みつめてナイト外伝〜ライズ・氷解〜

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 思いも寄らない言葉に私はどう反応していいかわからず、ただテントに身を寄せていた。
 プリシラ…とこのピエロは言ったのだろうか。
 プリシラと言えば、この国の王女プリシラ・ドルファンに他ならない。
 たっぷり10秒はお互い押し黙っていたが、不意にバリアニコフは笑い声を上げた。
 「は、ははは!いや、失礼。知り合いによく似ていたもので」
 道化の仮面の下がどんな表情なのかわからないので、このピエロが嘘を言っているのか真意を探りかねる。
 しかし私も引き下がるわけにはいかない。
 ここは無知な観客の少女を演じきるしかない。
 「あ、あの、すみません。私、動物がすごく大好きで…つい近くで見てみたくて…」
 か細く弱弱しい声を精一杯出してみた。とりあえずソフィアをイメージして。
 バリアニコフは例の酔ったような動きで、大げさに手を振った。
 「お嬢さん、動物達は慣れていない人に対しては野生をむき出しにする。危険なので客席にお戻りください。そろそろ休憩時間もおわります」
 「ごめんなさい…私、戻ります…」 
 「それがいいでしょう。戻る道はお分かりですか」 
 「はい…」
 私は普段の走り方ではなく、女の子らしい内股で一歩駆け出そうとして止まった。
 バリアニコフは私を普通の観客と思ってくれたようだし、この気持ち悪さをぶつけてみてもいいかもしれない。
 「あの、ピエロさん」
 「なんですか、お嬢さん」
 「プリシラ…って仰っていましたが…まさか王女様とお知り合いなんですか」
 私は自分の発した言葉が、いかにも普通の女の子の普通の疑問である事を心の中で祈った。
 バリアニコフは私を見ると、道化の仮面に手を置いてゆっくりと外した。
 その仮面の下にあった顔はまるで役者のように整い、その緑色の瞳が私を切なげにみつめていた。
 「私のような道化が恐れ多くも王女と知り合いである訳がありませんよ。さあ、客席にお戻りなさい」
 「そ、そうですよね。それにいくらなんでも私と王女様を見間違うはずもありませんものね」
 私はそう言って愛想笑いを浮かべた。
 しかし、バリアニコフは何か懐かしい人でも見るかの様な視線で私を見ていた。
 「お嬢さん、私はプリシラ様に直接お目にかかったことはありませんが、あなたの瞳はプリシラ様に似ているかもしれません」
 「そんな、冗談でもそんな事…」
 私は内心、虫唾が走る思いだった。
 私の最も憎むべきドルファン王家の人間に似ているなどと言われ、はらわたが煮えくり返りそうだった。
 「さ、美しいお嬢さん。もう行きなさい」
 ここにこれ以上長居するのは危険だし、ここは引き際かもしれない。
 私は彼に一礼すると、先程と同じ様に極めて女の子らしく走り出した。

 客席に戻ると、すでに演目が始まっており何人かのピエロ達が空中ブランコを披露していた。
 「よう、遅かったな。やっぱり迷子になったか」
 隣のヒューイの言葉を無視して、私は席に座った。
 あのバリアニコフというピエロ、彼は間違いなくプリシラ・ドルファンを知っていた。
 直接会った事が無いと言ってはいたが、彼の態度と私をみるあの視線は間違いなく私以外の誰かを見ていた。
 私とプリシラ・ドルファンが似ているかどうかはどうでもいいが、シベリアのピエロが何故一国の王女と面識があるのだろうか。
 どう考えても答えがでてこない。
 私はため息をつき、隣のヒューイを見た。
 彼は空中ブランコを見ながら腕組みをしていたが、私の視線に気付くとこちらを見た。
 「ん?どうかしたか」
 「ねえ、たわむれで聞くんだけれど」
 「なんだ」
 「あなた、プリシラ王女に会った事ってあるのかしら」
 私は何の意味も無く聞いた。
 本当にたわむれで聞いてみただけなのだ。
 しかし、彼は事も無げに頷いた。
 「ああ、会った事あるが」
 「え!?」
 私が驚きの声をあげると、彼はしれっと言ってのけた。
 「王女とは顔見知りなんだ。ちょっとしたゴタゴタがあってね」
 私は驚きと呆れにしばらく言葉が続かなかった。
 「一介の傭兵が王女と顔見知りですって?」
 「そうだな、一般的にはありえない事だが、顔見知りなんだから仕方ない」
 私は未だ信じられず、頭の中が混乱していた。
 しかしこのヒューイという男はこう見えて八騎将を三人も討ち取っている。
 褒美を貰うときに王女と謁見してもそれはおかしくない。
 だが、それだけで顔見知りとは言わない。いくらヒューイでもそんな非常識な事は言わないはずだ。
 と、言う事は彼は少なからず王女と知り合いで、王女も彼をちゃんと認識している事になる。
 ありえない話だ。
 すっかり混乱していると、ヒューイが面白そうに私の顔を覗き込んだ。
 「ライズだって、もしかしたら会っているかもしれないぜ」
 「クリスマスに見た事はあるわ」
 「いや、そうじゃなくて街中とかでな」
 「あなた、頭がおかしくなったのかしら。一国の王女と街中で出会うわけないでしょ」
 「まあ普通は。だがプリシラ王女だとあり得るかもな」
 「馬鹿馬鹿しいわ」
 そうこうしているうちに空中ブランコが終わり、次の演目が始まった。
 エレーナがこのサーカスに出入りしている事は間違いないし、ここのピエロがプリシラ王女と何かしらの関係がある事はわかった。
 あとは、この情報を元に掘り下げていけばいい。
 この傭兵がプリシラ・ドルファンと知り合いかどうかは今の時点ではどうでもいいことだ。
 知り合いなら知り合いで構わない。
 チャンスがあれば彼の交友関係が何かに使えるかもしれない。
 最後の演目まで見終わり、家路につく大勢の人に紛れながら私とヒューイはサウス・ドルファン駅まで歩いた。
 夏の夜の訪れは遅く、夕方だと言うのにまだ空は明るかった。
 「さて、どうするか」
 ヒューイは大きく伸びをしながら呟いた。 
 私は今日得た情報をまとめて、部下に指示をだしたかったが、それは夜にでも出来る。
 折角街に出たのだから、もう少し時間を潰してもいいかもしれない。
 「私がサーカスのチケットを提供したのだから、見返りがあってもいいなじゃないかしら」
 私の申し出にヒューイは意外そうな顔をしたが、困ったように微笑んだ。
 「それはつまり、夕飯にでも誘え、と言っているのかな」
 「別に」
 「わかったよ。婦女子に誘われたままってのも男が廃る。奢るから何か食べに行こうぜ」
 「あら、悪いわね」
 「よく言うよ」
 私とヒューイはお互いの顔を見て、笑った。
 こういう時間も、わるくないかもしれない。
 
 
 
 To be continued



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