みつめてナイト考察 エゴイズムと言う観点から見たキャラ分析


●エゴイズムというテーマ

「エゴイズム」は田村作品の中でかなり重要な意味を持つキーワードと思われます。
実際、NTT出版の攻略本に次のような記述があります。

だから、スーは人間臭くて生き生きしているんですよ。
このゲームのテーマは「明日を夢見て」というものなんですが、その裏に、人間とはなんてエゴイスティックなんだろうというのがあるんです。
その点でエゴの固まりのスーというのは、テーマに乗っ取ったキャラクターなんです。


しかし、エゴイズム(利己主義)と聞いて、どのような印象をもたれるでしょうか?
利己主義とは、別の言い方をすると自己中心主義、最近の言い方だと自己中です。
例えば、「あなたはエゴイストだね」と言われて喜ぶ人はあまりいないと思います。
いたとすれば、かなりの強者か、開き直っているかのいずれかでしょう。
私も含めてですが、上の記事を読んで眉をひそめた方も少なからずいたのではないでしょうか?
また、ソフィアの自分は屈折したエゴイスト発言に違和感を感じた方も多いのではないでしょうか?

しかし、この扱いにくいテーマをメインに持ってくるというのが田村作品の凄い所だと思います。
そしてこのテーマはみつめてナイトに限らず、全てのオリジナル作品で貫かれているようで、
調べてみると、作中のどこかで必ず「エゴ」というキーワードが入っている事が分かっています。
※田村氏は心理学にも造詣が深いようで、それを裏付ける証拠もいくつかあります。 これについてもいつか紹介出来ると思います。

では、なぜわざわざ一般に、道徳的には良くないとされているエゴイズムをメインテーマに持ってくるのかについてですが…。
これについては、すぐに核心に触れてしまうのもつまらないと思いますし、(私の方も充分考察出来ているか疑わしいですし)
私の推論はいずれどこかで書きたいと思います。 (上のスーの文章にも重大なヒントがあります。)
各ヒロインのストーリーにそのヒントが散りばめられているので、それを読み解くというのも楽しみ方の一つではないかと思います。


●エゴイズムと言う観点から見たキャラ分析

ソフィア・ロベリンゲ

エゴイズムという表現になじまない一人。
エンディングまではむしろ逆方向で、他人のエゴに翻弄される存在であり、
ソフィアのストーリーはエゴイズム回復の物語と思われる。
(詳細は個別の考察で)

ハンナ・ショースキー

田村氏曰く、唯一健康な性格。(NTT出版攻略本の記述、ギャラリー名:健康的美少女など)
ハンナもあまりなじまない、というか、エゴといっても自由人なので嫌味がない。
欄干から落ちて東洋人を置いて帰るというようなのはむしろとってつけた印象。
エンディングは「キミの事は好きだけど夢があるからサヨナラ」という、確かに健全だがある意味バッドエンド。
(EDでお別れ以外に想像の余地がないのは他にアンとノエルのみ)
男なら快く送り出すべき――なのだろうが、東洋人視点だとやはり悲しい。
これがエゴといえばそうかも?
田村作品で健康というカテゴリは特殊。 他のエンディングのパロディ的なのも理由があるのでは?

ロリィ・コールウェル

レズリーのEDでも語られるが、愛される事が当然すぎて疑問すら持たないという、子供的エゴの象徴?
年齢の割に幼すぎる性格と言うのは、多分単なる設定ミスではない。
これは、恐らくピーターパン症候群と呼ばれるものだろう。 
自分が子供でいたいと願う事で、外見も幼く見えるという現象も実際にあるらしい。
ロリの語源となった小説「ロリータ」のドロレスの年齢(16才)から、これがモチーフの可能性も高い。
エンディングは今の自分のままでは東洋人についていく事は出来ない、だから早く大人になりたいという展開。

レズリー・ロピカーナ

両親が健在にも拘らずほとんど不在のため、愛情を受けるという事が決定的に欠如している。
(溺れた時に両親が助けてくれなかったトラウマもある 不良っぽいスタイルはそのあたりも影響している?)
それ故に誰かに必要とされる事に弱く、無条件に頼ってくるロリィとは共依存関係にあるが、
愛されたいと思っているのは本当は自分の方なので、愛される事に疑問すら持たないロリィを心の底では憎んでいる。
しかしその一方で、ロリィに対して母性愛にも似た感情が生まれつつある…というかなり複雑な心理設定を持つキャラ。
また、親代わりであった叔父に恋愛感情を持ち、死別した後は叔父の好きだった絵を書き続ける事で思い出を
繋いでいるという設定もある。
レズリーのエゴとは愛される事と愛する事だろうか?

レズリーというのは普通にある名前だが、レズ(女性間の同性愛)が語源ではないかというのが通論。
同性愛の言葉の定義にもよるだろうが、レズリーとロリィの関係もある種の同性愛には違いない。
一方、「リー」は英語で「〜ly」、「〜のような」を表すので、
同性愛のような、そうでもないようなという曖昧な名前なのかも知れない。

リンダ・ザクロイド

自分の家が成り上がりであるという強烈なコンプレックスにより、
全てにおいてそれに相応しい存在でなければならない、その為に影で必死の努力をする。
その結果、周りからは天才と見なされる程の才能を手に入れるが、
その原動力がコンプレックス故、自然と高慢な態度になってしまう…という感じだろうか。
リンダのエゴとは劣等感の克服と優越感と思われる。
エンディングではその土台(虚飾?)が崩され、その上で明日を模索する展開になる。

ライズ・ハイマー

八騎将の一人という、15歳の少女としては荷の重すぎる役割を課せられ、自分自身を追い込んだ結果、
自分は優秀な戦士でなければという自己暗示によって精神の均衡を保っている。(故に崩れると非常に脆い)
ライズのエゴは、恐らくライズ自身にも分らなくなっている状態である。
ライズも、(ソフィアとは違う形で)エゴを自分で消し去ったキャラと思われる。
(個人的エゴという意味 ヴァルファの集団的エゴはまた別の話)
ライズもヴァルファと父というアイデンティティの土台を崩され、その上でどう生きるかという展開になる。

キャロル・パレッキー

地味でつまらない(と思い込んでいる)自分を隠すため、楽しくて騒々しい性格の仮面(ペルソナ)を被っている
後者の性格は恐らくキャロルの理想像であり、キャロルにとってのエゴと思われる
(後者の性格に近い選択をする東洋人に好意を持ち、後者の性格を嫌いとは言っていないため)
個人的な話、最初はキャロルがエンディングでそれまでの行動が全てペルソナである事を打ち明けた時、
不自然に感じたものだが、仮面を被り続けているうちにどちらが本来の自分か分らなくなる
などという事は充分あり得る事であり、ペルソナとは案外そういうものかも知れない。

スー・グラフトン

田村氏のNTT出版攻略本インタビューによると、エゴの固まり、
殺してやりたいと思うくらいのキャラとして作られただけあり、強烈なエゴの持ち主である。
しかし(それ故に)、ヒロイン中でもトップクラスに生き生きとしているキャラであるというのも興味深い。
スーのエゴは、言うまでもなく理想の男性との結婚である。
エンディングでもこれは表面上一貫しているが、結婚という形式(国外退去ではスーの理想に程遠い)ではなく
東洋人という個人に対象が変わったという事に意味があると思われる。

ジーン・ペトロモーラ

偉大な化学者である祖父(ひいてはその弟子であるメネシス)への反発としての自然回帰と
その体現者である叔父への尊敬とコンプレックス。
メネシスの化学全能主義の対極としての自然回帰へのこだわりがジーンのエゴと思われる。
エンディングでは「そのまま(自然体)の自分である事」への過度のこだわりが見て取れるが、
それ以外では特に無理に自然体を装っている風ではなく、ハンナ同様嫌味がない。

テディー・アデレード

白衣の天使という言葉に象徴される優しさ、献身的、博愛主義的イメージという面と、
潔癖症や迷信深さ故、他人を不用意に傷つける事もあるという面の矛盾した二面性を持つ、
スーとは違う側面での女性的エゴの象徴と思われる。
(NTT出版の裏設定によると、ノエルは生理的に受け付けない(全否定)らしい)
持病の心臓病、スタイルの良い自分の体への屈折したコンプレックスも含め、非常に「生身っぽい」キャラ。
恋愛の為なら軽蔑されようと大事な夢も捨てるという思考もある意味女性的。
恋愛より夢を取ったハンナとは逆のパターンでもある。

クレア・マジョラム

穏やかそうな物腰に反して、恋愛で身を滅ぼす程の情熱家?
スーやテディーとは更に違う側面での女性的エゴの体現者と思われる。
(詳細は個別の考察で)

セーラ・ピクシス

ソフィア同様、自分自身のエゴは殆ど無く、むしろ他人のエゴに翻弄される存在。
ただ、セーラはそれ以外に方法が無いという意味で、より悲劇性が高い。
本人自身は(それが当たり前であるが故に)ごく自然体(自由)であり、
境遇を悲観して落ち込み続けたり、他人に当たるという事はない。
しかし本人にとっての「余程の事」があると、今まで抑えていた反動が押し寄せて、一気に崩れてしまう。
モチーフは「籠の中の小鳥」と思われる。
(小鳥のメビウスと、メビウスに過剰にシンクロして自殺未遂を起こすイベント、「小鳥のうた」というテーマ曲から)
このような閉鎖環境ではブラコンもやむなしか。
田村氏曰くエキセントリック(奇異な行動を取る?)な性格とのこと。
クラシスの花は薬の実効性より、希望を繋いだという事に意味があると思われる。
エンディングでは籠を飛び出し、初めて外に出る。
ちなみに「心房中隔欠損症」は確かに不自由ではあるが、外科手術がなくても絶望という感じではないらしい。

プリシラ・ドルファン

王女と普通の少女としての二面性。
前者は仮面(ペルソナ=王女の虚像)であり、エゴは後者 本来は明るく奔放で活発(過激)な性格。
ただ、理想と現実という観点で、キャロルとはペルソナの役割が逆であるのは興味深い。
身分の高い人間の低い人間への無理解や身勝手という側面もあるかも知れない。
本当の両親はピクシス卿の手の者に暗殺されており、プリシラもその事実を知っているが、
父王には感謝の気持ちもあり、偽りの王女を懸命に演じてはいる。
しかし、本当は誰からも愛されていないという強迫観念にも似た想いがあり、
(デュラン王はプリシラを大事に思っているように見える ただ表現が不器用なだけだろう)
本当の自分を分かってくれる相手(シンクロする相手)を切実に求めている。

メネシス

化学全能主義がメネシスのエゴと思われる。
孤児であるメネシスにとっては化学が拠り所であり、全てだったため、
化学の発展が他の全てに優先するという極論に走ってしまったらしい。
エンディングはゼールビスとの別れによって今まで否定し、隠し続けてきた女性としての部分に気づかされた、
素顔の自分を隠すための壁でもあった眼鏡を取り、東洋人に女性として見て欲しいという展開。
メネシスのエンディングもエゴイズム回復の物語の一つだろう。
自己暗示からの解放という意味ではライズとも傾向が似ている。

アン

恋人を失った強烈な後悔の念によって生まれた残留思念。
エゴが永遠に満たされないからこそ、永遠に存在する事の出来る存在と思われる。
(詳細は個別の考察で)

ノエル・アシェッタ=ピコ

東洋人の寂しい心が生み出したもう一人の自分。
元々は東洋人のエゴから生まれた存在であるが、今は?
(詳細は個別の考察で)


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