みつめてナイト外伝〜ライズ・氷解〜

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 入院四日目。
 体中を巡っていた軋むような痛みは、ようやく収まってきた。
 退院まで間もなくだと思うと体中に力がみなぎって来るのを感じた。
 そんな気持ちの充実を感じる中、何故か私はピクシス家の令嬢と無駄話をするべく彼女の病室を訪れていた。
 彼女、セーラ・ピクシスはベッドの上で半身を起こしながら、鳥篭の中のカナリアを見ていた。
 私はベッドの横の来客用の丸椅子に腰掛けていた。
 「すみません、ライズさん。グスタフが無理を言ったみたいで…」
 「構わないわ。私も入院中の暇を持て余していたところだったのよ」
 暇を持て余していたのは本当だが、ピクシス家のお嬢様の暇つぶしに付き合うのは遠慮したい。
 だが、曲がりなりにもドルファンの政治の中枢、ピクシス家の人間だ。何か有益な話が聞けるかも知れない。
 そう思わなければこんな事はしない。
 セーラはグスタフに私を紹介されると少し怯えたような目で私を見ていた。
 彼女は幼少時より心臓の病気を患っており、自宅での静養が長く人付き合いが苦手。
 たまたま検査入院で病院に来ていたところカナリアが逃げ、グスタフがセーラと年齢の近い私を、彼女の話し相手兼人見知りの主治医として抜擢したと言うのだ。
 この部屋に来て最初の10分はお互いほぼ沈黙を守っていた。
 私は自分から話をするタイプでは無いし(もっとも相手に対して興味が薄いならなおさら)、彼女の人見知りは流石に堂に入った物であった。
 だが、ベッドサイドのテーブルに乗っていた本のタイトルが、私も読んでいるアルベルト・ジャン・ベルクの真旅行記だった事を指摘すると、セーラは水を得た魚のように嬉々として話し始めた。
 深窓の令嬢はカナリアと本だけがお友達、といったところだ。
 カナリアが美しい声で鳴いた。
 セーラはそれを目を細めながら見ていた。
 「随分大切にしているのね、そのカナリアを」
 私の言葉に彼女は視線をこちらに戻すと、とても穏やかに微笑んだ。
 「メビウスという名前なの。可愛いでしょう、とても賢い子なんです」
 私は黙って頷いた。黙って頷けば気持ちは無くても、肯定として勝手に解釈してくれるはずだ。
 セーラは私の行動にはあまり興味が無いようで、再びカナリアに視線を戻すと悲しげにうつむいた。
 「この子、兄が飼っていたんです。とても可愛がっていたのに」
 私は再び頷いた。今度の頷きは続きを促がす頷きだ。とても上品な振る舞いなのは言うまでも無い。
 さあ、お話し好きなセーラ、続きをどうぞ。
 しかしセーラはこちらの頷きを見もせずに話しを続けた。
 まあ結果は変わりない。
 「兄は五年ほど前、何も言わずに家を飛び出しました。前からおじい様と折り合いが悪かったけれど、突然…私に何も告げずに家を出てしまった…」
 そこまで言って、セーラは悲しみを味わっていた。
 一つ一つの動作が大げさで、まるで舞台役者のようだ。
 丸縁の眼鏡に彼女の大粒の涙がポタポタと落ちた。
 「兄はとても優しい人だったんです。私の病気をいつもとても心配してくれていて…」
 私はまたも黙って頷き、同情の意を示した。
 今度はセーラも私を見ていた。
 もしもセーラの家がピクシス家の本家ならば、兄の失踪はピクシス家の恥であろう。
 だが、ドルファン王室議会でのそんなスキャンダルは聞いた事が無い。
 セーラ・ピクシスは分家なのかも知れない。
 しかし、スキャンダルとは総じて隠蔽されるものであるし、調べてみてもいいかも知れない。
 彼女は声を押し殺してしばらく泣いていた。
 私は彼女が落ち着くまでそっと肩に手をかけていた。
 「ごめんなさい、なんだか恥ずかしい所をお見せしちゃって」
 セーラは無理に微笑んだ。
 私は何もかもわかっているわ、と黙って頷いた。
 非常に便利な動作だ。
 その後30分ほど彼女のとてもロマンティックな兄自慢に付き合い、明日もまた来ると約束をし部屋を出た。
 廊下にはグスタフ・ベナンダンディが微動だにせず、美しく立っていた。
 私に気付くと優しげに微笑み、
 「ありがとうございます、ミス・ライズ」
 と丁寧に頭を下げた。
 彼の動きは全く無駄がなく、それでいて一切の隙も無い。
 訓練されたものだけがとる事の出来る行動であり、ただの初老の執事というわけではないはずだ。
 ただ、ピクシス家の令嬢の執事となると、それだけの事を求められるのかも知れない。
 私は明日も来る事をグスタフにも伝え、自室に戻った。
 私に兄弟はいないが、あそこまで熱烈に愛する事ができるものだろうか。
 どちらにしろ、セーラ・ピクシスは非常に情熱家である事は確かだ。
 
 
 
 To be continued


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