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D26年3月第5週 (掲載は翌週始め) | |
25日:第一回傭兵徴募始まる | 軍部は戦力増強の為、スィーズランド連 邦を通じて、傭兵徴募を開始した。 戦力増強を歓迎する声があがる一方、諸 外国から傭兵が流入することで、治安の乱 れを懸念する声が少なくない。 |
27日:プロキア軍ダナンを占領 | 27日未明、プロキア軍によって国境都 市ダナンが占領され、事実上ドルファン側 はプロキア迎撃の拠点を失う事となった。 尚、ダナン占領時に、プロキア側との戦 闘は無かったとされている。 |
28日:ヴァルファ プロキア側に加担 | 開戦当時より噂されていた、傭兵騎士団 ヴァルファバラハリアンの参戦が27日の ダナン占領で明らかになった。 ヴァルファバラハリアンは、スィーズラン ド連邦所属の傭兵部隊で、その実力の高さ は世界屈指と恐れられている。 |
28日:プロキアにおいて反乱発生 | 28日正午、プロキアにてヘルシオ公に よる反乱が勃発。ダナンを占領されたドル ファンにとって、まさに天恵と言える出来 事であった。 侵攻中であったプロキア軍は、侵攻を断 念し、ドルファン領から撤退した。 |
29日:ヴァルファ ダナンから撤退せず | ヘルシオ公の反乱により内戦状態になっ たプロキアだが、ヴァルファバラハリアン は事態を静観。プロキア軍が撤退したにも 拘わらず、依然ダナンを占領し続けている。 尚、プロキア内戦はヘルシオ公側とフィ ンセン公側でのにらみあいが続いている。 |
30日:プロキア内戦終結 | 30日正午、プロキア側の正式発表によ ると、フィンセン公とその支持派はゲルタ ニアへ亡命を遂げた事が明らかになった。 これによりプロキアはプロキア=フィン セン公国からプロキア=ヘルシオ公国へと 名称を改める模様。 |
D26年4月第1週 | |
1日:徴募兵 ドルファンに入国 | 第一回傭兵徴募によって雇用された傭兵 が、1日午後ドルファンへ正式入国した。 今回は海外からの参加者が多い模様。 |
2日:プロキア休戦を提言 | 先の反乱で政権が交代したプロキアから 2日深夜、休戦を求める公式文書が、ドル ファン側へ届けられた。 これに対し、ドルファン側は回答を保留 している模様。 |
3日:ダナン返還と賠償金要求 | 王室会議は、プロキア側からの休戦提案 に対し、ダナン返還並びに賠償金の支払い を大前提とした話し合いに応じると、回答 した。 これに対しプロキア側は難色を示してい る模様。 |
4日:ヴァルファバラハリアン動かず | ドルファン側とプロキア側の休戦交渉が 続けられている一方、ヴァルファバラハリ アンは、依然ダナンを占拠し続けている。 これがプロキア側の意志なのか、かの傭 兵騎士団の独断なのか、王室会議も判断を しかねている模様。 |
5日:プロキア 新体制固まる | ヘルシオ公による新体制が、5日、正式 に決定した。これにより一週間の暫定政権 中の公式見解は全て白紙に戻す模様。 先の休戦提案が白紙に戻されるのかどう かが、現在注視されている。 |
D26年4月第2週 | |
9日:燐光石価格 再び上昇 | ザクロイド財閥による独占が目立つ、灯 火原料「燐光石」の平均価格が、先月中旬 の上昇に引き続き再び上昇した。 これにより昼間照明を自主規制する傾向 が顕著になると予想される。 |
11日:オーリマン卿 燐光石輸入拒否 | 燐光石の値が上昇した事により、商業会 からシベリア産の安価な燐光石の輸入を求 める声が高まる中、輸出入部門を司るベイ ラム・オーリマン卿は、「シベリアとの交 易はあり得ない」と、王室会議において言 明した。 |
12日:外商船 エドワーズ島付近で転覆 | 12日夕刻、アルビアの外商船が、エド ワーズ島付近で転覆した。 沿岸管理局によると、船員のミスによる 事故との判断が濃厚とされている。 乗員は全員無事。 |
13日:自由騎士の通名に疑問 | 騎士の称号を持たず、また軍属としての 階級を持たない世襲騎士の通名である「自 由騎士」について、アルベニン准将は、世 襲族の増長につながるとして、強く非難。 形骸化の進む騎士団へ辛い一石を投じた。 |
D26年4月第3週 | |
15日:森林区北西部にて火事 | 15日深夜、カミツレ森林区北西部にて 森林火災が発生。火は4時間後に消し止め られた。 |
16日:プロキア 再度休戦を提言 | 16日、プロキア側はドルファンに対し 再度休戦を提言した。これに対しドルファ ン王室会議は、先に提示した条件が確約さ れない限り休戦はあり得ないと、かたくな な姿勢をとり続けている。 |
18日:シベリア軍 黒竜江沿岸に布陣 | 中華新報は、黒竜江沿岸に大量のシベリ ア軍が集結したと報じた。黒竜江は北露圏 と東洋圏の境であり、かねてより噂されて いたシベリア側の東洋侵攻が予想される。 |
19日:黒竜江にて武力衝突 | 19日未明、黒竜江沿岸に駐屯していた シベリア軍が渡河を開始。牽制の為集結し つつあった央華軍(中華皇国辺境師団)と の武力衝突に至った。戦況はシベリア側に 有利の模様。 |
20日:シベリア軍 黒竜江沿岸より撤退 | 昨日より続いていた黒竜江での武力衝突 は、20日夕刻、央華側にシンラギククル フォンの右陣紅東軍団が参戦したことによ り形勢が逆転。シベリア軍は同日深夜、黒 竜江沿岸よりチャイカまで撤退した。 央華軍は、再侵攻を懸念し駐屯を続行。 |
D26年4月第4週 | |
23日:騎士団 王室会議へ上奏 | 騎士団は、サミュエル卿を通じて王室会 議に、ダナンへの派兵認可を上奏した。 依然、ヴァルファバラハリアンによる占 拠の続くダナンの問題には、各方面より早 期解決を求める声があがっている。 |
24日:王室会議 騎士団側要求を却下 | 昨日、王室会議に上奏されたダナン派兵 について、24日午後「派兵は時期尚早」 と、騎士団側へ回答があった。 騎士団側は、この回答に対し不服の様子 で、再度上奏が予想される。 |
26日:ヴァネッサ幹部逮捕 | 26日深夜、左派組織ヴァネッサの幹部 バイス・ヘッダーマンが逮捕された。ヘッ ダーマンは、先のダナン派兵が却下された 事で、王室に対するテロを画策していた。 ヴァネッサ側は不当逮捕であると抗議。 テロによる報復が懸念される。 |
27日:ドルファン地区で要人襲撃 | ドルファン地区城下東において、地区警 備班の長官であるW・コーラル氏が、5人 の暴漢に襲撃された。暴漢5人は逮捕。コ ーラル氏は全治3ヶ月の重傷を負った。 尚、この件に関してヴァネッサ側から犯 行声明が出ている。 |
D26年4月第5週〜5月第1週 | |
29日:ヴァネッサ構成員20人を検挙 | ドルファン地区警備班は、同地区の飲食 店の地下にあったヴァネッサ支部を捜索。 20人を検挙、十数点の刀剣、火薬5キロ を押収した。 |
30日:五月祭用資材置き場でボヤ | 30日深夜、翌日開かれる五月祭用の資 材置き場でボヤ騒ぎがあった。火は直ちに 消し止められ被害はごくわずかであった。 一時は不審火と推察されたが、原因は作 業員の火の不始末と判明した。 |
1日:五月祭の人出減 | 1日、例年通りサウスドルファン駅を中 心に五月祭が催された。 昨年に比べると人出は6%減。休戦問題 の停滞化と、ヴァネッサ問題が影響したも のと思われる。 |
3日:ゲルタニア首相選挙 | ゲルタニアにて、3日、首相選挙が行わ れた。前回に引き続きB・コール氏が、次 点のA・カーベラル氏に大差をつけて圧勝 した。コール氏はこれで四期目。 ゲルタニアは共和制へ移行以来、コール 氏による連勝が続いている。 |
5日:コール首相 休戦問題介入を表明 | 先日、四期目の就任を果たしたコール首 相は、停滞が続いているドルファンとプロ キアの休戦問題の早期解決を目指し、ゲル タニアとしても仲介の労をとる意志がある 事を表明した。 |
D26年5月第2週 | |
7日:プロキア ダナン返還を検討 | 7日正午、プロキアのヘルシオ公は、か ねてより問題となっていたダナン返還を前 向きに検討することを、ゲルタニアのコー ル首相を通じて、王室会議へ伝えた。 尚、賠償金については、特に触れられて いなかった模様。 |
8日:プロキア ヴァルファへ撤収命令 | プロキア側は、先月よりダナンを占拠中 の傭兵騎士団ヴァルファバラハリアンに対 し、今月末までにダナンからプロキア領内 へ撤収するよう通達した。これに対しヴァ ルファ側は沈黙を守っている。 |
9日:イングランドヤード 新式銃開発 | イングランド地方のヤードでは、後装式 の新式銃を開発。量産体制確立にむけて準 備を進めている模様。 西欧・北露・西洋の三圏を中心に銃火器 の実戦配備が進む中、ここ南欧では未だ剣 による白兵戦が主流である。 |
12日:ヴァルファ プロキアへ使者派遣 | 12日、ダナンを占拠中のヴァルファバ ラハリアンは、フィンセン公への使者を派 遣した模様。これは先のプロキアから出さ れた撤収要求に対するものと見られる。 |
D26年5月第3週 | |
14日:ヴァルファ=プロキア会談破談 | 12、13日と行われたヴァルファ側と プロキア側との会談は、両者の歩み寄りが みられず物別れに終わった事が、本日正午 プロキア側の発表にて明らかになった。 尚、発表では、ダナン占拠は、ヴァルファ の独断によるものと強調されていた。 |
15日:阿片密輸容疑でヴァネッサ逮捕 | 15日午後、ドルファン港第三ふ頭にお いて、ヴァネッサ幹部バル・バレッタが、 阿片密輸の現行犯で逮捕された。 阿片問題は、ヴァネッサにとどまらず、 騎士団内部での密売がささやかれており、 今回の事件は氷山の一角でしかない。 |
17日:プロキア ヴァルファと断絶 | 17日午後、プロキアのヘルシオ公は、 正式な形で、傭兵騎士団ヴァルファバラハ リアンとの契約を破棄した事を発表した。 この事により、棚上げになっていた休戦 問題が、前向きに検討されると思われる。 |
18日:ヴァルファ プロキアに抗議 | 17日の公式発表を受ける形で、ダナン を占拠中の傭兵騎士団ヴァルファバラハリ アンは、プロキアのヘルシオ公に対して、 契約不履行を前面に押し出した抗議声明を 出した。 |
19日:プロキア ヴァルファを非難 | 18日のヴァルファ側の抗議声明を返す 形で、プロキアから公式声明があった。 内容は、ヴァルファとの契約は、フィン セン公在任時のものであり、現政権におい ては無効、というものであった。 |
19日:エリータス卿 死後十周年を忍ぶ | 19日、聖騎士の称号を受け、数々の活 躍を遂げたラージン・エリータス卿の死後 十年を忍ぶ会がグレスデンホールにて行わ れた。 現在、エリータス家は卿の夫人マリエル 女史によって切り盛りされている。 |
D26年5月第4週 | |
21日:王室会議 休戦協定へ前進 | ドルファン側はプロキアに対し、休戦協 定の締結の条件として掲げていた賠償金請 求を撤回。最終条件をダナン返還のみに絞 った。 |
22日:プロキア ダナン返還を明示 | 22日午後、21日のドルファン側の公 式発表を受けて、プロキア側は、5月31 日までにダナン占拠中のヴァルファを領内 に撤収。6月1日をもってダナンを正式に 返還することを明らかにした。 |
23日:プロキア ヴァルファへ再勧告 | プロキア側は、ダナン占拠中のヴァルフ ァバラハリアンに対し、今月末日までに撤 収が行われない場合は、武力による排除も 有り得ると、強硬な姿勢で勧告した。 ドルファン側は、この勧告をプロキア側 の誠意の表れとして、高く評価している。 |
25日:スペツナズ一個大隊 東欧へ | 東共通信は、シベリア軍がスペツナズ一 個大隊を東欧圏スロバキア地方へ投入した 事を報じた。 これによって、帰属問題で揺れるバスト ニアへのシベリアの軍事介入が、明白とな った。 |
26日:アルビア大使来訪 | 26日午後、アルビア大使マハド・イリ クサム卿が、ドルファンを訪れた。 イリクサム大使は、海軍顧問トーマス・ エールデン卿と会談し、両国の海防につい て話し合った模様。 |
D26年5月第5週〜6月第1週 | |
28日:バストニアで内戦勃発 | シベリアへの帰属問題で揺れていたバス トニア共和国で、28日内戦が勃発した模 様。尚、バストニア南方イシュタクにおい てのスペツナズと独立派ゲリラの衝突では 民間人を含む死傷者は3千名にのぼるとさ れる。 |
29日:豪華客船 最北海近域で沈没 | イングランド地方ヤードを発った豪華客 船クィーンサーリアンド号が、最北海近域 で沈没したと、北英海軍の調査により判明 した。乗客は全員死亡。 |
30日:プロキア軍 テラ河国境線へ出動 | ダナンからの撤収期限が明日に迫った事 から、プロキア側は、ヴァルファバラハリ アンへの督促を名目とし、第二軍をテラ河 国境線へ出動させた。 これに対しヴァルファ側は、動きを見せ ていない模様。 |
31日:ヴァルファ ダナン占拠を継続 | 撤収期限である今日、傭兵騎士団ヴァ ルファバラハリアンは、一切の動きを見 せず、ダナン残留の意志を間接的に示し た。 |
31日:スポーツの祭典開催される | 31日、ダナン問題が深刻化する中、フ ェンネル地区運動公園において、スポーツ の祭典が開かれた。 人出は例年通りで、賑やかな祭典となっ た。 |
1日:ヴァルファ宣戦布告 | 先月31日の期限を過ぎてもダナンから 撤収しなかった傭兵騎士団ヴァルファバラ ハリアンは、1日正午、ドルファンとプロ キアに対して、撤収の意志は無く、場合に よっては交戦も辞さないとの、事実上の宣 戦布告を行った。 |
D26年6月第2週 | |
3日:プロキア臨戦態勢へ | 1日の宣戦布告を受けて、プロキア側は 臨戦態勢へ突入した。しかし、先の内乱で 国軍の疲弊は色濃く、テラ河国境線付近に 布陣中の部隊も、戦闘の意志は薄弱と見ら れる。 |
4日:王室会議 ダナン派兵を討議 | ドルファン王室会議は、騎士団のダナン 派遣を再検討すべく、4日午後より討議に 入った。尚、ドルファン側が臨戦態勢をと らないのは、ヴァルファバラハリアンへの 刺激を避けるためと、ささやかれている。 |
5日:王室会議 ダナン派兵を決議 | 王室会議は、来月中旬に騎士団をダナン へ派遣するという事で決議に至った。 尚、派兵に関しては、今月末までにヴァ ルファ側が撤退しない場合のみで、引き続 きドルファン側からも、撤退勧告を出す模 様。 |
6日:ゲルタニア 派兵協力を申し出 | ゲルタニア政府は、ヴァルファバラハリ アンのダナン占拠問題に対して、ゲルタニ ア軍の一部を供出しても良いとのコメント を非公式ながらも打ち出した。 |
7日:ゲルタニアの派兵協力を却下 | 王室会議は、ゲルタニア政府に対して、 ダナン問題への軍事的介入を、えん曲的に 拒絶する内容の文書を送った。 ドルファン側としては、先のシベリアが 行ったバストニア軍事介入と同化する事を 懸念したと見られる。 |
8日:デュラン王 48回目の誕生日 | 8日、デュラン王は、48回目のお誕生 日を迎えられた。今年は、ダナン問題があ ってか、王宮内での祝典は例年より慎まし やかなものとなった模様。 |
D26年6月第3週 | |
10日:バストニア内戦一時終結 | 10日午後、スペツナズを中心とする政 府軍の攻撃により、独立派ゲリラの拠点で あるリンツが制圧され、この事により内戦 は政府側の勝利として一時終結に至った。 これによりバストニア共和国はシベリア 連邦(連合)に再度帰属する。 |
12日:ヴァルファ プロキア軍を牽制 | 12日夕刻、ヴァルファバラハリアンの 第三大隊がダナンを出発、同日深夜、テラ 河国境線南に布陣した。 これは先月末より同河川北に布陣するプ ロキア第二軍に対する牽制と見られる。 |
14日:プロキア軍 国境付近より撤退 | 12日深夜から続いていたプロキア軍と ヴァルファ側のにらみ合いは、14日午後 プロキア側が撤退した事により、武力衝突 が起こることもなく終了した。 これはプロキア側が武力衝突を避ける為 撤退したとの見方が強い。 |
16日:カミツレ山中で土砂崩れ | 16日午前、カミツレ地区カミツレ山中 にて土砂崩れが発生。人家への被害は無か った。 |
D26年6月第4週 | |
18日:セリナ運河に身元不明の水死体 | 身元不明の水死体が、セリナ運河中流域 で、18日、発見された。 遺体は腐敗が進んでおり、死後2、3ヶ 月は経過しているものと思われる。 |
19日:ヴァルファ大軍団長 各国へ声明 | 傭兵騎士団ヴァルファバラハリアンの大 軍団長であるデュノス・ヴォルフガリオは プロキア、ゲルタニア、ハンガリアの三国 に対して、侵略の意志はないという声明を 発した。尚、ドルファンに対しての声明は 一切無かった。 |
20日:身元不明遺体は行方不明の神父 | 18日にセリナ運河で発見された身元不 明の遺体は、先々月より行方が解らなくな っていたアイン・カラベラル神父である事 が、関係者の証言により明らかになった。 カラベラル神父は、先々月3日、自宅を 出た後、行方不明になっていた。 |
22日:カミツレ地区で夏至祭 | 22日、恒例の夏至祭がカミツレ駅前を 中心に賑わいを見せた。 先の燐光石値上がりのせいか、夜間の出 店数が前年より少なかった模様。 |
23日:王室会議 ヴァルファ対策を模索 | 先の三国に出された声明で、ドルファン への侵攻が明確化したヴァルファバラハリ アンに対する防戦体制並びに掃討計画を模 索する討議が、23日、王室会議と軍部の 間で行われた模様。 |
D26年6月第5週 | |
25日:ヴァルファヘ最終勧告 | ドルファン側は、ダナンを占拠中の傭兵 騎士団ヴァルファバラハリアンに対して、 今月末までに撤収が行われない場合、武力 掃討を実行すると、最終勧告を行った。 |
26日:ヴァルファ応戦を明示 | 26日正午、25日のドルファン側の最 終勧告を受けて、ヴァルファバラハリアン は、ダナンへドルファン側が派兵した際に は、総力をあげて応戦すると声高に明示し た。 |
27日:ゲルタニア 静観を明示 | ゲルタニア政府は、ドルファン側とヴァ ルファの間で武力衝突が行われた場合、ゲ ルタニアとしては、一切干渉しない事を明 らかにした。 これは先にドルファン側がゲルタニアの 軍事介入を拒絶した事を受けている。 |
29日:ハンガリア 中立を維持 | ドルファン=プロキア戦争開戦時から不 干渉を維持し続けていたハンガリアは、今 後も中立を維持する事を、文書で王室会議 に通達した。 これでハンガリア、ゲルタニアの二国が 中立。残るプロキアの動向が注目される。 |
30日:ヴァルファ ダナンより撤退せず | 先の最終勧告により今月末が撤退期限と されていたヴァルファバラハリアンは30 日深夜になっても撤退の兆候は見せず、こ れで7月中旬に予定される派兵は、動かぬ ものとなった。 |
D26年7月第1週 | |
1日:遺跡区で倒壊 | 1日午後、遺跡区の北西パンディエロの 遺跡が自然倒壊した。パンディエロの周囲 は、先々週より立入禁止区域になっていた ので事故には至らなかった。 |
2日:騎士団 ダナン攻略に向けて準備 | 7月中旬に行われるダナン派兵を目して ドルファン騎士団では、本格的な準備に取 りかかった模様。 |
4日:プロキア シンラギに参戦要請 | プロキアは、スィーズランド連邦を通じ て、東洋圏最強と言われる軍事集団シンラ ギククルフォンへ、部隊の派遣を求めてい た事が、4日、判明した。 これがヴァルファ対策なのか、ドルファ ンへの再侵攻なのか、疑念が持たれる。 |
5日:プロキア ドルファンへ釈明 | 4日明らかになったシンラギククルフォ ン雇用問題に関し、プロキア側からドルフ ァン側へ、シンラギへの参戦要請は対ヴァ ルファの為で、再侵攻の準備ではないと、 文書で通達された。 王室会議は判断を保留する模様。 |
7日:ヴァルファ 部隊配置変更 | 7日、ダナンを占拠中の傭兵騎士団ヴァ ルファバラハリアンが、各部隊の配置変更 を行っているのが判明した。 国境付近に位置していた第三大隊はダナ ンへ移動、代わりに第四大隊が国境付近へ 移動を開始した模様。 |
7日:ダナン派兵 15日前後を予定 | 王室会議は、ダナン派兵を遅くとも今月 15日前後に実行する事を明らかにした。 これで、ヴァルファバラハリアンとの武 力衝突は確実となったが、果たして全欧最 強の傭兵騎士団に対し、ドルファン騎士団 が、どこまで戦えるか懸念される。 |
D26年7月第2週 | |
8日:騎士団 斥候をダナンへ派遣 | 今回の派兵の中心となるドルファン騎士 団は、8日未明、斥候をダナン方面へ派遣 した模様。 |
9日:斥候 敵軍と小競り合い | ダナン方面へ派遣されていた斥候隊が、 9日午後、旧軍自治区イリハにて、ヴァル ファバラハリアンのしょう戒部隊と接触し た模様。この事により、ヴァルファがイリ ハ付近まで展開していることが判明。主戦 闘地はイリハが濃厚とされる。 |
10日:シンラギ ハンガリアに到着 | かねてより噂されていた東洋圏最強の戦 闘部隊シンラギククルフォンの一個大隊が 10日、ハンガリアのアデラマ港に到着し た。ハンガリア政府は、シンラギの国内通 過、プロキアへの入国を許諾した模様。 |
11日:ヴァルファ 大隊を南北に展開 | ダナンを占拠中のヴァルファバラハリア ンは、第二、三、五大隊をダナン南方のイ リハへ向けて出発させていた事が判明。同 時に第一大隊の一部が北方のテラ河国境線 へ移動、以前より展開中の第四大隊と合流 した模様。 |
13日:シンラギ一個大隊 プロキア入国 | シンラギククルフォンの一個大隊が13 日深夜、プロキアへ入国した。これにより プロキアが、今回のドルファンのダナン派 兵に介入してくる可能性が濃厚になった。 |
14日:ダナン派兵第一陣 15日出発 | 軍部は、ダナン派兵の第一陣である騎士 団第二、第四大隊の出発を、15日正午と 発表した。尚、予定される戦場は、ダナン の南方の旧軍自治区イリハになる模様。 |
D26年7月第3週 | |
15日:ダナン派兵第一陣出発 | 15日正午、ダナン派兵第一陣となる騎 士団第二、第四大隊が、首都城塞を出発し た。後続である第三、第五大隊の出発は見 合わせている模様。 |
16日:イリハにて大規模衝突始まる | 16日午後、旧軍自治区イリハにてドル ファン騎士団とヴァルファバラハリアンに よる大規模な武力衝突発生。戦況はドルフ ァン側が優勢の模様。 |
17日:騎士団第二大隊壊滅 | 17日深夜、ドルファン騎士団第二大隊 が、ヴァルファバラハリアン第二大隊によ って壊滅した事が明らかになった。 大隊といえど中隊規模でしかないヴァル ファへの敗北は、皮肉にも世間の風評を肯 定する事となった。 |
19日:第四大隊 敵第三大隊と衝突 | 騎士団第四大隊は、イリハ南西部にて、 ヴァルファバラハリアンの第三大隊と接触 し、交戦状態に入った模様。戦況は不明。 |
20日:第四大隊ウエール北部まで後退 | イリハ南西部にて敵の第三大隊と交戦中 であった騎士団第四大隊は、20日夕刻、 ウエール北部まで後退していた事が明らか になった。既に大隊の生存者数も半数強と いうところで、敗北による撤退と見なされ る。 |
21日:プロキア混成軍 国境付近へ展開 | 21日午後、シンラギククルフォンを先 鋒としたプロキア混成軍が、テラ河国境線 付近に展開した。これを受けてヴァルファ バラハリアンは、ドルファンへ進軍中の第 二、三、五大隊を急きょダナンへ撤収、騎 士団第四大隊は追撃を免れた。 |
D26年7月第4週 | |
22日:騎士団撤収 責任問題へ | 21日より城塞内へ撤収しつつあったダ ナン派兵部隊(第二、第四大隊残存組)は 22日正午までに撤収が終了した。 王室会議は、今回の現場指揮官である、 カイル・コーツ大佐を喚問。イリハにおけ る大敗の責任を追及する模様。 |
23日:ヴァルファ シンラギ 対陣続く | テラ河国境において対陣が続く、傭兵騎 士団ヴァルファバラハリアンとプロキア軍 の先鋒をつとめるシンラギククルフォンの 二者は、小規模の戦闘を数度行ったのみで 大規模な武力衝突には至らない模様。 |
24日:国王 戦死者へ哀惜の意 | ドルファン城第二広場で行われた合同葬 儀において、デュラン国王は戦死者に対し 哀惜の意を述べられた。 |
27日:テラ・ヴァネッサ 反戦を提唱 | 左派組織で知られるヴァネッサの穏健派 テラ・ヴァネッサは、今回の派兵に対し、 無用の武威を振るうものとして、27日、 各地で反戦演説を行った。このうち城門前 へデモ行進を行おうとした若者のグループ が近衛隊と乱闘、9人が逮捕された。 |
28日:ゲルタニア ハンガリア共同声明 | 28日正午、ゲルタニアとハンガリアの 両政府は、ドルファン領内を侵犯中の傭兵 騎士団ヴァルファバラハリアンに対して、 一切の援助並びにそれに類する行為は行わ ないとの共同声明を発した。これにより、 ヴァルファの行動は制限される事になる。 |
D26年7月第5週〜8月第1週 | |
30日:第二次傭兵徴募開始 | 軍部はスィーズランド連邦を通じて、前 回に引き続き海外における傭兵徴募を開始 した。今回は西洋圏が中心となる模様。 |
1日:ヴァルファ シンラギ 対陣終了 | テラ河国境線を挟んで対陣を続けていた 傭兵騎士団ヴァルファバラハリアンとシン ラギククルフォンは、1日未明、両軍とも 国境線より後退した。ヴァルファはダナン へ撤収し、今後の動向が注目される。 |
2日:プロキア ドルファン援護を表明 | プロキアのヘルシオ公は、ドルファン王 室に対し、今後1年間、ヴァルファバラハ リアンを牽制し、ドルファンを援護すると いう内容の親書を送った。これを受けて、 王室からも感謝の意を表す返書が、ヘルシ オ公宛に送られた。 |
4日:ガリレア博士 ベンヒル賞受賞 | 現在スィーズランドのリーデン学術院で 研究を行っている邦人ガリレア・ガリネシ ス博士が、4日、ベンヒル賞を受賞した。 ベンヒル賞は、新分野を開拓した研究者 に贈られるもので、今回は博士の積年の化 学分野開拓を称えたもの。 |
D26年8月第2週 | |
5日:採掘現場で落盤 | 5日午前、燐光石を採掘する坑道で、落 盤事故が発生。4人が死亡、重軽傷者12 名を出す惨事となった。 事故が起きたのはカミツレ地区第28採 掘区42番坑道で、以前より落盤の危険性 が指摘されていた。 |
7日:文化部 軍部の立案書を即日却下 | 文化部は、軍部より提出されたカミツレ 地区遺跡区における演習場の建設立案書を 即日却下した。 文化部は文化遺産の保全を絶対意見とし 各種の開発に足止めを課している。 |
10日:ピクシス家に女児誕生 | 10日午後、アルダナル・ピクシス卿と エラリス婦人の間に女児が誕生した。 王室会議の筆頭であるピクシス家でのご 生誕とあって、祝賀客も多数訪れた。 |
11日:南洋圏 オースチンで大地震 | 11日、南洋圏オセアニア地方オースチ ンで、大地震が発生し、数千人が死亡した 模様。 |
D26年8月第3週 | |
12日:王女行方不明騒ぎ | 12日午前、軍部によって発令された非 常召集は、王女捜索であった事が同日夕刻 になって判明した。 王女は無事保護に至り事なきを得たが、 この不審事に対し、王室から詳しいコメン トはなかった。 |
14日:ヴァン=トルキアで王位継承問題 | 14日未明、ヴァン=トルキア王国国王 アイン・ヘレニガム14世が崩御された。 これによりトルキア大帝国時代より続く ヘレニガム家の直系は途絶えた事となり、 傍系のアレイス家とクルニガム家による王 位継承問題は深刻化すると見られる。 |
15日:各地で薬草の特売会 | 動植物の日である15日、各地で薬草の 特売会が行われた。 1年で最も効能のある日として、例年盛 況になる特売会だが、今年は晴天に恵まれ たせいか、薬草を求める人の数は昨年以上 であった。 |
16日:シベリア大使来訪 | シベリア大使イワン・キルギスキー卿が 16日、来訪した。 キルギスキー大使の目的はドルファンが 拒否し続けている燐光石の輸入自由化にあ り、今回オーリマン卿がどう対応するかが 注目されている。 |
17日:シベリア交易一部自由化へ | キルギスキー卿との会談が行われた17 日、オーリマン卿は、燐光石の輸入は行え ないが、鉄鉱・石炭の二品目に関しては自 由化の方向性を検討するという善処案で、 会談を締めくくった。 |
D26年8月第4週 | |
20日:ヴァン=トルキア内戦突入 | ヘレニガム14世の葬儀が行われないま ま王位継承問題で揺れていたヴァン=トル キアで、20日深夜、遂にアレイス家とク ルニガム家による本格的な武力衝突が発生 した。これでヴァン=トルキアは実質上内 戦状態へと突入した事となる。 |
21日:ゲルタニア クルニガム家を支持 | ゲルタニア政府は、ヴァン=トルキアに おける内戦に対し、クルニガム家を支持す る方向で、積極的に関与する事を明らかに した。 |
22日:ダナンより商業者来着 | 現在、ヴァルファバラハリアンによって 占拠中のダナンより、22日未明、商業者 二十余名が首都城塞へ到着した。 商業者の話では、ダナンは平穏であり、 都市の出入制限以外、占拠以前と変わらな い状態にあるという。 |
24日:シベリア アレイス家を支持 | 24日、シベリア政府はヴァン=トルキ ア内戦に関し、アレイス家を支持する方向 で積極的に関与することを明らかにした。 一方、バストニア駐屯のスペツナズは撤 収。近くヴァン=トルキアへの投入が予想 される。 |
D26年8月第5週 | |
26日:ゲルタニア軍 内戦介入へ | 26日午後、ゲルタニア軍がヴァン=ト ルキアとの国境線を越え、クルニガム家側 の国軍と合流した模様。 |
27日:プリシラ王女 軍施設を慰問 | 27日午後、プリシラ王女が、シーエア ー地区臨海区の騎士団第一駐屯地を慰問さ れた。これは先のダナン派兵による士気喪 失を考慮したものと見られるが、関係者は 慰問時期の遅さに不満を抱いている様子。 尚、王女の公務は8ヶ月ぶりの事。 |
30日:ヴァン=トルキア内戦泥沼化 | 30日午後、ヴァン=トルキアの首都ト ルキアでは、ゲルタニア軍による攻撃によ り数千人の死傷者が出た模様。尚も戦闘は 継続中であり、今後、シベリア軍の介入に よって更なる泥沼化が予想される。 |
31日:乗合い馬車組合 1日ストライキ | 賃金交渉で平行線をたどっていた商会側 と組合側は、31日に入っても折り合いが つかず、組合側は同日から予定通りストラ イキに入ったが、同日夕刻、商会側の譲歩 により、ストライキは一日で終了した。 |
D26年9月第1週 | |
2日:ヴァルファ ハーベンを奇襲 | ダナンを占拠中の傭兵騎士団ヴァルファ バラハリアンが、2日深夜、プロキア領内 の国境都市ハーベンを奇襲し、駐屯中のプ ロキア正規軍に被害を与えた模様。 尚、シンラギククルフォンは奇襲時、ハ ーベンには駐屯していなかったとされる。 |
3日:ハーベンで再度夜間戦闘 | 2日深夜に戦闘があったばかりのプロキ ア領ハーベンで、3日深夜、またしても戦 闘が行われた。詳報によると、ヴァルファ バラハリアンの一中隊とハーベンに駆けつ けたシンラギククルフォンが衝突したとさ れている。 |
4日:ハーベンでの戦闘終了 | 3日深夜から続いていたプロキア領ハー ベンでの戦闘は、ヴァルファバラハリアン が国境線まで退いたことにより終了した模 様。両軍の被害は不明。 |
6日:スペツナズ トルキアへ上陸 | 6日、ヴァン=トルキアのリグ港にシベ リア軍一個大隊スペツナズが到着し、アレ イス家側国軍と合流した。 シベリアの軍勢がトルキア地方へ足を踏 み入れたのは今回が初めてとなり、周辺諸 国は、この動きを不安視している。 |
8日:旧水道一時閉鎖 | カミツレ地区遺跡区からドルファン地区 中央区まで続いていた旧水道(ノータル地 下水道)を、8日午後、水流をせき止め、 閉鎖した。この処置は一時的なもので、今 後様子を見て再開を検討すると、管理局は 話している。 |
D26年9月第2週 | |
10日:王室会議 一部改変 | 王室会議は、10日、五家評議会の構成 を一部変更した。変更内容は元参位のベル シス家の除名、新たにピクシス分家を参位 に加えるというもの。ドルファン王家の上 位、ピクシス家の筆頭(次席)、エリータ ス、カイニスの両家の参位は継続。 |
11日:ゲルタニア、シベリア両軍衝突 | ヴァン=トルキア内戦に介入していたゲ ルタニア、シベリアの両国の軍隊が、11 日、首都トルキア北西部で大規模な戦闘を 繰り広げた模様。 |
13日:ピクシス卿 ベルシス家を非難 | 王室会議の筆頭であるアナベル・ピクシ ス卿は、先に除名されたベルシス家の当主 ゼノス・ベルシス卿の除名理由を、王家に 反意を抱きし者として、明らかにした。 ベルシス卿は、現在占拠中のダナンにて 沈黙を守っている。 |
15日:ヴァン=トルキア内戦続報 | 11日から始まったゲルタニア軍とシベ リア軍の戦闘は、15日深夜になっても収 束の気配を見せず、戦闘の長期化が予想さ れる。尚、両国とも近く増援部隊を投入す る模様。 |
D26年9月第3週 | |
16日:シベリア軍船 英海峡で砲撃 | 16日午後、ドーバー海峡を通過しよう としたシベリア軍船4隻が、海峡を巡視中 のブリストル軍船に対し砲撃したことが、 明らかになった。 シベリア軍船は砲撃の後、海峡の通過を 断念し、撤退した模様。 |
18日:灯火持続時間の延長に成功 | 燐光石の発光限界を、従来の6ヶ月から 7ヶ月弱にまで延ばすことが、スィーズラ ンドのリーデン学術院の実験で成功した。 燐光石はベリ酸との反応で発光するが、 今回はベリ酸にオキロ酸塩を加えたとされ る。 |
19日:セリナ運河 全面航行規制 | 19日、河床工事のため、セリナ運河の 航行が全面的に規制された。規制は22日 の土曜まで続く模様。 |
21日:黒竜江沿岸 再度緊張高まる | 21日午後、シベリア軍が再度黒竜江沿 岸まで軍を進めたことが、中華皇国側の抗 議声明によって明らかになった。 シベリア側は中華皇国側の抗議に対し、 必要最低限の国防であると、侵攻に関して 全面的に否定した。 |
22日:プロキア 紫南軍団を包有 | 7月中旬からプロキア軍に加盟していた シンラギククルフォンが、右陣紫南軍団で あった事が、関係者の報告で明らかになっ た。紫南軍団は、ベトナム戦役でホーチミ ン政府側に加盟していた。指揮官はグエン =ベノ=ワンチャイ。 |
D26年9月第4週 | |
24日:ダナン造反疑惑 | 現在、傭兵騎士団ヴァルファバラハリア ンによって占拠中である国境都市ダナンに おいて、ベルシス家を中心にヴァルファ側 へ恭順の動きがあることが、関係者の証言 によって明らかになった。尚、ベルシス家 との連絡は途絶えている。 |
25日:王室会議 ダナン使者派遣を検討 | 王室会議は、占拠中のダナンへ使者を派 遣する事について、25日夕刻から討議に 入った。使者派遣の目的は、ヴァルファバ ラハリアンの動向を探る事を前提としてい るが、実際はベルシス家の動向を探るもの との見方が強い。 |
26日:ダナンへの使者派遣を決議 | 26日、王室会議はダナンへの使者派遣 を来月初旬に行う事で決議した模様。 |
27日:乗り合い馬車同士の追突事故 | 27日午前、ドルファン地区城南区の大 通りで、乗り合い馬車同士の衝突事故が発 生。死者1名、重軽傷者3名を出す事故と なった。 |
28日:黒竜江沿岸で小規模戦闘 | 28日、黒竜江沿岸でシベリア軍と央華 軍との間で小規模な戦闘が行われた。 今回の戦闘は斥候部隊同士によるもので 両軍の形勢を左右するものではない模様。 |
29日:収穫祭開催 | 29日、収穫祭がフェンネル地区を中心 に催された。 今年の収穫高は冷夏の影響からか、若干 減少すると見られる。 |
D26年10月第1週 | |
1日:ダナンへの使者出発 | 占拠中のダナンへの使者が、1日正午、 首都城塞を出発した。 使者の目的は、ヴァルファバラハリアン 軍団長デュノス・ヴォルフガリオへの接見 と、ゼノス・ベルシス卿の召喚。 |
3日:使者 ヴァルファ軍団長に接見 | 3日午後、ドルファン側の使者が、ヴァ ルファバラハリアン参謀キリング・ミーヒ ルビスとの接見に至った。 この接見の際に、ヴァルファ側から「復 讐」という言葉が出たが、何に対する復讐 なのかは明らかにしなかった。 |
4日:ベルシス卿 召喚を拒絶 | 4日夕刻、3日のヴァルファとの接見に 続き、今度はゼノス・ベルシス卿との接見 が行われた。 ベルシス卿は使者から召喚の意を伝えら れた際、王室会議除名と召喚はピクシス卿 の陰謀として、召喚には応じなかった。 |
6日:フェンネル地区で一家惨殺 | 6日午後、フェンネル地区住宅区のアパ ートで、このアパートの住人クリス・アン ダースン氏とその家族を含む計4名が、他 殺体で発見された。 地区警備班は、えん恨による犯行として 捜査を進める模様。 |
D26年10月第2週 | |
7日:シベリアサーカス団 来月来演 | 来月1日にシベリアのパリャールヌイ・ サーカスが来演することが、文化部の発表 で明らかになった。 この件は、先のシベリア大使来訪の際、 話し合われたとのこと。 |
9日:風刺画 城西区内で散布 | ベルシス家とピクシス家の確執を描いた 風刺画が、9日午後、ドルファン地区城西 区で散布された。 地区警備班は風刺画を回収、散布してい た学生グループ5人を逮捕した。 |
11日:考古学術院 遺跡区を再調査 | ドルファン考古学術院は、カミツレ地区 遺跡区の未調査地帯で、11日午後から3 日間、再調査を行う。 |
12日:騎士団 大隊を再編成 | 12日、軍部は先のダナン派兵において 壊滅した大隊の再編成を行った。 編成の内容は、壊滅した第二大隊に各大 隊から中隊を補てん。第四大隊は、現在の ところ欠番扱いになる模様。 |
D26年10月第3週 | |
16日:国王狩りの日 | 16日、デュラン国王はカミツレ山中で 鹿狩りを行われた。 今年の鹿狩りは、晴天に恵まれ、前年に 比べ高い成果をあげられた様子。 |
17日:シベリア軍 黒竜江を渡河 | 17日未明、シベリア軍の猛攻により、 央華軍は防衛線を破られ、黒竜江渡河を許 した模様。詳細は不明。 |
19日:一家惨殺の犯人逮捕 | 6日に起きたアンダースン一家惨殺事件 で、19日深夜、地区警備班は無職ボーン ・オズ(29)を逮捕した。 動機についてオズは、あまりに幸せそう なので妬ましかったと、供述している。 |
D26年10月第4週 | |
21日:シベリア軍 ユイメンを占拠 | シベリア軍は、黒竜江渡河後、中華皇国 領ユイメンを占拠していた事が、21日、 明らかになった。シベリア軍と央華軍の戦 闘は依然続いている模様。 |
23日:アンジェリス教国で黄熱病まん延 | 東欧圏スロバキア地方アンジェリス教国 の一部で、黄熱病がまん延している事が、 23日、東欧赤十字の報告で明らかになっ た。 |
26日:プリシラ王女 17回目の誕生日 | 26日、プリシラ王女が17回目のお誕生 日を迎えられた。 現在アルビア皇太子とのご親交が噂され ているが、それに対するコメントはなかっ た。 |
27日:怪文書散布でヴァネッサ幹部逮捕 | 27日午後、ヴァネッサの幹部が王室を 標的とした怪文書を散布し、逮捕された。 文書の内容は、プリシラ王女の出生問題 が主体で、現王女は国王の実子ではないと 強い調子で指弾されていた。 王室会議は、この内容を否定している。 |
D26年10月第5週〜11月第1週 | |
29日:騎士団 第二次ダナン派兵を上申 | 29日、ドルファン騎士団は、占拠中の ダナンへの第二次派兵を、王室会議へ上申 した。 しかし7月の第一次派兵が失敗に終わっ た事から、王室会議側の反応は芳しくない 模様。 |
30日:王室会議 第二次派兵を却下 | 王室会議は、30日、騎士団に対して、 ダナンへの派兵を却下する回答を示した。 |
31日:セリナ運河でゴンドラ転覆 | 31日午後、セリナ運河を運航中のゴン ドラが、鉱石運搬船と接触し転覆。ゴンド ラに乗っていた遊覧客の1人が死亡した。 |
1日:第204回建国記念日 | 1日、第204回建国記念の祝典が、ド ルファン城内青の広間で行われた。 トルキア大帝国の一領であったドルファ ンが、大戦後、国として成立してから20 0年が過ぎた現在、祝典が行われるのは、 ごく一部となった。 |
1日:パリャールヌイ・サーカス来演 | シベリアのサーカス団「パリャールヌイ ・サーカス」が、1日午前、ドルファンへ 来演した。公演は来年2月まで行われる。 |
3日:ズィーガー砲一斉発射 | 3日午後、シーエアー地区海岸区のズィ ーガー砲群が、点検整備終了後、確認の試 射として、第1番砲群から第7番砲群まで 順繰りに一斉に発射され、晩秋の空にごう 音が響きわたった。 |
D26年11月第2週 | |
5日:ハンガリアで爆弾テロ | 5日、ハンガリア共和国ボルクで、劇場 に仕掛けられた爆発物が爆発。死者21名、 重軽傷者121名の大惨事となった。 この事件の直後、右派組織「ボルキア回 帰戦線」から犯行声明があった模様。 |
6日:燐光石 大量盗難 | 燐光石の流通を営んでいるマクトガル商 会の倉庫から、大量の燐光石が紛失してい るのが、6日午前、商会からの届け出で明 らかになった。 地区警備班は、現場の状況から組織的な 犯行として、捜査を進める模様。 |
8日:オライリー卿死去 | ボルキア革命の際、旧ボルキア王国(現 ハンガリア共和国)より亡命してきたアル メイト・オライリー卿が、8日未明、心不 全の為亡くなった。 |
10日:ヴァルファ シンラギ小競り合い | 10日、テラ北河ビックブリッジ周辺で ヴァルファバラハリアンとシンラギククル フォンの小競り合いが行われた模様。 戦闘は、しょう戒部隊同士によるものと 思われる。 |
D26年11月第3週 | |
11日:ハンガリアで再度爆弾テロ | 11日、ハンガリア共和国ボルクで、再 び爆弾テロが発生した模様。被害状況は、 まだ分かっていない。 |
12日:警察部隊 テロ組織アジトを急襲 | ハンガリア共和国ボルクで、12日、先 の二件の爆弾テロを実行したとされる右派 テロ組織「ボルキア回帰戦線」のアジトを 警察部隊が急襲。アジトに潜伏していたテ ロリスト12人を逮捕した模様。 |
13日:プリシラ王女 商店街をご訪問 | 13日午後、ドルファン地区城南区商店 街を、プリシラ王女がご訪問された。王女 は、ねぎらいのお言葉を各店舗でかけられ ていたが、事前に通達のなかったご訪問に 対し、市民は多少戸惑い気味であった。 |
15日:ドルファン病院でボヤ騒ぎ | 15日深夜、ドルファン病院でボヤ騒ぎ があった。出火の原因は、看護婦の火の不 始末とされ、地区消防班はこの看護婦から 事情を聴いている。 |
16日:王室会議 課税額引き上げを検討 | 16日、王室会議は、軍事費拡大を理由 に、来年4月に課税額の引き上げを行うべ く討議に入った。 |
D26年11月第4週 | |
19日:王室会議 課税額引き上げを決議 | 19日正午、王室会議は、課税額の引き 上げを来年4月1日から行うことで決議に 至ったことを関係各部に通達した。 この決議に対し各方面、特に財界から非 難の声があがっている。 |
21日:エルバデュール皇太子 留学 | 東欧圏スロバキア地方エルバデュール王 国の皇太子が、21日午後、スィーズラン ド連邦ベッヘルに到着した。皇太子の目的 は、学術院への留学。 |
22日:フェンネル地区で反対運動 | 22日午後、フェンネル地区城壁区に建 設が予定されている騎士団第二養成所を巡 って、周辺住民による反対運動が、地区広 場で行われた。 現在第一養成所で外国人傭兵の訓練が行 われており、治安問題で揺れている。 |
23日:シベリア軍船トルキア内海へ | 23日、シベリア軍船4隻が、トルキア 内海へ到着した。先の英海峡封鎖により、 今回は極北海側を経由した模様。 シベリア軍船は一両日中にヴァン=トル キアへ入港すると思われる。 |
D26年11月第5週〜12月第1週 | |
25日:シベリア軍増援部隊上陸 | 25日未明、シベリア軍の増援部隊が、 ヴァン=トルキアへ上陸した模様。 この事が内戦の戦況にどのような影響を 与えるか注目される。 |
27日:国王像破壊の男を逮捕 | 27日午後、ドルファン国立公園内にあ るデュラン国王の像を、近くにいた男が突 然、鉄ついを使用し、像の頭部など数ヶ所 を破壊した為、通報によって駆けつけた地 区警備班に逮捕された。 男は二十歳前後、身元は明らかでない。 |
28日:遺跡区で崩落事故 | 28日午後、カミツレ地区遺跡区の神殿 跡で、遺跡の一部が崩れ落ち、調査のため 訪れていた学術院の生徒が軽傷を負った。 これを受けて、文化部は崩落の危険性の ある一部の遺跡を立入禁止にする模様。 |
29日:ゲルタニア軍増援部隊入国 | 26日のシベリア側の増援部隊上陸を受 けて、29日午後、ゲルタニア側も増援部 隊をヴァン=トルキアへ入国させた。 王位継承問題から始まった内戦は、既に ゲルタニアとシベリアによる二国間紛争に すり替わりつつある。 |
2日:ザクロイド財閥 リドの太陽落札 | 王室から民間へ払い下げられたリゴディ ッドの名画「リドの太陽」を、2日の内売 会で、ザクロイド財閥が落札した。尚、落 札価格は公表されていない。 |
D26年12月第2週 | |
2日:サーカスの猛獣脱走 (Case.1:ホワイトタイガーを倒さない) |
2日午前、パリャールヌイ・サーカスの ホワイトタイガーをはじめとする猛獣6頭 が、テント内から脱走。シーエアー地区へ 逃走した。猛獣は夕刻までに取り押さえら れたが、15人の重軽傷者を出した。 |
2日:サーカスの猛獣脱走 (Case.2:ホワイトタイガーを倒した) |
2日午前、パリャールヌイ・サーカスの ホワイトタイガーをはじめとする猛獣6頭 が、テント内から脱走。シーエアー地区へ 逃走したが、折良く近くにいた東洋人傭兵 らの活躍により、正午までには猛獣は捕獲 され、被害者も出なかった。 |
2日:国立銀行で金塊強奪される | 2日午前、ドルファン地区城南区の国立 銀行が、覆面の集団に襲撃され、大量の金 塊が強奪された。 この事件の際、地区警備班はシーエアー 地区の猛獣騒動の応援に出ており、対処が 遅れた様子。 |
4日:阿片密造で東洋人グループ逮捕 | 4日夕刻、シーエアー地区港北区の倉庫 で阿片を密造していた東洋人グループを逮 捕。グループのリーダーと見られるリー・ シャオロンは、逮捕の際抵抗した為、その 場で刺殺された。 |
6日:バリントン邸全焼 | 6日深夜、マリーゴールド地区第参区に あるレオン・バリントン卿のお屋敷が全焼 し、奉公人数名が軽度の火傷を負った。 バリントン邸はザクロイド財閥の抵当に 入っており、今後バリントン家の存続が不 安視される。 |
8日:ケインズランドで暴動 | 8日、南洋圏オセアニア地方ケインズラ ンドで、大規模な暴動が発生した模様。 この暴動は先にオセアニア地方を襲った 大震災による食糧不足深刻化が要因と思わ れる。 |
D26年12月第3週 | |
10日:城壁の一部を修繕 | 首都北西部の城壁を修繕する作業が10 日から始まった。作業内容は、一部の破損 個所を補修する程度で、来月半ば頃には終 了する予定。 |
11日:エドワーズ島で竜巻発生 | 11日午後、エドワーズ島の南西部で大 型の竜巻が発生し、漁港など十数ヶ所に被 害を与えた模様。尚、負傷者等に関しては 明らかになってない。 |
13日:ダナンで銃密造疑惑 | 現在ヴァルファバラハリアンによって占 拠中のダナンにおいて、占拠以前から都市 の一画で銃の密造を行われていたとの噂が 関係者の間で流れている。密造されていた 銃はガリハント銃で、ヴァルファの銃兵隊 に提供されているとの噂もある。 |
15日:ケインズランド暴動鎮圧 | 8日に起こった南洋圏オセアニア地方ケ インズランドの暴動は国軍の出動により、 15日深夜、鎮圧された。 今回の暴動での死傷者は7日間で千人を 越えるとされ、震災に引き続き傷ましい惨 事となった。 |
D26年12月第4週 | |
16日:ドルファン地区で連続通り魔事件 | 16日の未明から深夜にかけて、ドルフ ァン地区城北区で2件、城東区で3件の計 5件の通り魔と見られる事件が発生した。 犯行はいずれもナイフを使用したもので 目撃者の証言からも、同一人物の通り魔的 犯行として捜査が進められている。 |
18日:偽金貨ちゅう造で学術院生逮捕 | 18日、ドルファン総合学術院内で偽金 貨をちゅう造していた生徒4名が、逮捕さ れた。没収された偽金貨は百数十枚に及び これまでに五十枚近くの偽金貨が、ヴァネ ッサの資金源として利用されたと、生徒の 供述で明らかになった。 |
22日:ロズウェル卿108歳の誕生日 | 22日、ジョージ・ロズウェル卿が10 8回目の誕生日を迎えられた。 卿は、白騎士の称号を持っており、騎士 団関係者が多く祝賀に訪れていた。 尚、国内での最長寿者として、卿に対し 近く王室から恩典がもたらされる予定。 |
D26年12月第5週 | |
23日:通り魔事件フェンネル地区へ波及 | 23日の未明から深夜にかけて、フェン ネル地区住宅区で3件の通り魔事件が発生 した。犯行は一連の通り魔事件と酷似して おり地区警備班は同一犯と判断し、容疑者 の割り出しに全力をあげている。 |
24日:各地でイヴ模様 | クリスマス・イヴの24日、各地でイヴ を楽しむ催し物が開かれた。 ドルファン城でも、民間人へ城内の一部 を開放してパーティーを催すなど、イヴな らではの光景が見受けられた。 |
26日:ダナン周辺に際立つ動きなし | 26日、ウエールに駐屯していた第七警 戒部隊が、交代のため首都城塞へ引き上げ てきた。警戒部隊の報告によると、ダナン 周辺に際立った動きは見られず、年内に大 規模な事変は起きないものと、軍部は判断 している。 |
28日:王室会議 最終報告会 | 28日、今年最後の王室会議が、各部の 最終報告会を中心に行われた。 この会議では、途絶しているプロキアと の休戦協定締結と、ダナン解放へ向けての 様々な討議が行われた模様。 |
D26年12月第6週〜D27年1月第1週 | |
30日:連続通り魔事件解決 | ここ2週間、日曜日ごとに起きていた連 続通り魔事件が、30日午前、犯人の現行 犯逮捕で幕を閉じた。 逮捕されたゴア・ノートル(38)は、 一連の犯行を、天の導きによるものと供述 しており、取り調べは難航している。 |
31日:各地でシルベスター | 31日、各地でシルベスターが催され、 冬空の中、カウントダウンの声と花火の音 で盛り上がった。 |
1日:デュラン国王 新年第一回公務 | 1日午前、ドルファン城謁見の間におい て、デュラン国王の謁見が行われた。謁見 は王室会議の各位、各部代表者の順で行わ れ、この際プリシラ王女も同席された。 尚、ここ数年ご病気で姿が見られないエ リス王妃は、今回もご欠席であった。 |
1日:第一回王室会議開かれる | 1日午後、第一回王室会議が開かれ、ダ ナン問題を中心に、今年の方針を模索する 討議が行われた。 |
3日:ロズウェル卿死去 | 3日深夜、ジョージ・ロズウェル卿が、 急性心不全で亡くなられた。 卿は、先月22日に108歳の誕生日を 迎えられたばかり。 |
4日:ウエール駐屯部隊増強へ | 現在、占拠中のダナンへの橋頭ほとなっ ているウエールの駐屯部隊を増強する為、 軍部は騎士団第五大隊の一部を、4日午後 首都城塞から出発させた。 |
D27年1月第2週 | |
7日:アルビア軍船 一時寄港 | 7日午後、アルビア海軍の軍船5隻が、 ドルファン港へ一時寄港した。 ドルファンの海の守りとも呼ばれる友好 国の軍船を一目見ようと、見物人が多数押 し掛け、港湾事務局は対応に四苦八苦だっ た様子。 |
8日:連続通り魔 独房で自害 | 8日深夜、連続通り魔事件の犯人ゴア・ ノートルが、処刑囚用独房内で舌をかみ切 って死んでいるのが発見された。 尚、絞首刑は10日に行われる予定だっ た。 |
10日:マルタギニア海で財宝発見 | 10日、マルタギニア海で演習中のアル ビア海軍が、沈没船の中から財宝を発見し た。沈没船は旧イスラのアラド王家のもの で、財宝は金銀の食器類とのこと。 現在アラド王家は、その血筋が途絶えて おり、返還等の抗議は無いと思われる。 |
11日:シアターで観客ドミノ倒し | 11日夕刻、ドルファン地区城南区のシ アターで、観客がドミノ倒しになる事故が あり、16名が軽傷を負った。 |
D27年1月第3週 | |
15日:ヴァネッサ各支部 一斉捜索 | 15日、各地区警備班は、左派組織ヴァ ネッサの各支部を一斉捜索した。 この背景には、爆弾テロのスペシャリス トとして中東圏で恐れられたアジル・メサ ムが密かに入国したとの噂が流れた事があ り、区警はテロへの警戒を強めている。 |
16日:ヴァン=トルキア内戦 続報 | 長期化しているヴァン=トルキアの内戦 で、16日午後、アレイス家の拠点ハーベ ルンにゲルタニア軍が侵攻し、シベリア軍 との激しい戦闘が繰り広げられた模様。 |
17日:ゲルタニア軍ハーベルンを陥落 | 17日深夜、クルニガム家に加勢してい るゲルタニア軍が、アレイス家の拠点ハー ベルンを陥落させた。 これにより内戦はクルニガム家優勢とな り、やや停滞気味であった戦況を一気に覆 すことになった。 |
19日:燐光石せっ盗グループを逮捕 | 19日、各地で燐光石の大量せっ盗を続 けていた犯行グループと、燐光石の闇取引 を行っていたブローカーを、シーエアー地 区港北区で一斉逮捕した。 |
D27年1月第4週 | |
20日:シベリア軍の一部撤退 | ヴァン=トルキア内戦においてアレイス 家に荷担していたシベリア軍の一部が、ハ ーベルン陥落を機に撤退しつつあることが ゲルタニア政府の発表で明らかになった。 |
22日:運河にテロリストの遺体 | 22日未明、セリナ運河中流域で、密か に入国したと噂されていたテロリスト、ア ジル・メサムが遺体となって発見された。 遺体発見の状況は、昨年五月の神父殺害 事件と酷似しているが、地区警備班は事件 の関連性は薄いとしている。 |
23日:ヴァネッサ 区警を非難 | 23日、左派組織ヴァネッサは、地区警 備班を非難する内容の文書を各地で配布し た。 22日にアジル・メサムが遺体となって 発見されたことで、ヴァネッサは先の一斉 捜索を見当違いとして非難している。 |
24日:プロキア ヴァルファ文書を公表 | 24日午後、プロキア側は、ダナンを占 拠中のヴァルファバラハリアンから、昨年 11月から再三に渡って共闘を求める文書 が送られていた事を明らかにした。 尚、プロキアのヘルシオ公は、共闘の意 志はないと、言明している。 |
25日:カミツレ山中で山火事 | 25日午後、カミツレ地区山岳部のカミ ツレ山中で山火事が発生。火は8時間に渡 って燃え続けたが、深夜近くになって鎮火 した。この火事で消防班の数名が軽度の火 傷を負った模様。 |
26日:バリントン家破産 | 25日に発生した山火事によって、バリ ントン家の保有林が焼失していたことが明 らかになり、ザクロイド財閥は、バリント ン家への融資を撤回、資産回収に乗り出し た。昨年の屋敷全焼と相まって、バリント ン家は事実上破産となる。 |
D27年1月第5週〜2月第1週 | |
28日:王室会議 ダナンへ再度使者派遣 | 28日、王室会議は、占拠中のダナンへ 再度使者を派遣することを決定した。 派遣は来月初旬が予定されている。 |
29日:スィーズランド北部で大雪崩 | スィーズランド北部の山岳地帯で巨大な 雪崩が発生し、ふもとの村二ヶ所を飲み込 んだ。 前日より一斉避難が行われていた為、雪 崩による犠牲者はなかった模様。 |
30日:イゴール式汽笛を採用 | 船舶等で使用されていた汽笛(ノイシュ 式)が、30日からイゴール式に変更され る。イゴール式は従来のノイシュ式より簡 易化されており、音量も微調整が可能。 |
1日:ダナン使者派遣 4日に決定 | 王室会議は、二回目のダナンへの使者派 遣を、今月4日に行うことを軍部へ通達し た。 |
D27年2月第2週 | |
4日:ダナンへの使者出発 | 4日午前、ダナンへの二回目の使者が、 首都城塞を出発した。 今回の目的は、前回に引き続きヴァルフ ァ軍団長への接見、ベルシス卿の召還が主 となっている。 |
5日:大時計塔の鐘を交換 | 時報として親しまれている大時計塔の鐘 が、5日午前、新しくちゅう造したものと 交換された。音色は今までと変わらぬもの になるよう、ちゅう造には細心の配慮をし たと関係者は話している。 |
6日:使者 ヴァルファ軍団長と接見 | 6日深夜、ドルファン側の使者が、ヴァ ルファバラハリアンの軍団長デュノス・ヴ ォルフガリオと接見し、約二時間話し合い を続けたが、物別れに終わった模様。 破滅のヴォルフガリオと呼ばれる敵軍団 長との接見は、これが初となる。 |
7日:イスラハムで異教徒弾圧 | 7日、中東圏イスラハムのカダホフ師が 国内の異教徒を弾圧すべく、軍隊を出動さ せていたことが明らかになった。 これまでに弾圧された異教徒は1万余に のぼると伝えられているが、真偽は定かで ない。 |
8日:ダナンへの使者無事帰還 | 8日午後、ダナンへ派遣されていた使者 が、無事首都城塞へ帰還した。 使者の報告では、6日の接見は物別れに 終わり、その後ベルシス卿への接見を求め たが、ベルシス家側から拒絶されたとのこ と。 |
D27年2月第3週 | |
10日:イスラハムで異教徒1万余が虐殺 | 10日、中東圏イスラハムで、カダホフ 師の軍事行動で、国内の異教徒1万余が虐 殺されていたことが、イスラハムの隣国イ リジアの調査で明らかになり、師の行動に 対する抗議が各国であがっている。 |
12日:地下水道で金塊を発見 | 12日午後、ドルファン地区城東区の地 下を流れる地下水道の一画で、管理局の作 業員が、金塊の入った麻袋を発見した。 この金塊は昨年12月に起きた国立銀行 襲撃事件の際に盗まれた金塊の一部である ことに、ほぼ間違いない模様。 |
13日:トルキア内海で接触事故 | 13日未明、ドルファンの外商船とセサ 公国の軍船が、トルキア内海のベルタ島付 近で、濃霧の中、接触事故を起こした。 幸いにも大事に至らなかった模様。 |
14日:王女 バレンタインデー慰問 | 14日、プリシラ王女が、シーエアー地 区岬区の孤児院を慰問され、孤児たちにチ ョコレートをお配りになられた。 この突然のプレゼントに、孤児たちは顔 をほころばせていた様子。 |
16日:皆既月食の夜 | 16日の夜、皆既月食が観測され、一時 的に人々は夜空に釘付けになった。前回の 皆既月食は、あいにくの雨天であったが、 今回は晴天に恵まれ、現象を観測すること ができた。 |
D27年2月第4週 | |
18日:央華軍 ユイメンを包囲 | 18日、中華皇国の央華軍は、シベリア 軍に占拠されたユイメンを包囲した。央華 軍には、シンラギククルフォン紅東軍団が 参加しており、中華皇国側の今回の奪回作 戦における不退転の決意がうかがえる。 |
20日:ユイメン攻防戦始まる | 20日深夜、ユイメンを包囲していた央 華軍が、攻撃を開始。一方シベリア軍もユ イメンにたてこもり応戦。激しい攻防戦が 繰り広げられている模様。 |
21日:城壁警備隊員が転落死 | 21日深夜、首都城塞を取り巻く城壁の 警備隊員が、城壁から転落して死亡した。 同僚の警備隊員の話では、死亡したヤン ・イフィーゲル隊員は、食後に飲酒したと みられ、酔った弾みで誤って転落した可能 性が高いとされている。 |
23日:央華軍 ユイメン奪回に成功 | 23日、央華軍はユイメン奪回に成功し た模様。包囲されていたシベリア軍は降伏 し、25日までに中華皇国領から撤退する との噂が流れている。 |
D27年2月第5週〜3月第1週 | |
25日:シベリア軍 中華皇国領から撤退 | 25日、中華皇国側の発表によると、ユ イメン奪回作戦は、シベリア軍の降伏によ り、23日午後には終了。25日深夜まで には降伏したシベリア軍は黒竜江を渡河、 シベリア領へ撤退したとのこと。 |
26日:トルクの若者グループ逮捕 | 26日午後、地区警備班はアラブ人3人 を襲っていた、トルクを名乗る若者グルー プ10人を傷害の現行犯で逮捕した。 トルクはトルキア人至上主義を掲げる過 激派の通称で、最近になってゲルタニアを 中心に流行り始めた。 |
28日:騎士団に暗い影 | 28日午後、シーエアー地区軍事区騎士 団第四兵舎に、軍部内務査察班が家宅捜索 に入った。内務査察班は、騎士団の一部で 麻薬取引が行われているとして、今回の捜 索を強行し、証拠物品23点を押収した模 様。 |
1日:フェルドマン少佐逮捕 | 1日午前、軍部内務査察班は騎士団第五 大隊所属のカール・フェルドマン少佐以下 5名を麻薬取締法違反で逮捕した。 フェルドマン少佐は黒騎士の称号を持つ 猛者として、騎士団内での評判は高く、今 回の逮捕は、関係者を驚かせている。 |
2日:麻薬密売組織を壊滅 | 2日未明、港湾管理局は、ドルファン港 第二ふ頭から民間船に乗って国外逃亡を計 ろうとしていた麻薬密売組織のアントニオ ・カルデロンをはじめ幹部5人を一挙逮捕 した。今回の逮捕は、軍部内務査察部の協 力によって実現したとされる。 |
D27年3月第2週 | |
3日:クルニガム4世戴冠式 | 3日、内戦が続くヴァン=トルキアの首 都トルキアで、エラン・クルニガム4世の 戴冠式が、略式で行われた。 尚、アレイス家側の反抗は、ゲリラ化し つつも、未だ続いており、内戦は慢性化の 傾向にある。 |
4日:ゲルタニア 旧トルキア領獲得 | 4日午後、クルニガム4世は、今回の王 位継承問題で尽力したゲルタニアに対し、 領土の一部を割譲する意の親書を送ったこ とを明らかにした。 今回割譲されるのは、ヴァン=トルキア の南東部ベスタの一部。 |
5日:エドワーズ島でホテル火災 | 5日未明、エドワーズ島のコステデロ・ ホテルの2階で火災が発生し、宿泊客の男 性1人が死亡。原因は、亡くなった男性客 の火の不始末とみられている。 尚、ホテル側の被害は3部屋を焼失した のみで、経営には支障がないとのこと。 |
6日:空中庭園に新種のフローゼ | 6日、ドルファン城展望部の植物園、通 称「空中庭園」に、新種のフローゼが仲間 入りした。 新種のフローゼは、アルビア皇太子から プリシラ王女宛に贈られたもので、5日深 夜、船便で届けられた。 |
7日:国際馬術連盟 規定を一部変更 | 国際馬術連盟は、ライセンス取得の規定 を一部変更した。 これまでA級ライセンスの取得には、国 内競技におけるB級での規定ポイント取得 と規定の経験年数が必須だったが、今回の 変更では経験年数の項目は削除された。 |
D27年3月第3週 | |
11日:ゲルタニア軍駐留継続 | 11日、ゲルタニア政府は、ヴァン=ト ルキアに駐留しているゲルタニア軍を、内 戦終結まで引き続き駐留させることを明ら かにした。 依然、ヴァン=トルキアでは反抗勢力の ゲリラ活動が続いている。 |
13日:王室会議 ダナン派兵を決議 | 13日午後、王室会議は第二次ダナン派 兵を早くとも来月下旬をめどに行うことで 決議に至った。 第一次ダナン派兵が失敗に終わったこと から、騎士団の派兵要求を退けてきた王室 会議も、ようやく腰を上げたと言える。 |
15日:軍部 全軍投入も辞さず | 軍部のアレックス・ヘルドマン准将は、 15日、第二次ダナン派兵には全軍投入も 辞さない考えであることを、関係者に漏ら した。 |
16日:国軍 アレイス派ゲリラに苦戦 | 内戦の続く、ヴァン=トルキアでは、国 軍がアレイス派ゲリラに苦戦を強いられ、 16日、ゲルタニア軍の出撃に至った。 アレイス派ゲリラの戦術指導にシベリア 側のスペツナズがついており、各地で小規 模な戦闘が頻発している。 |
D27年3月第4週 | |
18日:ザクロイド財閥 兵器市場へ | 単独で兵器の流通を行ってきたコーラル 商会が、18日、ザクロイド財閥に買収さ れた。ザクロイドは兵器市場にも進出する と見られ、今後の動向が注目される。 |
19日:王室会議 ザクロイドを牽制 | 19日、王室会議はザクロイド財閥に対 し、軍備増強を理由に供出金を請求した。 これに対しザクロイド側は供出金の支払 いは承諾したものの、今回の請求は明らか なる横車として不平を抱いている様子。 |
21日:ピクシス卿 暴漢に襲われる | 21日夕刻、マリーゴールド地区第一区 で、アナベル・ピクシス卿の乗った馬車が 暴漢に襲われた。幸いピクシス卿に怪我は なく、暴漢も即刻取り押さえられた。 卿を襲った男は、金で雇われたと話して いる。 |
22日:スィーズランドで爆発事故 | 22日、スィーズランドのビューゲルで 兵器工場が爆発する事故が発生した。 この工場では新型の長距離砲を開発して おり、事故調査委員会は事故と事件の両面 から調査を進める模様。 |
ウィークリートピックスは膨大な量の文章により構成されていますので、やむをえず誤植が散見されます。
上記ではあえて原文をそのまま掲載しましたが、以下に明らかに誤植と思われるものとその訂正を掲載します。
D26/5/12 フィンセン公への使者を派遣した模様。→ヘルシオ公への使者を派遣した模様。
※旧公王のフィンセン公は既にゲルタニアに亡命しています。 同14日のプロキア会談とも整合性がありません。
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