ドルファン・プロキア戦争記・序章

この一連の戦争は正確にはドルファン・ヴァルファ戦争とも呼ぶべきもので、実際にプロキア兵が参戦したのは一局面に過ぎません。
(プロキアがドルファンと共にヴァルファを挟撃する局面すらありました)
しかし、周辺諸国の協力を得ながらも、ただの傭兵集団に過ぎないヴァルファバラハリアンに苦戦を強いられたという事実は、
ドルファンにとっては決して好ましいものではなく、また、敵軍団長の出自など公に出来ない事情もありました。
そのため、「ドルファン・プロキア戦争」という名称はドルファン政府による苦肉の策とでも言うべきものだったと考えられるのですが、
公式ではこの名称が使われているため、ここでもドルファン・プロキア戦争と呼称します。

●開戦前の様子

プロキア公国はドルファンのような王政ではないものの、
公国とあるように、力のある領主が国を纏めているような古い政治体制の国です。

プロキア(国名)
正式名称:プロキア=フィンセン公国。
正式名称:プロキア=ヘルシオ公国。
一週間で政権交代が行われた内情不安定の寄り合い国家で、万年外征国。
内陸国の為、湾岸都市を欲している。

(用語集より)

開戦前、プロキアを統治していたのはアーツ・フィンセン公という人物です。
フィンセン公の政治基盤は弱く、ヘルシオ公やイエルグ伯など有力諸侯がその地位を虎視眈々と狙っているという状況でした。
そこで、フィンセン公は威信を回復する起死回生の策としてドルファンへの外征を決めました。
これは外征中に諸侯に国を乗っ取られる危険性もはらんでの外征だったと思われますが、
それでも決行しなければならない程、彼は立場的に追い詰められていたと考えるべきでしょう。
(そういう意味で、彼とデュノスは良く似た立場にありました)
更に、プロキアの戦力だけで難攻不落のドルファンを落とせる公算もありませんでした。
そこで、各地の有力傭兵団に参戦を要請したものと思われます。

そして、その要請はスィーズランドの傭兵騎士団「ヴァルファバラハリアン」(以降ヴァルファ)にも届きました。
プロキアへの参戦は軍事的には危険すぎる賭けであり、簡単には飲めるはずのないものだったと思われます。
しかし、ヴァルファは参戦をあっさり受諾してしまいます。

ヴァルファバラハリアン(組織)
全欧最強の実力を有する傭兵騎士団。
スィーズランド連邦に所属し、各地の戦場で勇名をとどろかせている。
軍団長は「破滅のヴォルフガリオ」の異名を持つデュノス・ヴォルフガリオ。

(用語集より)

ヴァルファは当時全欧最強の傭兵団と恐れられていました。
一方のドルファン騎士団はかつては陸戦の雄と呼ばれ、勇猛を誇ったものの、
自由騎士制度による貴族化、銃火器を使わないと言う軍部の方針などにより、現在では弱体化の一途を辿っており、
たとえ数字の上ではプロキア・ヴァルファ側の劣勢であっても、勝敗は分からなくなったというのが、当時の世論の大勢だったのではないかと思います。

ただ、この動きにはいくつか裏がありました。
それは、経歴の全てが謎と言われているヴァルファの軍団長、デュノス・ヴォルフガリオの出自に関するものです。
実は、彼はかつてピクシス卿の策謀によって国を追われたドルファンの王位継承権第一位の王子でした。
ドルファン国内では病死と言う事になっていますが、部下のキリング・ミーヒルビスと共にスィーズランドに落ち延びたと言うのが真相であり、
この戦いはドルファン王家への復讐という意味がありました。
また、前線のダナンの領主がデュノスがドルファンの王子だった時代の後見人のベルシス卿であり、内応によって簡単に陥落出来るという事情もありました。
※この辺りの事情の詳細はヴァルファについての考察をお読み下さい。

以降、開戦までの経過をウィークリートピックスの記事を拾いながら見てみます。

D26年3月25日、ドルファンの第一回傭兵徴募開始。
ドルファンでは開戦が決定的になると、やはり地前の騎士団では凌ぎ切れないという判断か、スィーズランドを通じて外国人傭兵の徴募を行いました。
大勢に影響はなかったとも言われていますが、やはり東洋人傭兵を中心とした外人部隊の活躍は目覚しく、結果から見ると、この判断は正しかったと言えるでしょう。

D26年3月27日、ベルシスの内応により抵抗のないままダナン陥落。 以降、ヴァルファが駐留。
表層的には、これがドルファン・プロキア戦争の第一局面と言う事になります。

D26年3月28日、フィンセン公の留守を狙ったヘルシオ公による反乱。 侵攻中のプロキア軍は領内に撤退。
ヘルシオ公としては、フィンセン公がドルファン攻めに失敗するも良しと考えていたと思われますが、
予想以上にダナン攻めが順調に行ったので、決行を早めたのかも知れません。
ここに至ってヴァルファはダナンに孤立する事になるのですが、なぜか撤退の気配を見せず、以降もダナン駐留を続けます。
ピクシス卿辺りはダナン陥落の呆気なさを含め、ベルシスが何か企んでいると感づいていたでしょう。

D26年3月30日、プロキアの内乱はフィンセン公がゲルタニアに亡命し、呆気なく終結。
以降、国名はプロキア=ヘルシオ公国となります。

この後は外交の駆け引きが続くのですが、結果だけ書くと、ドルファンはプロキアに賠償金を求めない事を決め、代わりにプロキア軍の協力を引き出します。
その後、プロキアはヴァルファとの契約破棄を公式に宣言、ヴァルファに数度に渡り撤収命令を出すものの、ヴァルファは逆に契約不履行を理由にプロキアに宣戦布告。
プロキアが国境沿いに派兵、ドルファンの王室会議もダナン派兵を決議します。

…そして、ドルファンとヴァルファの最初の激突であるイリハ会戦が始まります。


※ドラマCDはゲームのパラレルストーリーなので参考にならないという考え方も出来ますが、
 少なくともライズがドルファンに来るまでの経緯は同じとして考察を進めています。
 その理由とは、このドラマがゲーム本編の隠された部分を明らかにするために作られたと言う側面があるからです。


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