虚構と現実の狭間で 〜ピコの考察1 アンと同様、ピコも謎が多いです。 自分は東洋人の寂しい心が生んだ幻覚と台詞にはあるのですが、実はそう単純でもありません。 この台詞はエンディングのものなのですが、台詞をよく見てみると、揺らぎがある事が分かります。 例えば、最初の部分で「だって、あたしは存在していないんだもの」とあるのですが、 直後に「あたしが存在出来るのはキミのお陰…」、「ピコという一個の存在なの」と続いています。 つまり、台詞の端々に矛盾が見られるのです。 これは、ピコ自身にも自分が何者か分かっていなかったと見るべきであり、 自分の実在性について最後まで葛藤していたと解釈するべきでしょう。 といっても、彼女は元々、あまり物事にこだわるような性格ではありません。 なので、自分の正体がどうとかいうのもそれほど気にしなかったでしょう。 ただ一つだけ、ある問題が無ければ…。 ピコはいつからか、東洋人に恋愛感情のようなものを抱いていました。 しかし、自分の存在認識に揺らぎがあったとすると、ある疑問を抱かずにいられなかったはずです。 もし自分が東洋人の幻覚に過ぎないのなら、この想いは果たして本物なのか…と。 人間誰しも自分が可愛いのは当然のことです。 同様に、ある人間の一部として生まれた存在であれば、その人間に好意を持つのも当然です。 東洋人の一部として生まれたピコは、常にその可能性を考えていたはずです。 恋愛感情を持つ前提としては、対象と別個の、対等な存在でなければならない。 もし今の自分が一個の存在として独立していると証明出来れば、恋人にもなれるでしょう。 しかし、幻覚と現実の区別は幻覚が精巧になるほど困難になります。 検証については後の項に譲るとして、少なくともピコ個人には不可能でした。 しかし、自身(想い)の実在を信じたいと考えていた事だけは確かだったはずなのです。 では、そんなピコが消える必要はあったのでしょうか? もし実在の可能性が僅かでもあるなら、虚構と処断してしまうのは早まりすぎではないでしょうか? …しかし、これについては上記より遥かに深刻な葛藤があったと思われるのです。 ピコの恋愛感情が偽りかどうか、これはとりあえず脇に置くとしても、 東洋人に幸せになってもらいたいという気持ちだけは本物でした。 しかし、自分が東洋人と恋人になった未来図というのは現実としてありえないと思ったでしょうし、 むしろ幻覚もどきである自分の存在が東洋人の害ではないかという事に気づいてしまいます。 つまり、自分が東洋人以外に見えない=人間社会からは完全に断絶された存在であり、 そういう意味で実在があろうとなかろうと虚構と変わりがない…という現実に思い至った訳です。 更に東洋人の一部であったなら、今は別個の存在だとしても都合の良い存在に変わりないでしょう。 本当に東洋人のためを思った時、恋人にはなれない自分に出来る事は何だろうと考えた末に 出した結論が「自分は消えるべき」というものだった、という訳です。 皮肉ですが、これこそがピコが実在した数少ない証明になるのではないかと思います。 自己愛的な思考(現状の自己肯定)ではこういう発想は絶対に生まれないでしょう。 かつては東洋人の一部だったが、別個の存在を獲得したが故に消えなくてはならなかった…と。 この辺りの事情はアンに似ている気がします。 しかし、自分から消滅の道を選んだ点はアンと決定的に異なります。 この選択が本当にベストだったのかは微妙な所でしょう。 判断するにもあまりに材料が少なすぎますし、東洋人の本心を知りたかった所ではありますが…。 最低限言える事は、ピコは東洋人の事が好きでした。 東洋人が自分の事をどう思っていようと、それは変わりません。 だから、東洋人の答えがどういうものであったとしても、消えることだけは決めていました。 ピコが最後に望んだのは、恋人としての思い出と、東洋人の言葉でした。 もし東洋人が恋人同士になれたと言ってくれたなら、 たとえピコの想いがまやかしに過ぎなかったのだとしても、救われたのだと思います。 |
最後の「恋人になれたのかな」という台詞は 自分の存在を賭けた問いかけでもあった訳です 人の「自殺」に近いものなのか、 あるいは本質的に違うものなのか、とか… 東洋人は最後に何を話していたのでしょうか? NO選択バッドEND参照 台詞自体は実はグッドENDと大差ありません。 「あたしもキミも同じだもんね」という台詞は 東洋人に個としての存在を否定された という意味なので、そういう表現になります。 |
ピコの密かなコンプレックス 〜ピコの考察2 ピコは自分の存在や姿(大きさ)に大きなコンプレックスを持っていたようです。 例えば、プロポーション抜群のノエルを宿主に選んだ事はその現れですし、 お色気キャラの演出は彼女なりの精一杯の背伸びでした。 ノエルに負けず劣らずのプロポーションを持ちながら、それを嫌悪しているテディーには、 渇望しても持ちえないものの、持ちながらそれを否定するものに対する嫉妬心があったようで、 当て付けの対象に大好き状態のテディーを選んだのには、実はそんな理由があったようなのです。 |
ピコの勝手な想像の可能性も充分ありますが 東洋人はグラマーでセクシーな女性が好みと いう認識だったようです。 双葉社版攻略本相関図の ノエル→テディーは「嫉妬」となっています。 |
自己愛昇華説・多重人格統合説・ギャルゲー否定説 〜ピコの考察3 未発達な自己愛(ナルシシズム)がピコの正体であり、 エンディングは他者愛への昇華の象徴ではないかという説があります。 また、ピコは東洋人の心的外傷(PTSD)によって生まれた多重人格の一つであり、 エンディングは人格の統合を象徴していると言う説があります。 これらはエゴイズムの物語の可能性としては充分ありえると思います。 ただ、ED直前、あるいは最後まで東洋人の精神の一部だったとするのには疑問があります。 その理由は、簡単に言うと救いがないからです。 前の項で書いた通り、ピコは自らの存在を賭けて存在の証明をしようとしました。 東洋人と同じなのか、別個の存在かというのはピコの話の中核に関わる大問題なのです。 もし依然東洋人の一部だったとすると、ピコのストーリーはただの残酷物語になってしまいます。 これはこのゲームのテーマ「明日を夢見て」というのにも符合しません。 そして、ピコが別個の存在を獲得していたという根拠は前述のもの以外にもいくつかあるのです。 最後に、ギャルゲー否定(⇒本作自体の否定/プレイヤー批判)説について触れておきます。 「空想との交わりじゃない」の件はギャルゲー(というか、フィクション全般)否定とも取れます。 攻略本の順番にクリアしていくと最後がノエルになるので、そういう意味でも強烈な爆弾ですね…。 理屈はごく正しいのですが、この作品(=ピコ)自体にこれ以上関わるべきでないという連想が 可能なのは、ここまで引っ張って(煽って)おいて、そりゃないよという気もしますが。 また、ピコの外見が「ピーター・パン」の妖精ティンカー・ベル(特にディズニー版)に酷似している事、 通称の総数が108(煩悩)であるなど、自己破壊傾向の存在の可能性はあると言わざるを得ません。 続編があれば何らかのオチがついていたのかも知れませんが…。 |
詳細はソフィアの考察のフロイト説参照 ピーター・パン症候群とも深い関連がありますが 作中の東洋人が該当するかというと疑問です。 田村脚本のキャラ設定と実際のキャラに差が ある傾向はバーニング時代からありましたが…。 童話の補完と言う構造があるとすればアンにも その疑惑(人魚姫)があり、少なくとも着想時点 ではメインテーマであった可能性もあります。 詳細は次の項で 前項の流れを一旦断ち切って考えればですが。 やり込みやこんな考察なんかを書いている 管理人には特に痛い爆弾です…。(笑) 前述の乖離も東洋人=プレイヤーならあり? この手の話題は過剰反応されるのが常ですが ピーター・パンは子供的エゴの象徴的存在であり ピーター・パン症候群の語源でもあります。 |
東洋人とピコの過去について 〜ピコの考察4 ピコの正体について改めて検証してみます。 まず、プロローグの会話より、10年来の相棒であるとの事なので、東洋人が20歳と仮定して、 10歳位の時に初めて出会った(出会っていない?)事になります。 最初は東洋人の「さびしい心が生み出したもう一人の自分」として生まれましたが、 プロローグのやり取りを見る限り、ドルファン入国の時点で既に自我が目覚めていたと思います。 ここから恐らく、東洋人が10歳くらいの頃、何らかの事件が原因の心的外傷を受け、 その時に「東洋人の一部」であり、「都合の良い存在」としてのピコが生まれ、 ドルファンに到着する前には、何らかの理由によって独立した存在になっていた。 といった感じの推測が導かれます。 改めて考えてみると、中世〜近代に極東の国(鎖国中?)から単身海を渡り、 欧州で傭兵をやっているというのは、尋常な事ではありません。 入国時点から素人風ではないので、かなり小さい頃から修羅場をくぐって来たと見るべきでしょう。 それこそ、もう一人の自分が思わず生まれてしまうような地獄を見て来たのかも知れません。 ただ、幻覚が絡むものは考察が非常に困難と言う事には注意が必要だと思います。 上記の推測は会話内容が全て真実だったという仮定の話であって、 たとえば、プロローグの「誰だ、お前は?」というのも東洋人のジョークでなくて、 本当にそれ以前にはどこにも存在していなかったという可能性すらあるのです。 ピコの姿や性格も、生まれた時から一貫していたとは限りません。 バレンタインの極小チョコを渡しているから、実体があると言いたい所ですが、 チョコ自体が幻覚の可能性があります。 また、ノエルの姿はピコに似ていますが、東洋人に見えているノエルは、 ベースとなったノエルとは全く違う外見をしているのかも知れません。 視点が東洋人である以上、どこまでが幻覚かを見破るのはほぼ不可能と言っても良いでしょう。 しかし、それを踏まえた上でも、単に幻覚としては処理出来ない描写がある事も確かなのです。 まず、「知覚能力の分散」という現象があります。 例えば、東洋人本体は部屋にいながら、ピコが外に飛んでいってヒロインの居場所を探るとか、 行方不明になったロリィやプリシラの居場所を東洋人とは別ルートで見つけるとか、 ソフィアなどに関する各種情報の入手や、カルノーのスペツナズナイフの一撃を察知するなどです。 東洋人の留守に空中庭園に出かけてクラシスの花を見つけたりもしています。 よく似た現象である多重人格(解離性同一性障害)では知覚能力は各人格で共有されます。 結果、一つの人格が表に出ている間、他人格は休眠状態に入ります。 何故かと言うと、脳やその他の感覚器官が同時に別の処理(並列処理)が出来ないから。 要するに、人間の体がそういう構造になっているからです。 しかし東洋人とピコはこのハードルをあっさりクリアしており、 認知能力に関しては一瞬で遠く離れた場所の情報を得る事も可能など、 ピコの方がかえって東洋人本体より優秀な能力を獲得していたりします。 更に、多重人格の場合の別人格とは主人格の一部であるが故に、 主人格の想像の枠を飛び越える事が原理的に不可能ですが、 東洋人とピコは完全に分離した人格を形成しているように見えます。 次に、「本体以外の他者への干渉」という現象があります。 一番顕著なのが東洋人本人とは一切何の関係もなかったノエル本体への憑依ですが、 爆弾テロ事件でも手段こそ分かりませんが、メネシスを東洋人の所に呼んでいます。 言うまでもないですが、これらは東洋人の内面で閉じた幻覚には決して出来ない芸当です。 つまり、ピコは生まれたての頃こそ分かりませんが、 今の時点では立派に独立した存在になっていたと考えられるのです。 独立化のきっかけ、システムは依然として謎だらけなのですが…。 個人的には再雇用の箔をつけるために叙勲式くらい出させてやってもと思ったりしたものですが、 改めて考えてみると、東洋人の実力なら勲章なんてアクセサリに過ぎないのかも知れませんね。 まあ、東洋人の事を誰より知っているピコの事なので、私程度の突っ込みを受けるまでもなく、 その辺はとっくに計算済みなんでしょう。 …もしかして、勲章より自分を選んで欲しいと言うのは、彼女なりの意地だったのかも知れません。 |
何となくなんですが、会話内容が 予定調和でないと言う感じでしょうか? ピコの能力も序〜終盤で変化しません。 さびしい心⇒年齢的に両親との別れ(死別?) あたりでしょうか? 恋愛感情の引き金自体は入国後、 他のヒロインへの嫉妬心かも知れませんが。 よく考えると好きな男の為に他の女の 情報を集めて回ると言うのも辛いですよね…。 コナミマガジンでもう傭兵を辞めたかったと ありますし、素人がたった数ヶ月の訓練で 八騎将を討ち取れるはずもありません。 初戦から小隊の指揮も任されてますし…。 ピコの説明を聞いて 東洋人がそうなんだと納得すれば終わりです トレンツの泉で姿を消しますが、実は消えたの ではなく、元の姿に戻っただけかも知れません。 だとすると、テディーが見ていたノエル像が 東洋人のものとは違っていた事にも…。 特に空中庭園の情報は、東洋人個人が 把握するのは非常に困難(≒不可能)です。 単純に2人出て来たら、常人の脳の2倍、 3人で3倍の処理速度が必要になる事からも、 不可能な事は明らかでしょう。 東洋人がいくら常人離れしているとはいえ、 別人格の並列動作+分離遠隔操作は 無茶すぎます。 (カナの「残念」、「精霊」設定等なら可能ですが 多重人格説を取るなら避けられない議論です) 互いの予想を越える掛け合いもあり。 憑依ではなくノエル本体が東洋人にふらふら 付いて来るのを利用していた可能性もあり。 ピコ自身が誤解しているだけで、実は初めから 独立した存在だったという可能性も…? 「キミの心があたしを必要とし続けたから いつしか具現化していた…」とあります つまり、「具現化」はしていた訳です。 ソフィアとアンも叙勲式が被りますが、 ソフィアの場合、結婚式に被せたのは エリータス家とロバートの共謀でしょうし、 アンは性格から完璧に知らなかったと 考えて差し支えないでしょう。 |
※協力者様に感謝いたします。 ありがとうございました。
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