓 声があがった。 |
27日:武器不法所持の取締強化 | 王室会議は、テロ対策強化の一環として 武器不法所持の取り締まりを徹底化するこ とを軍部地区警備班へ通達した。 これを受けて地区警備班では、近く一斉 取り締まりを行う模様。 |
28日:トルク学生 武器不法所持で逮捕 | 28日午前、ドルファン地区城北区の公 園内で、自称トルク(トルキア人至上主義 者)の学生20人を、地区警備班は武器の 不法所持で逮捕した。 学生等は、サーベル等の長剣を所持して おり、携帯目的は明らかにしていない。 |
D28年3月第1週 | |
3日:グローニュ会談 | 3日午後、プロキア領グローニュで、ヘ ルシオ公側代表者とイエルグ伯側代表者に よる会談が行われた。 会談は終始平行線をたどり、会談は二日 目にもつれこむ模様。 尚、4日は直接会談になる模様。 |
4日:イエルグ伯暗殺される | 4日午前、二日目になる会談の席上で、 カール・イエルグ伯が、ヘルシオ公の側近 によって暗殺されるという変事が起こった。 尚、ヘルシオ公は事件発生直後、首都へ 引き上げている模様。 |
5日:イエルグ大佐報復を宣言 | 5日、暗殺されたカール・イエルグ伯の 長男カイル・イエルグ大佐は、今回の暗殺 劇の首謀者とみられるヘルシオ公に対し、 軍事行動による報復を宣言した。 尚、南東地域の拠点ハーベンでは、進軍 の準備が着々と行われている模様。 |
6日:王室会議 ヘルシオ公を批判 | 6日午後、王室会議は、先のイエルグ伯 暗殺事件について、ヘルシオ公の行動は人 道に反するものとして、公を批判する内容 のコメントを発表した。 しかし、王室会議としてはイエルグ大佐 側に荷担する意志は無いとしている。 |
7日:報復部隊 ハーベンを出発 | 7日午前、プロキア南東地域の拠点ハー ベンから、イエルグ大佐率いる部隊が首都 プロキアに向けて出発した模様。 |
8日:報復部隊 シンラギにより足止め | 8日夕刻、進軍中のイエルグ大佐率いる 部隊が、プロキア領グローニュ近辺で、味 方であるはすのシンラギククルフォンから 不意の攻撃を受け、立ち往生している。 今回シンラギは、報復部隊の先鋒を務め ていたが、突然背反した模様。 |
D28年3月第2週 | |
9日:報復部隊一時後退 | 9日、プロキア領グローニュ付近で足止 めを受けていたイエルグ大佐率いる報復部 隊は、一時後退をした模様。 尚、背反したシンラギククルフォンは、 グローニュに入った模様。 |
10日:国立公園で無差別死傷事件 | 10日午前、ドルファン地区の国立公園 内で、男がいきなり近くにいた民間人6名 を次々と刃物で斬りつけ死傷させる事件が 発生した。 男は駆けつけた地区警備班員によって逮 捕されたが、重度の錯乱状態であった模様。 |
12日:国内にダイヤモンド鉱床? | 12日、ドルファン総合学術院の考古学 術班は、大トルキア時代以前には国内にダ イヤモンド鉱床が存在していたことを示す 古文書の一部を、旧図書館跡地下で発見し た。 |
14日:報復部隊 ハーベンへ撤収 | 14日、イエルグ大佐率いる報復部隊が 南東地域の拠点であるハーベンへ撤収した ことが明らかになった。 報復部隊は、グローニュでシンラギの背 反に遭ってから士気が下がっていたものと 見られる。 |
D28年3月第3週 | |
17日:ジンバラへ調査隊派遣 | 17日午後、ザクロイド財閥は、熱帯圏 ザイール地方ジンバラへ、ダイヤモンド鉱 床の調査隊を派遣した。 今回の派遣に関して、財閥がジンバラ政 府に対し巨額の融資を行い、実現させたも のと見られている。 |
19日:軍部 新型砲台設置を申請 | 19日午後、軍部はシーエアー地区海岸 区のズィーガー砲群の他に、新型砲台を設 置する内容の申請を、王室会議に対し行っ た。 |
20日:王室会議 新型砲台設置を承認 | 20日午後、王室会議は、新型砲台の設 置を承認する旨を軍部へ通達した。 設置が予定されている新型砲台は、スィ ーズランド製のシュバルツ砲で、軍部では 早速購入手続きに入る模様。 |
21日:シンラギ トルキア撤退 | プロキア領グローニュに駐留していたは ずのシンラギククルフォンが、21日午後、 ハンガリアのドマ港から東洋へ帰還したこ とが、ハンガリア政府の発表で、明らかに なった。 |
22日:ヘルシオ公 真相を公表 | 22日午後、プロキアのヘルシオ公は、 先のイエルグ伯暗殺について、一切がシン ラギククルフォンの筋書きであった事を公 表した。 更に公は、自らに暗殺の意図は無かった との釈明もしている。 |
D28年3月第4週 | |
23日:カミツレ山中で人骨発見 | 23日午後、カミツレ地区カミツレ山中 にて、行楽客が人骨を発見し大騒ぎとなっ た。 人骨は崖の棚にあたる所で発見され、事 故と自殺の両面で調査が進む模様。 |
26日:燐光石不法輸入業者を検挙 | 26日午後、ドルファン港第二ふ頭で、 燐光石を不法に輸入しようとした輸入業者 を、港湾管理局が検挙し、即日逮捕となっ た。 輸入業者は石炭などに燐光石を紛らせ、 検査を逃れようとしていた。 |
27日:ヴァン=トルキアでゲリラ再起 | 27日、ヴァン=トルキアのハーベルン で、アレイス派ゲリラが再び活動を開始し、 各所で小規模の戦闘が行われた模様。 |
28日:ドルファン老齢化の傾向 | 28日、厚生部は、ここ十年間での新生 児の誕生率低下と、六十歳以上の人口増加 を指摘する報告書を発表した。 |
D28年3月第5週〜4月第1週 | |
31日:国境周辺に不穏な動き | 31日、国境線の警戒にあたっている部 隊からの報告によると、プロキアのイエル グ大佐派のプロキア軍部隊が、国境線付近 に斥候を送ってきている事が明らかになっ た。 尚、現在戦闘に至る可能性は薄い模様。 |
1日:王室会議 戦争は継続中との見解 | 1日、王室会議は、プロキアとの実質的 戦闘は行われていないものの、未だ尚戦争 は継続中であるとの見解を明らかにした。 この背景には、国境周辺に出没するイエ ルグ大佐派のプロキア軍部隊の不穏な動き があると見られる。 |
3日:倉庫爆発で10人死亡 | 3日夕刻、シーエアー地区港北区の倉庫 街で爆発が発生。倉庫2棟が延焼し、作業 員10名が死亡、9人が重軽傷を負った。 倉庫は小麦粉の貯蔵倉庫で、原因は粉じ ん爆発ではないかと見られている。 |
5日:国境線で戦闘 | 5日午後、ダナン付近の国境線で、戦闘 が発生したとの報告が入った。 報告によると、イエルグ派プロキア軍部 隊の一部が国境線を侵犯した為、ドルファ ン側が迎撃に出たとされている。 尚、プロキア軍は二時間後撤退。 |
D28年4月第2週 | |
6日:ヘルシオ公 関与を否定 | 6日、プロキアのヘルシオ公は、5日の 国境侵犯はイエルグ家の独断で行われたも ので自らは関知しないものと、関与を否定 する内容のコメントを発表した。 事実プロキア南東地域のイエルグ家は、 現在中央からの独立を維持している。 |
7日:またも国境付近で戦闘 | 7日未明、イエルグ大佐派のプロキア軍 部隊が国境線を再度侵犯した為、ドルファ ン側部隊との戦闘になった。 戦闘は小一時間で終了し、敵部隊は撤収 したものの、今後同様の事態が繰り返され る事が懸念される。 |
8日:王室会議 ダナンへの駐屯を強行 | 8日に開かれた王室会議で、騎士団大隊 の駐屯を拒否してきたダナンのベルシス家 に対し、駐屯を認めない場合は武力制圧を 行う内容の決議に至り、同時にこの内容を ダナンへ通達した。 |
9日:ベルシス卿 騎士団駐屯を容認 | 9日午後、ダナンを統治するゼノス・ベ ルシス卿は、8日の通達を受けて、騎士団 の駐屯を容認することを明らかにした。 しかしベルシス卿は、武力制圧の可能性 に屈した訳でなく、あくまでも国境線の不 穏な状況を考慮してのことと、付け加えた。 |
11日:ダナン駐屯大隊 ウエールを出発 | 11日午前、ダナン駐屯大隊がウエール を出発した。 尚、今回の駐屯大隊は、これまでのウエ ール駐屯部隊がそのまま移籍したもので、 ウエールには新たな部隊が首都城塞から派 遣される予定。 |
12日:非番の警備班員 強盗を逮捕 | 12日午後、マリーゴールド地区第六区 の貴金属店で、刃物を所持して押し入って きた男を、居合わせた警備班員が即刻逮捕 した。 この警備班員は非番中で、たまたま友人 と買い物に来ていた。 |
D28年4月第3週 | |
13日:ダナンに騎士団大隊駐屯 | 13日午前、国境都市ダナンに騎士団一 個大隊が到着した。 駐屯大隊は、旧軍事地区イリハで夜間演 習を行っていた為、一日遅れの到着となっ た。 |
15日:大杉の下敷きで死亡 | 15日午後、カミツレ地区山間部で、杉 の木をばっ採中、作業員が倒れた杉の下敷 きになって死亡するという事故が起こった。 作業工程に不注意な点がなかったどうか、 組合は同僚等から事情を聴いている。 |
17日:石炭価格が下落 | 今月から始まった鉄鉱・石炭の一部自由 化の影響で、国内では石炭価格が下落して いる模様。 これはシベリア産の安価な石炭が大量に 輸入されたことが要因であることは間違い ないと見られている。 |
18日:燐光石輸入自由化要求高まる | 自由化による石炭価格下落を受けて、消 費者の間から、燐光石の輸入自由化を求め る声が高まっている。 しかし、市場を独占するザクロイド財閥 と輸出入部門の総括オーリマン卿が、ゆ着 している限り、難しいものと見られている。 |
D28年4月第4週 | |
21日:国境線で小規模戦闘続く | 国境都市ダナンに騎士団大隊が駐屯した 後も、国境線でプロキアとの小規模戦闘が 頻発している。 21日も小隊同士の衝突があり、戦闘は 小一時間で終了した模様。 尚、大隊出撃に至る事変は起きていない。 |
22日:ゲルタニア首都で外国人排斥 | 22日、ゲルタニアの首都ベルリンで、 治安警察による外国人排斥が行われ、アラ ブ人や東洋人をはじめとする外国人労働者 が、住処を失う事態となった。 尚、この動きはゲルタニア各地へ広がり つつある模様。 |
24日:若者の間でトルク風潮高まる | ゲルタニアのトルク旋風を受けて、厚生 部統計調査班が若者100人を対象にアン ケートをしたところ、4割近くがトルク思 想を支持する答えを出した模様。 |
25日:燐光石坑道で落盤事故 | 25日午後、カミツレ地区採掘区にある 燐光石採掘場第二坑道で落盤事故が発生し、 作業員19人が生き埋めになった模様。 現在、救出作業が続けられている。 |
D28年4月第5週〜5月第1週 | |
28日:72時間ぶり奇跡の救出 | 25日午後に起きた落盤事故で生き埋め になっていた作業員19人が、28日午後、 実に72時間ぶりに救出された。 長時間の遭難で全員無事は、近年珍しい ケース。 |
29日:アナベル・ピクシス卿 一時離席 | 29日に開かれた王室会議において、次 席であるアナベル・ピクシス卿が、健康上 の不調を理由に一時離席することを明らか にした。 尚、代行として卿のご長男アルダナル・ ピクシス卿が新たに列席する。 |
30日:ヴァネッサ幹部 シベリアへ渡航 | 30日午後、ヴァネッサ幹部4名がシベ リアへ渡航した事が、出入国管理局の報告 で明らかになった。 ヴァネッサの中でも過激派であるアウル ・ヴァネッサ幹部のシベリア渡航だけに、 渡航目的が懸念される。 |
1日:五月祭 今年も盛況 | 1日、サウスドルファン駅を中心に五月 祭が催された。今年も例年通りの人出が見 受けられ、盛況の様子。 |
3日:テロ・ネットワークの拡大阻止 | 3日、西欧圏オースティニア地方ブリュ ッセルで開かれた全欧テロ対策会議におい て、シンラギククルフォンを代表とするテ ロ支援組織への警戒、並びにテロ組織同士 の提携を阻止する具体案が話し合われ、今 後のテロ拡大を阻止する指針となった模様。 |
D28年5月第2週 | |
4日:ダナン駐屯大隊出撃許可を求める | 4日午後、王室会議に対して、ダナン駐 屯大隊から、プロキア領への出撃許可を求 める要望書が届いた。 駐屯大隊としては、決定打のない小戦闘 を受け続ける現状に業を煮やし、即時決戦 を狙ったものと思われる。 |
5日:王室会議 駐屯大隊要望を却下 | 5日午前、王室会議は、ダナン駐屯大隊 が要望していたプロキア領への出撃を認め ないことを明らかにした。 王室会議としては、専守防衛が基本理念 であり、自領外への出撃は理念に反すると 判断した模様。 |
7日:ゲリラ武装化に中立国関与 | 7日、ヴァン=トルキアのマイアナで、 ガリハント銃を大量積載した商業隊が国軍 により取り押さえられた。 商業隊はスィーズランドから密入国し、 アレイス派ゲリラへ銃火器を供給する中途 であった模様。 |
9日:建設現場へ火炎ビン投げ込む | 9日深夜、フェンネル地区城壁区の軍施 設建設現場へ、火炎ビンを投げ込んだ男が、 巡回中の警備班員に逮捕された。 男は付近の住民で、軍施設建設反対運動 に参加していた。 尚、現場では火災に至らなかった模様。 |
D28年5月第3週 | |
12日:厚生部 食品の品質管理を徹底化 | 12日、厚生部は各食品取扱業者に対し、 品質管理の徹底を呼びかける指導書を配布 した。 この背景には、消費者から食品の品質管 理に対する苦情が相次いだ昨年夏期への反 省があるものと見られている。 |
14日:治安警察と外国人労働者が衝突 | 14日、ゲルタニアのノーマで、外国人 労働者による決起集会が行われたところ、 治安警察が集会を解散させようと実力行使 を行い、双方合わせ40名の死傷者を出す 惨事となった。 尚、集会に参加した外国人は全員逮捕。 |
15日:国境線における小規模戦闘慢性化 | テラ河国境線における小規模戦闘が慢性 化の傾向にある。 首謀者はプロキア南東地域の領主イエル グ大佐と見られるが、国境侵犯における大 佐の真意は不明。大規模な軍事行動の気配 も、今のところは皆無。 |
16日:森林区遺体投棄疑惑 | 死刑囚の遺体が、カミツレ地区森林区の 一画に無造作に埋められているとの疑惑が、 一部の報道陣の間で持ち上がっている。 尚、この疑惑に対して、軍部関係者は口 をつぐんでいる模様。 |
17日:セリナ運河の投棄ゴミ除去 | 17日午後、セリナ運河流域の住民並び に運河管理局により、運河内の投棄ゴミの 除去が行われた。 投棄ゴミは家庭ゴミがほとんどだが、中 には事業系廃棄物もあり、関連業者に対し 罰則規定が設けられる模様。 |
D28年5月第4週 | |
19日:文化広報局 民間報道と提携 | 19日午前、文化部文化広報局は、民間 の報道事業者と、情報の提携を行うことを 明らかにした。 文化広報局は、国内外の情報を誌面にす る公的機関であり、その情報量は民間の及 ぶところではなかった。 |
21日:軍事専門家 城壁の耐久度に疑問 | 21日、総合学術院の軍事研究家が、首 都を取り巻く城壁の耐久度について、万が 一最新の攻城砲が使用された場合、現在の 構造では保ち得ないとの、厳しい内容の報 告を行った。 |
22日:ヴァルファの所在を確認? | 昨年秋から消息を絶っていた傭兵騎士団 ヴァルファバラハリアンが、プロキア南東 地域の拠点ハーベン付近で態勢を整えつつ あるとの未確認情報が、ドルファンとプロ キアを行き来する商業隊からもたらされた。 |
24日:新たに二ヶ所を開発禁止区に指定 | 24日、文化部は、カミツレ地区の未開 発地区二ヶ所を、文化遺産保護の名目で、 新たに開発禁止区域として指定した。 尚、二ヶ所のうち一ヶ所はザクロイド財 閥の所有地であり、財閥側からは抗議の声 があがっている模様。 |
D28年5月第5週 | |
25日:バステック大佐 行方不明 | 25日、国境都市ダナンで、駐屯大隊の 指揮官ダン・バステック大佐が行方不明に なっている事が明らかになった。 大佐は24日午後、ダナン市街へ出かけ て以来、その姿が確認されていない。 |
26日:バステック大佐 遺体で発見 | 26日午前、行方不明になっていた駐屯 大隊指揮官ダン・バステック大佐が、ダナ ン市街の路地裏で遺体となって発見された。 大佐は、ガリハント銃と思われる銃器で 射殺された形跡があり、えん恨の線で調査 が開始される模様。 |
28日:王室会議 自治徹底化を通達 | 28日、王室会議は、ダナンを統治する ベルシス家に対し、自治の徹底化を求める 通達を行った。 |
29日:マッカートニー選手死去 | 29日午後、国内初の女性A級ライセン ス所持者であったミー・マッカートニーさ んが、練習中に落馬して重傷を負い、病院 に運ばれた後、間もなく死亡した。 マッカートニーさんは、国際選手権に向 けて練習中であった。 |
31日:スポーツの祭典開催される | 31日、スポーツの祭典が、フェンネル 地区運動公園で開催された。 予報では雨天とされていたが、幸いにも 昼間は薄ぐもり程度で、祭典はつつがなく 行われた。 |
D28年6月第1週 | |
2日:酒類関税を引き下げ | 2日、輸出入部門総括のオーリマン卿は、 酒類の関税を引き下げることを明らかにし た。 これまで外国産の酒類は、国産のものと 比べ値段が高く、一般での消費率が思わし くなかった。 |
4日:ダナンでの射殺事件捜査難航 | 国境都市ダナンで発生した駐屯軍大佐射 殺事件で、軍部内務査察班とダナン自治警 備班の合同捜査は、事件から1週間以上経 過した現在、目撃者も現れず、解決の糸口 はつかめていない模様。 |
5日:国内の酒造業者 嘆願書提出 | 5日、国内の酒造業者の連名による嘆願 書が、輸出入部門総括のオーリマン卿宛に 提出された。 嘆願書の内容は、外国産酒類の関税引き 下げの再考を願うもので、国内酒造業者の あせりが感じられる。 |
6日:国境線の小規模戦闘に変化 | テラ河国境線で慢性的に繰り返されてい るプロキア軍との小規模戦闘において、プ ロキア側は、ここ数日、ガリハント銃を装 備した銃兵隊を参加させている模様。 これまでプロキアには銃兵隊は存在せず、 この変化に軍部も戸惑いを感じている様子。 |
D28年6月第2週 | |
8日:デュラン王 50回目の誕生日 | 8日、デュラン王は、50回目のお誕生 日を迎えられた。今年も王宮内での祝典は 盛大に行われた模様。 |
10日:乗り合い馬車 運河へ落下 | 10日午前、フェンネル地区セリナ運河 沿いを通行中の乗り合い馬車が、欄干を補 修中の場所から運河へ落下する事故が発生 し、3人が重軽傷を負った。 御者の話では、前方に飛び出した通行人 を避けるため、誤って転落した模様。 |
11日:「レリックス通り」が開通 | 11日、ドルファン地区城北区とカミツ レ地区遺跡区を直接結ぶレリックス通りが 開通した。 レリックス通りは、林道を舗装化したも ので、考古学関係者を中心に開通が待ち望 まれていた。 |
12日:ザクロイド財閥 鉱床採掘開始 | 12日、熱帯圏ザイール地方ジンバラで ダイヤモンド鉱床を調査中であったザクロ イド財閥は、本格的に採掘を開始するため 現地人を大量に雇い入れた模様。 財閥のジンバラ政府への融資は相当の額 で、この結果がどうなるか注目されている。 |
14日:厚生部 アルビア産エビを焼却 | 14日、アルビアから輸入されたロブス ターからパスモフ菌が検出されたため、厚 生部品質管理局は、この日に運び込まれた 500匹を焼却した。 |
D28年6月第3週 | |
16日:ヴァン=トルキアでゲリラ猛攻 | 16日、ヴァン=トルキアのハーベルン において、国軍とアレイス派ゲリラの戦闘 が行われ、状況はゲリラ側に有利の模様。 |
18日:ハーベルン ゲリラ側が占拠 | 16日から行われていたヴァン=トルキ アのハーベルンでの戦闘は、18日未明、 アレイス派側ゲリラの勝利で終わった模様。 現在、ハーベルンはゲリラ側が占拠して おり、今後の動向が注目される。 |
19日:医師ら3人 薬品横流しで免職 | 19日、ドルファン病院に勤務していた 医師や看護婦を含む3人が、薬品を横流し していた事実が判明し、免職となった。 |
20日:20日連続降水量ゼロ | 6月に入ってから一日も雨天が無く、こ の時期にしては異例の20日連続降水量ゼ ロとなった。 |
D28年6月第4週 | |
22日:カミツレ地区で夏至祭 | 22日、恒例の夏至祭がカミツレ駅前を 中心に賑わいを見せた。 今年は、6月に入ってから一度も雨天が 無く、夏至祭の本日も晴天であった。 |
24日:6月初の雨天 | 24日、実に24日ぶりの雨天となり、 各関係者は胸をなで下ろしている模様。 未明から降り出した小雨は、午後には本 降りとなり、明日まで降り続く様子。 |
26日:学術院で爆発事故 | 26日午後、ドルファン総合学術院の化 学研究棟で、実験中に爆発が起こり、研究 員1人が死亡、4人が重軽傷を負った。 事故当時、研究員等は合成爆発体パラム パリュウムの精製を行っており、薬品の調 合を間違えたものと見られている。 |
27日:高級家具で阿片大量輸入 | 27日午前、ドルファン港に定期便で着 いたフィンランド製高級家具4点が、不自 然に重いため税関が調べたところ、中から 20キロ分の阿片が発見された。 尚、荷受け人であった輸入家具業者は、 事情聴取の後、逮捕された。 |
28日:フィンセン公 心不全の為死去 | 28日午後、ゲルタニアに亡命中のプロ キアの元盟主アーツ・フィンセン公が、ベ ルリンの病院において、心不全のため亡く なった。 フィンセン公は、今回の戦争の仕掛人で ありながら、結末を見ぬまま世を去った。 |
D28年7月第1週 | |
1日:国境線 尚も小規模戦闘続く | 断続的に続いているテラ河国境線におけ るプロキア軍との小規模戦闘は、止む気配 を見せない。 最近では、プロキアの銃兵隊が対岸から 撃ちしろませるという、消極的戦法が主体 である模様。 |
2日:王室会議 応戦自粛を要請 | 2日、王室会議は国境警備部隊とダナン 駐屯大隊に対し、敵側の挑発に応じること なく戦闘は自粛する様に要請した。 |
3日:セリナ運河通航料を値上げ | 3日、運河管理局は、セリナ運河の通航 料を、これまでの20%増にあたる値上げ を行った。 |
5日:総合学術院 敷地内での集会禁止 | 5日、ドルファン総合学術院は、学術院 敷地内での集会を禁止する内容の規則を新 たに設けた。 規則を設けた理由の一つとして、最近流 行のトルク集会の攻撃的性格が挙げられる。 |
D28年7月第2週 | |
7日:学術院放火未遂の学生4人を逮捕 | 7日深夜、総合学術院の敷地内で、学生 4人が放火未遂で逮捕された。 学生4人は、可燃物を校舎側に積み上げ 火を放とうとした。 尚、この学生らはトルクを自称し、先の 集会禁止令に対する報復だと自供している。 |
9日:ゲルタニア 治安警察志願者増加 | ゲルタニア共和国では、治安警察への志 願者が急増している模様。 志願者は20代の青年が最も多く、動機 として、トルク思想実践の尊い仕事という 認識が目立っていた。 |
10日:アナベル・ピクシス卿 復帰 | 10日、体調の不良を理由として一時王 室会議から席を外していたアナベル・ピク シス卿が、次席として復帰した。 尚、代行のアルダナル・ピクシス卿は次 席補佐として、会議には引き続き参加する 模様。 |
12日:夜の海に響く歌声 (case1:アンと出会っていない) |
12日夕刻、ドルファン港周辺の海域を 通過中の複数の船舶が、女性の歌声を確認 したことで一時騒然となった。 尚、歌声の正体は汽笛の故障により発生 した音を錯覚したものという説が最も有力 と見られている。 |
12日:豪華客船から男性落下 (case2:アンと出会っている) |
12日夕刻、ザクロイド財閥が所有する 豪華客船から、男性客が海に落ちるという 事故が起きた。 この男性は近くの海岸で発見され、無事 であった模様。 |
D28年7月第3週 | |
13日:ジンバラで労働者スト | ザクロイド財閥がジンバラで進めている ダイヤモンド鉱床の採掘事業で、現地人の 労働者が、低賃金に抗議するストライキを 13日から開始した。 現在までダイヤモンドの原石は一つも採 掘されておらず、事業自体も危うい模様。 |
14日:外国人傭兵 民間人2人を殺害 | 14日夕刻、シーエアー地区港北区の路 上で、外国人傭兵ら3人が、民間人2人を 口論の挙げ句殺害する事件が発生した。 尚、3人の傭兵は、2時間後、地区警備 班によって逮捕された。 3人の傭兵は犯行当時酔っていた模様。 |
15日:王室会議 傭兵徴募を見直し | 15日に開かれた王室会議では、海外で 行っている傭兵徴募を見直す内容の討議が 行われた。 現在、傭兵徴募はスィーズランドを通じ て海外で随時行われているが、今回の会議 で、徴募の終了が濃厚となった。 |
17日:海水浴場で女性2人水死 | 17日午前、シーエアー地区海浜区の海 水浴場で、海水浴に来ていた女性2人が水 死した。 事故当時、海は高波が発生しており、一 時遊泳禁止の告知がされていたが、2人は 守らなかったものと見られている。 |
18日:ザクロイド 不退転の構え | 現在難航している熱帯圏ザイール地方ジ ンバラのダイヤモンド採掘事業について、 ザクロイド財閥は、ダイヤモンド鉱床は確 実に押さえており、今後拡大することはあ れど縮小の考えはないものと、不退転の構 えを見せた。 |
D28年7月第4週 | |
21日:王室会議 外国人傭兵削減へ | 21日、王室会議は、海外での傭兵徴募 を終了すると同時に、現在雇用中の外国人 傭兵を今後削減することを明らかにした。 今回の会議で、削減の対象になったのは 第二次傭兵徴募以降の外国人傭兵で、契約 は今月末で破棄されるものと見られる。 |
22日:王立美術館で自由絵画展覧会 | マグタラの日である22日、王立美術館 で、一般の自由参加による絵画展覧会が開 かれ、各地から素人玄人問わず多くの作品 が寄せられた。 |
24日:外国人傭兵の一部に解雇通告 | 24日午前、軍部は第二次傭兵徴募以降 に雇用した外国人傭兵に対し、今月末での 契約終了を伝えた。 傭兵契約に関しては原則的に3年間の兵 役が義務づけられるが、今回は異例の措置 となった。 |
25日:外国人傭兵ら突然の解雇に反発 | 25日午後、突然の解雇に反発した外国 人傭兵十余名が、軍部中央本部局へ押し掛 ける騒ぎがあった。 一時は正規兵と傭兵側とでにらみ合いと なったが、夕刻までには傭兵側が引き下が り、大事には至らなかった模様。 |
D28年7月第5週〜8月第1週 | |
28日:王女 ドルファン病院を慰問 | 28日午前、プリシラ王女がドルファン 病院を慰問され、入院患者等に暖かい言葉 を掛けて回られた。 尚、王女はお帰りになられる途中、サウ スドルファン駅前の露店でアイスを堪能さ れるなど、意外な一面をお見せになられた。 |
29日:シベリア帰りの過激派幹部逮捕 | 29日午後、民間船でシベリアから帰国 したヴァネッサ幹部4人が、武器の不法所 持並びに密輸の現行犯で、税関に取り押さ えられ、地区警備班に引き渡された。 4人は、スペツナズナイフという特殊武 器を衣服の下などに隠していた。 |
31日:外国人傭兵の一部を解雇 | 軍部は外国人傭兵の一部を、31日付け で正式に解雇した。 これで現在ドルファンに残っている外国 人傭兵は、第一次傭兵徴募で雇用された百 余名のみとなった。 |
1日:37年ぶりの異常低温 | 1日、最高気温が17度2分という夏期 における異常低温を観測した。 これは37年前の8月10日に観測され た17度5分以来の異常低温。 |
2日:国境線の状態依然変わらず | テラ河国境線におけるプロキア側との断 続的な小規模戦闘は、8月に入ってもとど まるところを知らない。 2日も未明から深夜にかけて、3回の戦 闘が行われた模様。 |
D28年8月第2週 | |
4日:旧水道の一部で渇水 | ドルファン地区の地下を通っている旧水 道の一部で、4日、渇水が確認された。 今年の6、7月の降水量は昨年に比べ半 分強しかなく、作物などに影響が出ている。 |
6日:レストランで食中毒 | 6日、ドルファン地区城南区のレストラ ンで食事をした客のうち26名が食中毒の 症状を訴え、病院へ運ばれた。 厚生部品質管理局と衛生局は、中毒の原 因を調べるとともに、このレストランを一 時業務停止処分にした。 |
8日:ゲリラ 拠点ハーベルンを死守 | 8日、ヴァン=トルキアにて、国軍とゲ ルタニア軍が共同で、アレイス派ゲリラの 拠点ハーベルンへ攻撃を仕掛けた。 しかし、ゲリラ側の防戦すさまじく、結 局両軍は攻略を断念し撤退した。 |
9日:式典用花火暴発で3人が死傷 | 9日夕刻、ドルファン国立公園で行われ た商工業界の式典で、花火が暴発し点火役 の男性一人が死亡、近くにいた2人の作業 員も重軽傷を負った。 |
D28年8月第3週 | |
12日:建設中の軍施設一時工事中止に | 12日、軍部は現在フェンネル地区城壁 区に建設中の軍資施設の工事を、一時的に 中止する意向を明らかにした。 これは周辺住民の感情を配慮した結果で はなく、予算問題が要因と見られている。 |
13日:ヘルシオ公 国境線問題を憂慮 | 13日、プロキアのヘルシオ公は、テラ 河国境線で起きている断続的な小規模戦闘 について憂慮する内容の発言を行った。 現在、プロキアは中央地域と南東地域が 個々の体制をとっており、ヘルシオ公の主 権に陰を落としている。 |
14日:元王宮メイドの手記公開 | 今は亡き国王の兄君デュノス公付きのメ イドであった、故レイス・ローズバンクさ んの手記が公開され、話題を呼んでいる。 ただ手記の内容が王室側が発表している デュノス公の記録と大きく異なる為、王室 側から公開の差し止めが求められている。 |
15日:カミツレ山中で崖崩れ | 15日午後、カミツレ地区カミツレ山中 で崖崩れが発生し、登山客4人が死亡、5 人が重軽傷を負った模様。 崖崩れは、ちょうど登山道の真上で発生 したため、今回の様な惨事に至った。 |
D28年8月第4週 | |
18日:ローズバンク手記公開差し止め | 18日、王室会議は、先に公開された元 デュノス公付きメイドの故レイス・ローズ バンクさんの手記を事実と異なるものとし て、公開の差し止めを通告した。 尚、今回の公開はヴァネッサによって行 われたとの見方が強い。 |
19日:ヴァネッサ 公開差し止めを非難 | 左派組織ヴァネッサの穏健派テラ・ヴァ ネッサは、ローズバンク手記の公開差し止 めについて、王室の汚点を隠とくする専横 行為だとして、強く非難した。 19日午後には、ローズバンクさんの遺 影を掲げての抗議集会も行われた。 |
20日:ドルファン城で幽霊騒動 | 20日、ドルファン城においてデュノス 公の幽霊が出没するとの騒ぎが、未明と深 夜の2回、起こった。 幽霊の存在を肯定する者は少ないが、実 際に騒ぎが起こった事で、色々と物議をか もしだしている。 |
21日:またもドルファン城で幽霊騒動 | 20日に引き続き、21日の夕刻から深 夜にかけて、ドルファン城内で幽霊の目撃 者が多発している模様。 目撃者の証言では、幽霊は白い半透明の 人型とされ、複数人からの証言内容も一致 している。 |
22日:学術院教授等 幽霊説を否定 | ドルファン城の幽霊騒動が巷を席巻する 中、学術院教授をはじめとする識者のほと んどは幽霊説を否定している。 識者の大半は、恐怖心や好奇心が核であ る心理的幻視であると、大方の見方で一致 している模様。 |
23日:幽霊騒動 賞金騒動にまで発展 | 城内の警備を担当する近衛兵の間で、幽 霊騒動解決に賞金が懸けられている。 事の発端は、早期解決を迫られた近衛兵 団上層部が、報奨金を用意したところにあ り、いつの間にか賞金と化した模様。 |
D28年8月第5週 | |
24日:幽霊騒動 あっさり決着 (Case.1:事実究明なし) |
24日、ドルファン城を席巻していた幽 霊騒動が、劇的な瞬間を迎えることなく幕 を閉じた。 幽霊と思われていたものは、作為的に仕 掛けられたトリックで、城内の何者かが騒 動を楽しむ為行ったものと見られている。 |
26日:城内の規律厳格化 (Case.1:事実究明なし) |
先の幽霊騒動を受けて、ドルファン城内 の各部署において、規律の引き締めが行わ れた模様。 尚、騒動の仕掛人は、未だ判明していな い。 |
27日:サメ出現で一時遊泳禁止に (Case.1:事実究明なし) |
27日午前、シーエアー地区海浜区の海 水浴場の近域で、サメと思われる魚影が視 認され、一時遊泳禁止となる騒ぎとなった。 |
24日:幽霊騒動の仕掛人逮捕 (Case.2:プリシラを放っておいて事実究明) |
24日、ドルファン城を席巻していた幽 霊騒動の仕掛人、プリム・ローズバンクを 混乱扇動画策の罪で逮捕した。 今回の犯行は、先のローズバンク手記公 開差し止めを抗議する意味で行ったものと 見られている。 |
26日:ローズバンクの孫服毒自殺 (Case.2:プリシラを放っておいて事実究明) |
26日午前、ローズバンク手記の著者の 孫で、先の幽霊騒動の実行犯でもあったプ リム・ローズバンクが、拘置所内で服毒自 殺を図り、間もなく死亡した。 |
27日:ローズバンク自殺に暗殺の可能性 (Case.2:プリシラを放っておいて事実究明) |
26日に拘置所内で服毒自殺したプリム ・ローズバンクが、取り調べの際毒物を所 持していなかったという事実が発覚し、彼 女の死に暗殺の可能性が出てきた。 使用された毒物も一般で入手困難なもの で、暗殺説に一層拍車をかけている。 |
30日:最低気温観測で今年は冷夏 | 30日、気象観測班は、今月3日の最低 気温観測を筆頭として今年は冷夏であった ことを報告書で提出した。 雨量の半減に気温の低下と、作物に対す る影響は、かなり深刻なものであると予想 される。 |
D28年9月第1週 | |
1日:ヴァルファはハーベンに? | 1日、確固たる所在がつかめていなかっ た傭兵騎士団ヴァルファバラハリアンが、 プロキア領ハーベンに駐留していることが 判明した。 ハーベンはイエルグ家の拠点で、両者は 結託しているものと思われる。 |
2日:王室会議 ヴァルファを警戒 | 王室会議は、所在が判明したヴァルファ バラハリアンへの警戒を強め、近くダナン 駐屯大隊に増援を送るよう、軍部に対し通 達を行った。 |
3日:軍部 国境緯線警戒を強化 | 軍部は、プロキア領ハーベンと国境都市 ダナンの間の国境を重要視し、しょう戒部 隊をダナン近辺に集結させる模様。 尚、駐屯部隊への増援は来週あたりに予 定されているとのこと。 |
5日:プロキア側 斥候部隊増加 | プロキア領ハーベンから派遣されている ものと思われる斥候部隊が、ここ数日で増 加の傾向にある模様。 軍部では、近く大きな動きがあるものと し、警戒を強めている。 |
6日:駐屯大隊への増援 明日出発 | 6日、軍部はダナン駐屯大隊への増援を 明日出発させることを明らかにした。 尚、増援部隊は、大隊規模の兵数になる 模様。 |
D28年9月第2週 | |
7日:増援部隊 首都城塞を出発 | 7日午前、ダナン駐屯大隊への増援部隊 が、首都城塞を出発した。 増援大隊の内訳は第三大隊が主となり、 本格的な派兵規模の増援となった。 |
9日:テラ北河対岸に大規模部隊 | 9日、国境線にあたるテラ北河対岸に、 プロキア軍の大隊が布陣したとの報告が 入った。 尚、対岸の部隊は、旗印からイエルグ 大佐率いるプロキア軍と確認された。 |
10日:国境線でのにらみ合い続く | 国境線であるテラ北河を挟んで、両岸の ドルファン側とプロキア側のにらみ合いが 続いている。 報告によると、敵側前衛はプロキア兵で 占められており、ヴァルファバラハリアン は後衛に回っている模様。 |
12日:ヴァルファ 対岸に到着 | 12日、前線からの報告によると、対岸 に布陣しているプロキア軍の後方に、ヴァ ルファバラハリアンの軍団旗が視認され、 その存在が明らかになった模様。 |
D28年9月第3週 | |
15日:プロキア側 ドルファンを挑発 | 国境線であるテラ北河を挟んだ状況下、 プロキア側はドルファン側に対し、盛んに 挑発を行い、渡河を促している模様。 尚、前線へは渡河許可は出されていない。 |
16日:渡河強行の小隊壊滅 | 16日、プロキア軍の挑発に乗せられた ドルファン側の小隊が渡河を強行。しかし 敵側銃兵隊の狙撃に遭い、壊滅した模様。 軍部では前線に対し、渡河を行わないよ う厳命していた。 |
17日:プロキア側で内輪もめ? | テラ河対岸に布陣しているプロキア軍の 間で、内輪もめが起こっているとの情報が もたらされた。 この情報を手にした、前線の部隊は軍部 に対し、この機会を利用すべく渡河許可を 求めている。 |
18日:今度は中隊規模で壊滅 | 18日深夜、軍部の許可を待たずに渡河 を強行した各小隊が、敵銃兵隊の狙撃に遭 い壊滅した模様。 被害は中隊規模にのぼり、敵の夜間にお ける狙撃技術の高さに、関係者は舌を巻い ている。 |
19日:軍部 最前線へ厳命 | 19日、軍部は最前線の大隊に対し、敵 の内輪もめは策略であり、それに乗せられ 渡河を行うことはあまりに愚かだとして、 今後の独断行動は厳罰をもって処するとの 内容の通達を行った。 |
20日:ヴァルファ 領内へ速攻 | 20日、ヴァルファバラハリアンが、現 在戦闘が行われている地点より遥か下流域 に出現し、難なく国境線を通過した模様。 ヴァルファは一気に首都城塞を目指して いるものと見られ、軍部は予想外の出来事 に泡を食っている。 |
D28年9月第4週 | |
21日:各大隊緊急出撃 | 21日午前、首都城塞で待機している各 大隊に緊急出撃要請が下り、準備の整った 大隊から順次出撃が行われた。 現在、ヴァルファバラハリアンは首都城 塞の北西に広がるパーシル平野の手前まで 接近している模様。 |
22日:騎士団 パーシル平野に布陣 | 22日、騎士団各大隊は、兵数における 有利を十分に活用し、パーシル平野に布陣 した。 現在侵攻中のヴァルファバラハリアンの 兵数はドルファン側の三分の一にも満たな いことから、快勝が予想される。 |
23日:パーシル平野の戦いで勝利 | 23日に行われたパーシル平野での戦い は、ドルファン側が勝利を収めた。 しかし、この戦いでヴァルファ側は、昨 夜から「ざんごう」を多数用意したものと 見られ、ドルファン側の騎馬隊は苦戦を強 いられた。 |
24日:国境線大隊 挟撃に遭い壊滅 | 24日、国境線でプロキア軍と、にらみ 合いになっていたダナン駐屯大隊をはじめ とする各部隊は、パーシル平野から折り返 してきたヴァルファの一部隊と対岸のプロ キア軍との挟撃に遭い、壊滅した模様。 |
25日:騎士団到着によりプロキア軍撤退 | 25日、パーシルで勝利を収めた騎士団 各大隊がダナン周辺へ到着したことにより、 一時ドルファン領に攻め入ってきたプロキ ア軍は自領へと撤退した。 尚、ヴァルファの残存部隊もプロキア軍 と共に撤収したものと見られている。 |
27日:騎士団 勝利の帰還 | 27日午後、パーシルで勝利を収めた騎 士団の各大隊が、首都城塞に帰還した。 尚、第五大隊だけは、壊滅したダナン駐 屯大隊に代わって、ダナンに残留した模様。 |
D28年9月第5週〜10月第1週 | |
28日:ダナンで駐屯大隊合同葬 | 28日午前、国境都市ダナンで、先の戦 いにおいて勇敢に散った駐屯大隊の合同葬 儀が行われた。 この葬儀の際、後任である第五大隊のロ イ・ライバン大佐は、今後の国境警備の引 継を戦死者の前で誓った模様。 |
29日:収穫祭開催 | 29日、収穫祭がフェンネル地区を中心 に催された。 今年は冷夏の影響で不作は免れなく、収 穫高は激減する模様。 |
30日:ヘルシオ公 遺憾の意を表明 | 30日午前、プロキアのヘルシオ公は、 先に起きた両国の大規模衝突について、南 東地域の独断による侵略行為といえど、自 国の犯した過ちは少なくないとして、遺憾 の意を表明した。 |
1日:国境線にプロキア軍の姿なし | しょう戒部隊の報告によると、ダナン近 域からテラ北河下流域にかけて、国境線の 対岸にはプロキア軍の姿は見られない模様。 軍部は引き続き警戒を行い、ヴァルファ バラハリアンの残存部隊の情報を集めると している。 |
3日:軍部 ドルファン式を見直し | 軍部は、先のテラ河国境線とパーシル平 野における戦いで、敵を遥かに上回る兵数 を保有していたにもかかわらず、銃火器や 策略により多大な損害を被ったことから、 これまでの騎士団の戦い方を見直す方向で いく模様。 |
D28年10月第2週 | |
6日:王室会議 軍用銃製造を検討 | 6日開かれた王室会議では、国内で軍用 銃の製造を行うことが討議された。 しかしこれは、あくまで軍部はもとより 騎士団が銃兵隊の導入を認めてからのこと で、今回の討議は空論で終始した模様。 |
8日:ドルファン地区で市街戦? | 8日午後、ドルファン地区城南区の国立 銀行を外国人傭兵6名が襲撃し、駆けつけ た地区警備班と市街戦さながらの死闘を繰 り広げた。 尚、この事件で外国人傭兵6名と警備班 員15名が死亡、20人が重軽傷を負った。 |
9日:国立銀行襲撃は恩賞不足が原因 | 8日に起きた外国人傭兵等による国立銀 行襲撃事件は、先の戦いでの恩賞不足が原 因であることが、各方面の調査から明らか になった。 事実、先の傭兵に対する恩賞は、正規兵 に比べ微々たるものであった。 |
10日:一部の傭兵 軍施設に立てこもる | 10日午後、シーエアー地区軍事区の軍 事務局に、外国人傭兵20人が立てこもり、 軍部に対して巨額の金塊と海外逃亡用の船 舶の用意を請求する事件が発生した。 尚、軍部は武力をもって鎮圧する模様。 |
11日:軍部 強行突入で事件解決 | 11日深夜、軍事務局に立てこもってい た外国人傭兵に対し、近衛兵団の精鋭CT Tを投入し事件解決に至らしめた。 CTTが強行突入を行った際、外国人傭 兵全員と人質の計40人が死亡したが、軍 部は最小限の被害と語っている。 |
D28年10月第3週 | |
13日:トルク学生ら外国人排斥集会 | 13日午後、ドルファン国立公園で、ト ルクを自称する学生等を中心に200人が 外国人排斥を訴える集会を行った。 この集会では、先の国立銀行襲撃や軍事 務局立てこもり事件を例に挙げ、外国人に よる治安低下を訴えていた模様。 |
14日:国内治安低下を懸念する声が半数 | 厚生部統計調査班が行った一般民間人に 対するアンケートで、最近気になる事の項 では、外国人による治安低下を懸念する声 が半数近くにのぼった。 しかし過去五年の事件統計を見ると、外 国人犯罪の比率にあまり変化はない。 |
16日:恒例の鹿狩り行われる | 16日、昨年デュラン国王のご不調によ り行われなかった鹿猟が、今年は例年通り 行われ、関係者は胸をなでおろしている。 しかし一方では、ここ数年お姿が見られ ないステラ王妃のご病状が、どのようにな られたのか気がかりとなっている。 |
18日:城内の礼拝堂 百年ぶりに修復 | 18日、ドルファン城内にあるカテラ礼 拝堂が、実に百年ぶりに修復が開始された。 カテラ礼拝堂は、その建築美から建立当 初のまま手がつけられておらず、五十年前 のドルファン城外装工事の時も、修復が保 留されたほどであった。 |
D28年10月第4週 | |
19日:アレイス4世死去 | 19日、ヴァン=トルキアのハーベルン の古城で、反国王派の旗印であったアレイ ス4世が心不全により他界した。 王位継承戦で敗れて以来、アレイス家は ゲリラ活動を行うことによって、その存在 を誇示し続けてきた。 |
20日:現国王 哀惜の意を表明 | ヴァン=トルキアのクルニガム国王は、 王位継承問題から争いを続けてきたアレイ ス4世の死に対し、哀惜の意を表明した。 今後、ヴァン=トルキアでは、旗頭亡き 後のアレイス派ゲリラの動向が注目される。 |
21日:農作物の被害 過去十年間で最高 | 国産部農林管理局の報告によると、今夏 の冷害による作物の被害額は、過去十年間 で最高になるものと推計された模様。 市場では穀物の値が上昇し、国産部に対 応策が求められている。 |
23日:ステラ王妃死亡説再掲載 | ここ数年姿をお見せにならないステラ王 妃の安否が気遣われる中、ヴァネッサが配 布しているリベラル紙は、王妃は3年前の ご病気の第一報時に既に他界しているとし た内容の記事を掲載した。 尚、この記事は3年前のものの復刻。 |
24日:ヴァネッサ構成員をトルクが襲撃 | 24日午後、ドルファン地区城南区の路 上で、リベラル紙を配布していたヴァネッ サ構成員2人が、トルクを自称する若者ら 6人に襲われ重体。 地区警備班は、この犯人6名を逮捕する と共にヴァネッサへ警戒を呼びかけている。 |
D28年10月第5週〜11月第1週 | |
26日:プリシラ王女 19回目の誕生日 (Case:1:プリシラが無事) |
26日、プリシラ王女が19回目のお誕 生日を迎えられた。 王女は来年で20歳を迎えられ、ご結婚 相手等々一層ご注目を浴びられることが予 想に難くない。 |
26日:王女のお飲物に薬物混入 (Case:2:ライズを連れて行き白を選択) |
26日開かれたプリシラ王女の19回目 のご誕生パーティーにおいて、王女のお飲 物に薬物が混入されるという事件が起きた。 幸いにも薬物はシアニン系のもので、王 女は軽度の中毒になられたものの、医師団 の話では二、三日でご回復されるとのこと。 |
28日:今度は王女の養子説掲載 | ヴァネッサが配布しているリベラル紙が、 今度はプリシラ王女養子説を掲載し、王室 に対する中傷を行っている。 この王女に関する中傷は、毎年この時期 になると定期的に行われるが、リベラル紙 に掲載されたのは、今回が初。 |
30日:地区警備班 左右抗争を警戒 | 各地区警備班は、左派組織ヴァネッサと 実質上の右派にあたるトルクが、抗争を起 こしかねない状態にあることで、警戒感を 強めている。 地区警備班では、巡回の強化や情報収集 の強化に努めている模様。 |
1日:第206回建国記念日 | 1日、第206回建国記念の祝典が、ド ルファン城内青の広間で行われた。 今年は経費削減の観点から、祝典は慎ま しやかなものになり、今後この建国記念の 祝典の継続に影を落とした。 |
D28年11月第2週 | |
3日:国境周辺に不穏な動きなし | 11月に入り、国境線近辺には不穏な動 きもなく、これまでの緊張状態を忘れるよ うな月日が続いている。 しかし、イエルグ派プロキア軍は健在で あり、ヴァルファバラハリアンの消息はつ かめない為、見えぬ脅威は去り止まない。 |
4日:アレイス派ゲリラ解散を宣言 | 4日、ヴァン=トルキアのハーベルンで、 先にアレイス4世を失ったアレイス派ゲリ ラが、クルニガム国王に対し解散を意味す る内容の宣言を行った。 これに対しクルニガム国王は、解散は民 衆の望むところとして、評価している模様。 |
5日:トルク ヴァネッサ支部を襲撃 | 5日午後、ドルファン地区城北区にある ヴァネッサ支部を、トルクの若者等20人 が襲撃し、両派合わせて15人が重軽傷を 負った。 |
7日:軍部 銃火器導入へ前進 | 7日開かれた軍部上層部による軍制会議 において、騎士団の再編成と銃火器の導入 を前向きに検討することで、各責任者間の 合意に至った模様。 |
D28年11月第3週 | |
10日:トルク政権 更に極右化へ | ゲルタニア総選挙において新トルク党が 第一党になってから一年が経過し、現政権 の極右化が更に進んでいる模様。 10日には外国人排斥法が可決され、施 行後はゲルタニア国内の外国人は強制退去 を余儀なくされ、深刻な問題となっている。 |
11日:王室会議 ゲルタニア難民を懸念 | 王室会議では、ゲルタニアで外国人排斥 法が実施されるにあたり、難民化した外国 人が大量にドルファンに流入する恐れが出 てきた事で、対応策の討議を重ねている模 様。 |
13日:ダイヤモンド採掘事業不振 | 現在ザクロイド財閥が、熱帯圏ザイール 地方ジンバラで行っているダイヤモンド採 掘事業で、かなりの損失を被っている事が 財界関係者の間で噂になっている。 尚、ザクロイド側は、この種の噂を13 日の財界パーティーの席で否定している。 |
14日:漁船転覆で16人が死亡 | 14日未明、エドワーズ島沖で漁猟中の 漁船が高波に遭い転覆し、乗組員16人が 死亡した模様。 現場海域は昨夜からシケ状態で、危険が 指摘されていた。 |
D28年11月第4週 | |
17日:ゲルタニアで外国人排斥法施行 | 17日、ゲルタニアで、可決から一週間 という早さで外国人排斥法が施行された。 現在、首都ベルリンを中心に治安警察と 国軍が出動し、外国人の国外退去を強行す ると共に、暴動への警戒を行っている。 |
19日:王室会議 難民受け入れで対立 | 19日開かれた王室会議では、ゲルタニ アから流出した難民への対応について、上 位であられるデュノス国王と次席のピクシ ス卿との間で対立が起きた模様。 ちなみに国王は受け入れの立場をとられ、 ピクシス卿は拒絶の立場をとっている。 |
20日:王室会議 難民受け入れへ | 20日の王室会議で、参位のエリータス 家が国王支持に回った為、デュノス国王の ご意見である難民受け入れで合意に至った。 ピクシス卿の意見が会議を通過しなかっ たのは傭兵徴募討議以来、二度目。卿から すれば希有の事態といえる。 |
21日:外国人の定義に格差 | ドルファンと、現在極右政権であるゲル タニアとの間では、「外国人」の定義に格 差があることが明白となった。 ドルファンの外国人の定義は、邦国籍を 持たざる者であるのに対し、ゲルタニアで はトルキア人以外の民族を指している。 |
22日:トルク 難民受け入れを抗議 | 22日午後、先の王室会議の方針に対し 抗議するデモが、トルク青年等を中心とし て400人規模で行われた。 現在、国内ではトルク(トルキア人至上 主義)が拡大しつつあり、このままでは強 力な右派勢力を形成する恐れがある。 |
D28年11月第5週 | |
23日:首都城塞も難民受け入れ | 23日午前、ゲルタニアから流出した難 民の一部を首都城塞でも受け入れた。 難民には今後傭兵と同じ扱いで査証が発 行され、規定期間内での滞在と就労が認め られる模様。 |
25日:トルク青年 難民を殺害 | 25日午前、シーエアー地区港北区の路 上で、自称トルクの青年が、ゲルタニア難 民の男性を殺害し、地区警備班に逮捕され た。 今後、地区警備班では類似事件を防止す る為、警備の強化に努める模様。 |
26日:ゲルタニア軍撤収問題 | アレイス派ゲリラ解散に伴い、ヴァン= トルキアに駐留しているゲルタニア軍の存 在意義に波紋が起こっている。 クルニガム国王はゲルタニアに対し、撤 収を呼びかけているが、ゲルタニア政府に は撤収の意志はない様子。 |
27日:ザイール地方で大規模地震 | 27日、熱帯圏ザイール地方を中心に、 強度の地震が発生し、各地で被害が確認さ れている。 ザクロイド財閥が融資を行っているジン バラでも、大多数の死傷者を出した模様。 |
28日:ザクロイド財閥事業縮小へ | 28日、ザクロイド財閥はジンバラでの ダイヤモンド採掘事業を中止することを明 らかにした。更にジンバラ政府への融資も 今月限りで終了する模様。 今回の件で財閥の事業が縮小の方向へ向 かうことは、ほぼ確実視されている。 |
D28年12月第1週 | |
1日:国境線付近異常なし | 12月に入って、テラ河国境線付近に不 穏な動きは見られず、先月に引き続き大規 模な軍事行動が起こる気配は無い模様。 |
2日:建設中途の軍施設が炎上 | 2日深夜、フェンネル地区城壁区の建設 が一時中止となっていた軍施設建設現場で 火災が発生し、資材置き場や詰所などが延 焼する事故となった。 |
3日:ハーベルンで両代表和解 | 3日、ヴァン=トルキアのハーベルンで 国王派の代表者とアレイス派の代表者が会 談し、和解が成立した。 これからの問題は、駐留しているゲルタ ニア軍への対応が中心となる模様。 |
6日:ダナンに不穏な動き | 6日、ダナン駐屯大隊からの報告による と、ダナンと旧軍事地区イリハとの間に存 在する廃村で、復旧工事が開始されたとの 報告がもたらされた。 尚、廃村ではベルシス家直属の部隊が警 戒にあたっており詳細はつかめない模様。 |
D28年12月第2週 | |
7日:ベルシス家部隊と一騒動 | 7日、ダナンに隣接する廃村で、内部へ 立ち入ろうとした駐屯大隊の小隊が、ベル シス家直属の部隊と、あわや衝突といった 騒動が起きた。 結局、この騒動は駐屯大隊側が折れて、 事なきを得た模様。 |
8日:ベルシス家へ釈明求める | 8日、王室会議は、ダナンを統治するベ ルシス家に対し、廃村復旧工事と騎士団の 立入拒絶の両方について釈明を求める内容 の通達を行った。 |
9日:ベルシス卿より答申 | 9日、ベルシス家の当主ゼノス・ベルシ ス卿は、王室会議からの詰問に対し、以下 のように答申した。 廃村復旧工事はダナンの工場区を将来移 転する為とし、立入拒絶は自治権を所有す る側として当然の権利と説明。 |
11日:ゲルタニア難民 民家を襲う | 11日夕刻、フェンネル地区住宅区で、 ゲルタニア難民として入国したゲルト人5 人が民家を襲い、家族4人を負傷させ現金 を強奪する事件が発生した。 犯行に及んだ5人は、通報によって駆け つけた地区警備班によって逮捕された。 |
12日:トルク 住民を扇動し排斥デモ | 12日午後、フェンネル地区フェンネル 駅前で、住民による難民排斥デモが行われ た。 しかし、このデモはトルクの扇動により 行われたものとして、地区警備班はトルク への警戒感を強めている。 |
D28年12月第3週 | |
15日:統計調査局 難民犯罪増加を指摘 | 15日、厚生部統計調査局の報告による と、難民による犯罪は軽犯罪を主に126 件と、治安低下を指摘する内容であった。 |
16日:王室会議 治安維持を強化 | 16日開かれた王室会議で、首都城塞内 の治安維持を強化する為、ゲルタニアの治 安警察レベルの組織を編成する内容の討議 が行われた。 尚、ヴァネッサは会議の内容を、極右化 の助長として非難している。 |
17日:燐光石価格値上げへ | 17日、灯火原料として使用されている 燐光石の原価が、来月初旬から値上げされ ることが関係者の話で明らかになった。 この背景には、ザクロイド財閥の損失回 収があると見られ、燐光石市場を独占する 財閥への非難は高まっている。 |
18日:ヘルシオ公 南東地域へ宣戦布告 | 18日、プロキアのヘルシオ公は、現在 政権下から離れている南東地域のイエルグ 家に対し、武力による制圧を行うことを表 明した。 |
19日:ヘルシオ公支配に危機? | 18日に宣戦布告を行ったヘルシオ公の 支配体制に揺らぎがあることが指摘されて いる。 今回の宣戦布告も、高まる内部不満を南 東地域に向け回避を図ろうとしているもの と見られている。 |
D28年12月第4週 | |
21日:プロキア軍 首都を出発 | 21日、南東地域制圧を行う為、プロキ ア軍が、首都プロキアを出発した。 今回は、フィンセン公時代の二の舞を恐 れ、南西地域のプロキア軍を派遣。主力は ヘルシオ公と共に首都で待機の模様。 |
23日:グローニュでプロキア軍同士衝突 | 23日、プロキア南東地域の玄関口グロ ーニュを舞台に、プロキア軍同士の戦闘が 始まった模様。 ヘルシオ公の軍勢が3、イエルグ大佐の 軍勢が2と、ややヘルシオ公側に有利と見 られている。 |
24日:37年ぶりの降雪を確認 | クリスマスイヴである24日夕刻、37 年ぶりに降雪が確認され、人々は珍しい天 からの贈り物に心を奪われた模様。 |
26日:グローニュの戦闘長期化へ | プロキア領グローニュで行われているプ ロキア軍同士の戦闘は、ややヘルシオ公側 に有利なものの一進一退が続いており、長 期化が予想される。 |
D28年12月第5週〜D29年1月第1週 | |
29日:王室会議 最終報告会 | 29日、今年最後の王室会議が、各部の 最終報告会を中心に行われた。 今年の会議は、国内の治安維持問題とプ ロキアとの関係改善について話し合われ、 この二点を来年の課題として閉会した模様。 |
31日:各地でシルベスター | 31日、各地でシルベスターが催され、 冬空の中、カウントダウンの声と花火の音 で盛り上がった。 |
1日:デュラン国王 新年第一回公務 | 1日午前、ドルファン城謁見の間におい て、デュラン国王の謁見が行われた。謁見 は王室会議の各位、各部代表者の順で行わ れ、この際プリシラ王女も同席された。 尚、今年もエリス王妃は、ご欠席され、 ご病状が気遣われる。 |
1日:第一回王室会議開かれる | 1日午後、第一回王室会議が開かれた。 今年は国内治安維持とプロキアとの関係 改善を中心に討議が行われた。 |
2日:王妃のご病状公開を求める | 2日、ヴァネッサの配布するリベラル紙 は、王妃死亡説を否定するのであれば、王 室は病状を公開するべきだとする内容の記 事が掲載され、物議をかもしだしている。 |
3日:ヴァネッサ各支部に投石 | 3日、ヴァネッサの各支部に石が投げ込 まれる騒ぎが発生し、器物破損事件として 地区警備班はトルクを中心に捜査を進めて いる。 |
D29年1月第2週 | |
4日:ヘルシオ公側 グローニュ戦勝利 | 4日、グローニュで繰り広げられていた プロキア軍同士の戦闘において、ヘルシオ 公側の部隊が勝利を収めたことが明らかに なった。 尚、ヘルシオ公は、このままハーベンま で攻め入る模様。 |
5日:燐光石値上げ実施 | 5日、燐光石の値上げが実施され、各方 面で不満の声が高まっている。 来週11日にシベリアからキルギスキー 大使が訪れ、燐光石自由化交渉に入るが、 輸出入部門の総括オーリマン卿がいる限り 実現は難しいものと思われる。 |
7日:投石のトルク青年4人逮捕 | 3日に起きたヴァネッサ支部投石騒ぎで、 地区警備班はトルク青年4人を器物破損の 容疑で逮捕した。 青年等は、ヴァネッサの王室中傷に対す る報復として行ったものと供述している。 |
8日:廃村復旧工事現場で行方不明 | 8日、ダナンに隣接する廃村で行われて いる復旧工事の現場で、駐屯大隊所属の兵 士2人が行方不明になったとして、軍部内 務査察班は、ベルシス家に現場の捜索許可 を求めている。 |
9日:行方不明兵士遺体で発見 | 8日から行方不明になっていた兵士2人 が、9日午後、復旧工事現場近くで遺体と なって発見された。 尚、現場への捜索許可は結局認められず、 遺体はベルシス家直属の兵士によって発見 された。 |
10日:死亡した兵士は密偵? | 9日に遺体となって発見された兵士2人 は、廃村復旧工事を内偵する為の密偵とし て駐屯大隊から送り込まれていたとする噂 が、関係者の間で流れている。 尚、軍部からコメントはない模様。 |
D29年1月第3週 | |
11日:ハーベンで攻防戦開始 | 11日、イエルグ家の拠点ハーベンにお いて、ヘルシオ公派のプロキア軍とイエル グ大佐派のプロキア軍との激しい攻防戦が 開始された模様。 尚、首都から増援部隊がハーベン方面へ 向かっており、ヘルシオ公は必勝の構え。 |
12日:シベリア大使来訪 | 12日午後、シベリア大使であるキルギ スキー卿が、ドルファン港に到着し、今回 の来訪目的である燐光石自由化を実現させ るとの意気込みを、周囲に語っていた。 尚、オーリマン卿との会談は14日に行 われる予定。 |
13日:地区警備班 トルクを警戒 | 12日にシベリア大使がドルファンを訪 れたことで、実質上の右派であるトルクに よる大使襲撃を懸念し、厳重な警戒態勢を とっている。 ちなみに13日午前には、トルク青年2 人を武器の不法所持で逮捕した。 |
14日:燐光石自由化を阻止 | 14日行われたオーリマン卿とキルギス キー大使との会談の席上、オーリマン卿は 燐光石の自由化は国の威信を揺るがすもの として、断固拒否の構えを見せた。 尚、会談は6時間に渡って行われたが、 結局平行線で終始した模様。 |
16日:攻防戦はヘルシオ公側優位に | プロキア領ハーベンで行われているプロ キア軍同士の戦闘は、ヘルシオ公側の増援 部隊が到着したことで、ほぼヘルシオ公の 勝利は間違いないものと見られている。 |
17日:イエルグ大佐降伏により戦闘終結 | 17日夕刻、ハーベンにおける攻防戦が イエルグ大佐の降伏により、ヘルシオ公側 の勝利で終結した。 イエルグ大佐は降伏の理由として、同国 軍同士による疲弊を懸念した点を挙げてお り、その点をヘルシオ公も評価する模様。 |
D29年1月第4週 | |
19日:プロキア再統一へ | 19日、プロキアのヘルシオ公は、南東 地域の再併合に成功したとして、プロキア の再統一を各国へアピールした。 尚、イエルグ家を敢えて赦免したことに より、ヘルシオ公の国内における支持率は 回復の傾向にある模様。 |
20日:プロキア 休戦協定締結を申し出 | 20日、プロキアのヘルシオ公は、国内 の分裂が理由で長いこと棚上げになってい たドルファンとの休戦協定を近日中に締結 したいとの申し出を、王室会議に対してお こなった。 |
21日:王室会議 休戦協定に賛同 | 21日午後、王室会議はプロキアのヘル シオ公に対し、休戦協定の締結に賛同する ことを明らかにした。 尚、調印式の日程は未定。 |
22日:調印式は来月15日を予定 | ドルファンとプロキアとの休戦協定締結 における調印式が、両国の調整の結果、来 月15日に国境都市ダナンで行われること で合意に至った。 |
24日:外国人排斥の気運高まる | 国内で外国人排斥の気運が高まっている ことが、厚生部統計調査局の調べで明らか になった。 やはり筆頭は国内の治安低下で、難民に 対する警戒感が色濃く、同時に外国人傭兵 に対する不信感がぬぐい去れない様子。 |
D29年1月第5週 | |
25日:オーリマン卿 お忍びで観劇 (Case.1:爆弾テロ発生せず) |
25日の劇団アガサの公演で、オーリマ ン卿は特別席から抜けだし、一般席最前列 で観劇を楽しんでいた事が、劇団関係者の 証言で明らかになった。 卿は観劇が大の趣味で、時折一般人に立 ち混じって観劇を楽しむとのこと。 |
25日:二点同時爆弾テロ発生 (Case.2:教会のみ防いだ) |
25日午後、フェンネル地区のシアター とドルファン国立公園で、同時に爆弾テロ が発生し、死傷者が相次いだ。 尚、観劇に来ていたベイラム・オーリマ ン卿も、テロに巻き込まれて死亡し、今後 に多大なる影響を及ぼす事が予想される。 |
25日:爆弾テロでオーリマン卿死去 (Case.3:公園と教会のみ防いだ) |
25日午後、フェンネル地区のシアター で爆弾テロが発生し、ベイラム・オーリマ ン卿を含む12人が死亡し26人が重軽傷。 尚、ドルファン国立公園とドルファン教 会でも爆弾が発見されたが、東洋人傭兵の 手によって無事処理された。 |
25日:爆弾テロ未然に防がれる (Case.4:自力で全て阻止 ゼールビス倒せず) |
25日午後、フェンネル地区のシアター をはじめとして、計3ヶ所に爆弾が仕掛け られていたが、東洋人傭兵の迅速な処理に より大事に至らなかった。 地区警備班では同時多発テロを狙ったも のとして、犯人の行方を追っている。 |
25日:爆弾テロ未然に防がれる (Case.5:自力で全て阻止 ゼールビス倒す) |
25日午後、フェンネル地区のシアター をはじめとして、計3ヶ所に爆弾が仕掛け られていたが、東洋人傭兵の迅速な処理に より大事に至らなかった。 尚、実行犯と思われる国際指名手配犯の ミハエル・ゼールビスは格闘中死亡した。 |
25日:爆弾テロ未然に防がれる (Case.6:メネシスが協力 ゼールビス倒せず) |
25日午後、フェンネル地区のシアター をはじめとして、計3ヶ所に爆弾が仕掛け られていたが、居合わせた化学者の迅速な 処理により不発に終わった。 地区警備班では同時多発テロを狙ったも のとして、犯人の行方を追っている。 |
25日:爆弾テロ未然に防がれる (Case.7:メネシスが協力 ゼールビス倒す) |
25日午後、フェンネル地区のシアター をはじめとして、計3ヶ所に爆弾が仕掛け られていたが、居合わせた化学者の迅速な 処理により不発に終わった。 尚、実行犯と思われる国際指名手配犯の ミハエル・ゼールビスは格闘中死亡した。 |
26日:4年ぶりにガリレアすい星観測 | 26日、スィーズランドの天文観測台で 4年ぶりにガリレアすい星が観測された。 ガリレアすい星は、8年前ガリレア・ガ リネシス氏が発見したもので、以来その名 がつけられている。 |
26日:輸出入部門一新へ (Case:オーリマン卿死亡) |
26日、王室会議はオーリマン卿の死去 を理由に輸出入部門の一新を行い、後任は アルダナル・ピクシス卿に即決した。 尚、ベイラム・オーリマン卿の葬儀がマ リーゴールド地区の屋敷で行われ、王室会 議からも哀惜の意が伝えられた模様。 |
28日:ヴァルファ 廃村に出現 | 28日午後、行方が確認されていなかっ た傭兵騎士団ヴァルファバラハリアンの残 存部隊が、ダナンに隣接する廃村から出現 し、イリハで演習中のダナン駐屯大隊を急 襲するという信じがたい事件が起きた。 尚、駐屯大隊はウエールまで後退。 |
29日:ベルシス家 ヴァルファと結託 | 29日午前、ダナンを統治するベルシス 家の当主ゼノス・ベルシス卿から、王室会 議に対する宣戦布告が行われた。 尚、ヴァルファバラハリアンはダナンに 布陣し、首都城塞からの攻撃に備えている 模様。 |
30日:王室会議 ダナン攻撃を要請 | 30日午前、王室会議は、29日のベル シス卿からの宣戦布告を受けて、ダナン攻 撃を軍部へ要請した。 尚、一時ウエールまで後退していた駐屯 大隊が体勢を立て直し、現在ダナンへ向け て進軍中の模様。 |
31日:軍部 一部の部隊を除き出撃命令 | 31日午前、軍部は騎士団各大隊に対し 出撃命令を出したが、第二大隊及び外国人 傭兵部隊などには命令が下らなかった。 |
D29年2月第1週 | |
1日:王室会議 出撃要請を撤回 | 1日、緊急に開かれた王室会議で、ダナ ン対応策の方針が変更され、軍部に出撃を 中止する旨を通達した。 これを受けて軍部は、出撃を中止すると 共に、既に出撃した大隊の呼び戻しを行う など、一時は混乱を極めた模様。 |
2日:ダナンへは「兵糧攻め」 | 先の出撃要請撤回について王室会議は、 騎士団の疲弊を避ける為に兵糧攻めを行う として、不満の高まっていた軍部に対して 事情を明らかにした模様。 尚、この「兵糧攻め」の提言者はアナベ ル・ピクシス卿と見られている。 |
3日:元駐屯大隊が独断戦闘開始 | 3日、出撃中止を受けてイリハ付近で停 滞していた元ダナン駐屯大隊が、独断でダ ナンのヴァルファバラハリアンと戦闘を開 始した模様。 これに対し軍部は、戦闘の即時中止とウ エールへの撤収を勧告している。 |
4日:「兵糧攻め」は弱腰と騎士団幹部 | 4日午後、騎士団各大隊の責任者が連名 で、今回の「兵糧攻め」を非難する内容の 意見書を、王室会議に提出した。 |
5日:王室会議 プロキアへ協力要請 | 5日午前、王室会議はプロキアのヘルシ オ公に対し、ダナンへの「兵糧攻め」に協 力するよう要請した。 この要請に対し、プロキア側は承諾の返 信を即時寄越した模様。 |
6日:元駐屯大隊ウエールへ敗走 | 6日、独断でダナンのヴァルファバラハ リアンとの戦闘を行っていた元ダナン駐屯 大隊が、ウエールへ向けて敗走中であると の報告が入った。 尚、ヴァルファ側の追撃はない模様。 |
D29年2月第2週 | |
9日:テロリストと近衛兵団衝突 (Case.1:王女誘拐事件が起こり、救出失敗) |
9日夕刻、ドルファン城内においてテロ リスト集団と近衛兵団が激しい戦闘を繰り 広げるという前代未聞の事件が起きた。 尚、テロリストは全員死亡。 このテロリストはサーカス団に擬装し、 王室からの招待を受けていた。 |
9日:東洋人傭兵 王女を救出 (Case.2:王女誘拐事件が起こり 救出成功) |
9日夕刻、プリシラ王女がテロリストに ら致されるという前代未聞の事件が発生し たが、東洋人傭兵の活躍により無事救出さ れた。 尚、今回の事件はサーカス団に擬装した テロリストによる犯行。 |
10日:外国人に対する不安高まる | 10日に起きたシベリア人テロリスト等 による一大事件は、一般市民の間に外国人 に対する強い不安感を植え付けた。 地区警備班では起こりうる外国人排斥デ モを警戒し、巡回を強化する模様。 |
11日:各地で外国人排斥デモ | 11日、各地で外国人排斥を唱ったデモ が、トルクの扇動により行われた。 地区警備班は、難民や外国人傭兵が襲撃 される事態を懸念し、デモを包囲する形で 警戒に当たった。 |
12日:ダナンに動きなし | 12日、ダナン近域をしょう戒中の部隊 からの報告によると、ダナンでは主立った 動きが見られず、軍事行動の予兆も見受け られないとのこと。 尚、兵糧攻めの効果は、ダナンの備蓄容 量から推算し、かなり先となる模様。 |
D29年2月第3週 | |
16日:王室会議 調印式を来月に延期 | 16日午前、王室会議はプロキアとの休 戦協定締結における調印式を、諸般の事情 から来月中旬以降に延期することをプロキ ア側へ伝え、プロキア側もこれに合意した 模様。 |
17日:地区警備班 トルクを警戒 | 地区警備班は、最近相次いで発生する難 民襲撃事件を苦慮し、トルクに対し厳重な 警戒を行っている。 また一方では難民による犯罪の増加につ いても懸念しており、地区警備班の憂いの 種は尽きそうにない。 |
17日:ピクシス卿 燐光石自由化を決定 (Case:オーリマン卿死亡) |
新しく輸出入部門の総括となったアルダ ナル・ピクシス卿は、来月中旬からシベリ ア産燐光石の輸入を解禁することを明らか にした。 これによりザクロイド財閥の燐光石市場 独占は、事実上終止符を打たれた。 |
18日:王室会議 外国人排斥法を検討 | 18日に開かれた王室会議では、国内の 治安低下に歯止めを掛ける施策として、外 国人排斥法が討議された。 尚、この法案はゲルタニアで既に実施さ れており、皮肉にも今回の難民問題を生ん だ要因でもある。 |
19日:失業者によるデモ行進 | 19日午後、ドルファン地区を中心に失 業者によるデモ行進が行われた。 このデモでは、難民に就労権を与えた事 で自らの就労権が犯されたとする半ば言い がかりに近い内容の抗議が主となっていた。 |
D29年2月第4週 | |
22日:ハンガリアで無差別テロ | 22日、ハンガリアのペスタで爆弾を使 用した無差別テロが発生し、100人近い 死傷者が出た模様。 爆弾は劇場に仕掛けられており、観劇に 訪れていた人々を無惨にも巻き込んだ。 尚、ボルキア回帰戦線から犯行声明あり。 |
23日:軍部 銃火器導入を決定 | 23日、軍部は来年度から騎士団に銃兵 隊を設ける内容の新編成案を王室会議に提 出し、本格的な銃火器導入へ踏み出した。 騎士団内部では未だ銃火器導入に不満の 声があがっているが、軍部ではその辺の調 整を行いつつ、新軍制へ移行する模様。 |
24日:王室会議 外国人排斥法を再討議 | 24日開かれた王室会議で、外国人排斥 法が再討議され、ほぼ実施の方向で話し合 いが進められた。 この法案を押し進めているのはアナベル ・ピクシス卿で、今回はエリータス家もピ クシス卿に肩入れする模様。 |
26日:新法の即時施行に疑問 | 最近法律学者の間で、新法の即時施行に 疑問を抱く声が聞かれる。 ゲルタニアでは法案通過と同時に施行さ れる例が現政権になってから多々見られ、 法の専横化を不安視する声が少なくない。 |
27日:外国人傭兵 女学生を暴行 | 27日夕刻、フェンネル地区河川区の路 上で、ドルファン学園の女生徒が外国人傭 兵に暴行されるという事件が発生した。 犯人は逮捕されたものの、同様の事件が 以前にも起きた為、軍施設周辺住民の怒り は収まらない模様。 |
28日:ヴァルファ軍団長を捕縛 (Case.1:通常) |
28日夕刻、ヴァルファバラハリアン軍 団長を捕縛したとの報告が、ダナンのベル シス家からもたらされた。 ベルシス側は、先の宣戦布告は止むにや むなき事として、本意ではなかったことを 王室会議に対し釈明している。 |
28日:大型のハリケーン接近 (Case.2:ライズ特殊ルート) |
28日午後、気象観測班はドルファンに 大型のハリケーンが接近していることを明 らかにした。 ハリケーンの通過は1日いっぱいとの事 で、各方面へ十分な警戒を呼びかけている。 |
D29年3月第1週 | |
Case.1:通常の首都城砦戦が行われる場合 | |
1日:騎士団各大隊ダナンへ出発 | 1日午前、騎士団の一部の大隊は28日 にもたらされたヴァルファバラハリアン軍 団長捕縛の情報を受け、ダナン包囲に向け て出発した。 尚、このダナン包囲は、28日深夜に緊 急で開かれた王室会議にて決まったもの。 |
3日:首都城塞をヴァルファが襲撃 | 3日午後、ヴァルファバラハリアンが首 都城塞を襲撃し、守備に残っていた第一大 隊と激しい戦闘が開始された。 尚、ヴァルファ軍団長は健在であり、騎 士団はベルシスの策に乗せられた模様。 |
4日:ヴァルファの猛攻で劣勢 | 首都城塞を死守している騎士団第一大隊 が、ヴァルファバラハリアンの猛攻を前に 劣勢を強いられている。 尚、ダナンから各大隊が首都城塞へ全速 力で引き返して来ており、それまで持ちこ たえられるかが勝負の分かれ目となる気配。 |
5日:騎士団 ヴァルファを挟撃 | 5日、ダナンから全速力で引き返してき た騎士団各大隊が間に合った為、ドルファ ン側の形勢逆転となった。 現在、首都城塞の第一大隊と引き返し組 とでヴァルファを挟撃する形となり、激し い戦闘が繰り広げられている。 |
6日:ヴァルファ必死の抵抗 | 首都城塞目前で繰り広げられている戦闘 は、ヴァルファバラハリアンの必死の抵抗 により、6日に入っても戦闘は決着を見な い。 しかし兵数では、ドルファン側が遥かに 勝っており、決着も時間の問題と言える。 |
7日:騎士団 ヴァルファを壊滅 | 7日未明、ヴァルファバラハリアン軍団 長であるデュノス・ヴォルフガリオが討ち 取られ、全欧最強を誇った傭兵騎士団は、 ドルファン騎士団の前にひざを屈した。 これにより三年に渡る神出鬼没の脅威に ようやく終止符が打たれた。 |
Case.2:ライズルートで、ヴァルファの奇襲による首都侵入を許した場合 | |
1日:ヴァルファ首都城塞に侵入 (Case.2-1:ヴォルフガリオを倒さない) |
1日午前、嵐に乗じてヴァルファバラハ リアンの軍団長以下十数人が、首都城塞に 侵入するという一大事が起きた。 近衛兵団により最悪の事態は避けられた ものの、城内に敵の侵入を許すという失態 は歴史に残る汚点といえなくもない。 |
1日:ヴァルファ首都城塞に侵入 (Case.2-2:ヴォルフガリオを倒した) |
1日午前、嵐に乗じてヴァルファバラハ リアンの軍団長以下十数人が、首都城塞に 侵入するという一大事が起きた。 敵軍団長は城門前で東洋人傭兵と一騎打 ちを行った挙げ句自刃し、他の兵士も順次 投降した。 |
3日:敵軍団長はデュノス公? | 嵐に紛れて首都城塞に特攻してきたヴァ ルファバラハリアンの軍団長が、実は病勢 されたと思われていたデュノス公であった という、まことしやかな噂が流れている。 この件に関して、当日敵と接触した近衛 兵団は口をつぐんで何も語ろうとしない。 |
4日:王室会議 「戦争終結」発言 | 4日午後、王室会議は、先の敵軍侵入事 件において敵軍団長が死亡したことから、 約三年に渡った戦争は終結したものとする 内容の発言を行った。 |
5日:ゼノス・ベルシス卿自害 | 5日午前、ダナンのベルシス邸で、当主 ゼノス・ベルシス卿が自害しているのが発 見され、世間を騒然とさせた。 ベルシス家はヴァルファと結託し、王室 会議に対し宣戦布告を行った罪で、近く処 断される予定であった。 |
6日:ヴァルファ残存部隊降伏 | 6日午後、ダナンに到着した騎士団大隊 に対し、軍団長を失ったヴァルファバラハ リアンの残存部隊は抵抗もせず降伏した。 |
7日:プロキアとの調印式は16日に | 先月15日から見送られていたプロキア との休戦協定締結における調印式が、今月 16日にプロキア領ハーベンで行われるこ ととなり、約三年に渡った複雑な戦争にも、 ようやく終止符が打たれる模様。 |
イベントの発生時期により掲載日が不定 | |
??日:遺跡区で崩落事故 ※スーの遺跡崩落事故イベントが発生 |
カミツレ地区遺跡区で崩落事故が発生し、 現場を訪れていた女性が負傷した。 文化部では観光客らに注意を呼びかけて いるが、現場の封鎖などは行わない模様。 |
??日:女子中学生殺害で外国人を逮捕 ※ロリィの誘拐事件後、救出に失敗 |
カミツレ地区遺跡区の地下墓所内で、ド ルファン学園中等部に通う女生徒が殺害さ れる事件が発生し、地区警備班は自首して きたキルト人男性を逮捕した。 男は、騒がれたため首を絞めて殺したと 供述している。 |
ウィークリートピックスは膨大な量の文章により構成されていますので、やむをえず誤植が散見されます。
上記ではあえて原文をそのまま掲載しましたが、以下に明らかに誤植と思われるものとその訂正を掲載します。
D26/5/12 フィンセン公への使者を派遣した模様。→ヘルシオ公への使者を派遣した模様。
※旧公王のフィンセン公は既にゲルタニアに亡命しています。 同14日のプロキア会談とも整合性がありません。
D28/10/16・同23 ステラ王妃→エリス王妃
※ステラは劇団アガサのオーディションで準ヒロイン役になった人物です。
D28/11/19・同20 デュノス国王→デュラン国王
※デュノスは敵軍ヴァルファの軍団長です。
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